3-05. 非政党地帯3.補論

5. 非政党地帯

まず表補-Cを見てほしい。

表補-C:第7回総選挙前までの選挙区ごとの当選者の所属

第7回総選挙前までの選挙区ごとの当選者の所属

 

・市部の選挙区にはアンダーラインを付したが、郡部を含む場合は選挙区の番号のみにを付した。

・神奈川県は「神奈」、和歌山県は「和歌」、鹿児島は「鹿児」と略した。北海道、沖縄県では、まだ選挙が行われていなかった。

・2人区については「・」を用いて並べて記したが、2名ともが無所属も含めて同じ会派に属していた場合は、まとめて太字で記した。

・「無」としたのは、無所属であり、特に記述がない場合、総選挙から次の総選挙の前までどの会派にも属していなかった議員である。

・政党の会派にのみ所属している議員も、その政党に含めた。

・補欠選挙当選者や更正決定後の新議員については、無所属も含めて前議員と異なる会派に属していた場合にのみ、※を付して記した。

・以下、①から⑥は第1回総選挙(後)から第6回総選挙(後)を指す。

・黄色は、無所属の当選者による会派のうち、吏党系を除いたものである。ただし出身が様々な公同会も黄色にした。

➀・由:立憲自由党または自由党、改:立憲改進党、大:大成会、北:東北同志会、巴:巴倶楽部、独:独立倶楽部

・協同倶楽部は「協」とし、その前後に大成会、国民自由党に属していた場合は省略した。

・国民自由党は「国」、自由倶楽部は「倶」とし、立憲自由党(または国民自由党の一部はその前身の一つである大同倶楽部)の離脱者であったことから、自由党に属していたという記述は省略した。

・立憲自由党を脱して他の会派、協同倶楽部に加わらなかった場合は「由→無」とした。

②・由:自由党、改:立憲改進党、独:独立倶楽部、中:中央交渉部、溜:溜池倶楽部、国:国民協会、実:実業団体、井:井角組、東自:東洋自由党、盟:同盟倶楽部、芝:芝集会所、有:有志会、務:政務調査所、志:同志倶楽部

③・由:自由党、改:立憲改進党、国:国民協会、務:旧大日本協会・政務調査所派、中:中立倶楽部、独:独立倶楽部、湖:湖月派

・立憲革新党については、同志倶楽部からの参加者を、他の同志倶楽部の議員と同じ「志」、同盟倶楽部からの参加者を同様に「盟」、他を「革」とした。ただし同盟倶楽部には立憲革新党不参加者が2名いたから、「盟→」として、次の所属を記した。

・会派を脱して無所属となった場合には「→無」と記した。

④・由:自由党、改:立憲改進党、国:国民協会、革:立憲革新党、中:中国進歩党:財:帝国財政革新会、手:大手倶楽部、実団:実業団体、進:進歩党、実同:実業同志倶楽部、日:日曜会、倶:国民倶楽部、新:新自由党、公:公同会:同:同志会

・議員倶楽部は結成時のみの参加を「旧議」、再結成(以降)のみの参加者を「新議」、双方に該当する場合を「議」とした。

⑤・由:自由党、進:進歩党、国:国民協会、山:山下倶楽部、同:同志倶楽部

・会派を脱して無所属となった場合には「→無」と記した。

⑥・憲:憲政党(分裂後の自由党系中心の憲政党)、本:憲政本党、国:国民協会、日:日吉倶楽部、帝:帝国党、議:議員同志倶楽部、政:立憲政友会、中:中立倶楽部、三:三四倶楽部

・憲政党から立憲政友会に参加した場合、国民協会から帝国党に参加した場合は、間に一定期間無所属であった場合も含めて、間の「→」を省略し、つなげて記した。

・第7回総選挙前に無所属となっていた議員についても「無」と付した。

2大民党の本流と国民協会、いずれもそれらの分派である国民自由党、自由倶楽部、同志倶楽部(第2回総選挙後)と後継の立憲革新党、中国進歩党、そして国民倶楽部、新自由党と、双方と議員倶楽部が合流した公同会、東北同盟会(第4回総選挙後)と後継の同志倶楽部、同志会、三四倶楽部以外の会派は全て、基本的には無所属の当選者によって結成されているか、そのような会派にルーツを持つ(ただし協同倶楽部、巴倶楽部、議員倶楽部―第4回総選挙後―にも、自由党系等の離党者が含まれている)。

第1回総選挙後に、2大民党とその分派以外の議員が多かった府県を挙げてみよう。なお、自由党系の分派であっても非民党勢力であったといえる国民自由党は、5名中の3名が北陸地域の選挙区の選出であった。

・大部分が大成会:宮城県、福島県(大成会のほとんどが東北系の独自会派へ)、岐阜県、愛知県、滋賀県、京都府(大成会系5名中3名が巴倶楽部へ)、鳥取県(3名中2名が大成会、1名が協同倶楽部であったが、双方のうち1ずつが自由党系へ)、福岡県、大分県(6名中4名であるので「大部分」とするのは誇張かも知れない)

・大部分が巴倶楽部:山梨県(民党の離党者はいない)

・大部分が大成会不参加、協同倶楽部参加:和歌山県、山口県(全員該当)

・全員が独立倶楽部:島根県(全員が元大成会、または協同倶楽部)

この他に2大民党とその分派以外の議員が比較的多かった府県を挙げてみよう。東京府12名のうち5名が大成会、2名が無所属のまま(うち1名は辞職し、その補欠選挙で改進党系が当選)、大阪府10名中4名が大成会(また2名が自由党から巴倶楽部へ)、岡山県8名の半数が大成会、広島県10名のうち、4名が独立倶楽部、2名が大成会、1名が巴倶楽部、熊本県8名のうち半数の4名が大成会不参加、協同倶楽部参加、1名が大成会(また1名が国民自由党)であった。

ここでも壁に突き当たってしまう。ここに挙げた府県固有の、共通する特徴が見当たらないのだ。ただ、東京、大阪、名古屋という大きな都市とその周辺、中国地方の大部分、そして九州地方の特定の地域に民党の力があまり及んでいなかったとしか、いえない。人間関係など個々の選挙区の事情にもよるのだろう(有泉貞夫『明治政治史の基礎課程』は山梨県について詳しい。第1回総選挙の当選者達―皆巴倶楽部へ―は、民権派であったが政党中心の選挙ではなく、人物的なつながり等から無所属で出馬したようである。国民協会の要人となる薬袋義一も、資金面から、吏党系、積極財政志向となったようである)。

季武嘉也氏は、初期議会(「第一、二回総選挙」とされており、日清戦争~日露戦争という区分の、前の区分となっている)において吏党系の議員が選出されている地域を、「「民度」が高い方」とし、「吏党は決して近代化の比較的遅れた地域、あるいは保守的な地域から選出された地方名望家によって構成されていたのではなく、一般的傾向とは逆に「中央的要素」が「地方的要素」を圧倒していたことが分かる」としている(季武嘉也「山県有朋と三党鼎立構論の実相」219~221頁)。季武氏は、本稿で吏党系とする勢力より広く、本稿で中立と捉える勢力も吏党として扱っている。しかし上に引用したものは、「吏党系第三党」として大成会、中央交渉部を対象にした分析において述べられている。季武氏は、静岡以西の西日本、特に東海、中国、九州に吏党系議員が多いことを指摘した上で、上の指摘をしているのだが、上で挙げた府県を見ても、「吏党系第三党」の傾向と大きなずれはない。季武氏の指摘が当てはまるといえよう。

上に挙げた府県のその後の様子を見よう。以下は、表補-Cを用いて大まかにまとめたものである(例えば「②」は第2回総選挙、または第2回総選挙後、「傾向なし」は民党の独占でも吏党の独占でもなく、両者、または他の会派も混ざった状態を指す。変化がなかったか、小さなものであった場合には、特に何も記さない)。立憲政友会結成のあたりで区切りをつけたいこと、改進党系の分派であることから、ここでは三四倶楽部参加の動きは無視する。中国進歩党は改進党系と同一に扱った。なお、なお、「第3会派以下の非吏党系」とは、無所属を含め、自由党系、吏党系、改進党系以外の勢力、または無所属だということを意味する。

・議員の多くが大成会に属した府県(大成会が比較的多かった東京府、大阪府、岡山県も加えた)

宮城県 :②東北系会派→対外硬派系会派、③5分の4が自由党に、④傾向なし、⑥2大民党系で独占

福島県 :①大部分が県内選出議員等による会派を結成、②自由党がやや多いが傾向なし ③7名中5名が自由党、④第3会派以下の非吏党系が多少増えて改進党系と合流、自由党系は全員離党し独自会派を結成、⑤7名中4名が改進党系、⑥改進党系が独占

東京府 :③半数が第3会派以下の非吏党系と無所属、⑤バラバラだが改進党系がやや多くなり、⑥でその傾向がより明確に(14名中10名、ただし離党者あり)

岐阜県 :③7名中5名が第3会派以下の非吏党系、④傾向なし

愛知県 :②中央交渉部から離脱者が出て吏党系が減り、③で自由党が大きく増え、④で吏党系の少しの回復、分裂等により傾向なしに、⑤で自由党と中立の山下倶楽部が分け合う形となり、⑥で再編により11名中9名が立憲政友会に

滋賀県 :①5名中3、4名が第4回は以下に(①巴倶楽部と無所属、②溜池倶楽部→同盟倶楽部)、④再編により改進党系が5名中3名に、⑤傾向なし、⑥2大民党の系譜が独占

大阪府 :②10名のうち9名が吏党系の中央交渉部となるも分裂で吏党系は2名のみに、③10名中8名が第3会派以下の非吏党系に(他の2名は吏党系)、⑥総選挙と立憲政友会の結成で10名中8名が自由党系に

京都府 :②傾向なし(7名中4名が第3会派以下の非吏党系に)、③自由党が増え、④進歩党結成により7名中6名が2大民党に、⑤傾向なし、⑥7名中6名が2大民党の系譜に

岡山県 :②傾向なし(第三会派以下の非吏党系が半数に)、③8名中7名が2大民党、うち5名が改進党系に(進歩党の会派に属した中国進歩党を含む)、④改進党系と自由党系がおよそ半々に、⑤改進党系が過半数に

鳥取県 :②3名中2名が第3会派以下の非吏党系、③全員が第4回以下の会派と無所属に、④自由党系が3名中2名、⑤3名中2名が第3会派以下の非吏党系と無所属に、⑥全員が自由党系に

福岡県 :②中央交渉部の分裂により大多数であった吏党系が9名中5名に、③9名中6名が自由党に、④吏党系が多少復調して9名中5名となって自由党と議席を分け合ったものの5名全員が公同会へ、⑤自由党が過半数に(9名中5名、第3会派以下の非吏党系と無所属が4名)、自由党系と改進党系がおよそ半々となるも、補欠選挙により自由党系が9名中7名に

大分県 :⑤傾向なし(⑥までは2大民党の系譜が少なかったが、立憲政友会の結成などにより増えた)

 

・大成会不参加、協同倶楽部参加(同様の議員が比較的多い熊本県も加えた)

和歌山県:②第3会派以下の非吏党系が独占、③5名中3名が第3会派以下の非吏党系で2名が自由党、④全員が第3会派以下の非吏党系(一時は全員が実業団体)、⑤陸奥系の一部との合流により自由党系が5名中3名に、⑥自由党系と改進党系がほぼ半々に

山口県 :②全員が中央交渉部で分裂後も吏党系、③7名中6名が無所属、④7名中4名が第3会派以下の非吏党系で残りが吏党系、⑤吏党系が独占、⑥吏党系が独占を維持したが全員が立憲政友会に

熊本県 :大部分が吏党系である状況に変化なし

 

・議員の多くが独立倶楽部に属した府県(独立倶楽部が比較的多い広島県も加えた)

広島県 :②10名中7名が吏党系の中央交渉部となるが国民協会参加者と井角組参加者に分裂、前者が補欠選挙によって民党に議席を奪われ、傾向なしに、④自由党が0となり、第3会派以下の非吏党系が多くなり、⑥10名中6名が自由党系となるが離党者が複数出て傾向なしに

島根県 :③自由党と第3会派以下の非吏党系がおよそ半々となり、⑥後者の多くが吏党系に

・議員の多くが巴倶楽部に属した府県

山梨県 :②吏党系が多かったが、分裂により第3会派以下の非吏党系が多くなり、③自由党が増え、④傾向なしとなり、⑥自由党系が復調

 

ここに挙げた府県の中に次のようなものがある。

・第3回総選挙で自由党が躍進、以後多くの選挙区が民党の地盤となった府県(東北地方は自由党系の分派が改進党系と合流しており、全体的に改進党系優位となる)

・・・宮城県(一時的に民党がやや減り、また改進党系も伸張)

福島県(自由党の分裂を経て改進党系優位に)

山梨県(第四回総選挙後の自由党系の分裂により、一時的に民党が少数になった)

福岡県(小さな揺り戻しを経ている)

 

・第4回総選挙後に野党が合流したことで改進党系が増え、以後多くの選挙区が民党の地盤となった府県(京都府にもこの傾向と上の傾向が少し見られ、改進党系が一時半数に上った、その足掛かりになったと思われる。その後揺り戻しはあったが、第6回総選挙で改進党系と第3会派以下の非吏党系がほぼ分け合い、立憲政友会の結成で2大政党が大部分を占めるに至った)

・・・東京府(改進党系が第3回総選挙で議席を伸ばし、進歩党の結成で優位な地位を得た)

・・・滋賀県(自由党系も徐々に進出)

・・・岡山県(第3回総選挙ですでに改進党系が増えていたが、県内の改進時系が中国進歩党を結成してから進歩党の結成に参加)

第3回総選挙で自由党、第3会派以下の非吏党系以下が増え、山口県では無所属が増えたことには、第2次伊藤内閣の性格が影響している(第3会派以下の非吏党系以下が増えたのは東京府、岐阜県、大阪府)。これについては第3章第3極実業派の動き1列の関係(①)等で述べた。また、上に挙げた府県以外で、第5回総選挙後の宮崎県の3名全員が無所属であったことが目を引く。これは同県で1897年6月、県下の実業の発展を策すため、各政党が一つとなって日州倶楽部を結成したためである()。同倶楽部は2大民党等による憲政党の結成に参加、その分裂の際には、第6回総選挙で当選した3名全員が、自由党系の憲政党に参加した。

以上から、第3回総選挙における自由党の躍進、第4回総選挙後の対外硬派の、国民協会を除く多くが立憲改進党を中心に合流したこと、この2つの事象を中心とした2大民党の系譜の強化によって、無所属を含む第3党、第3会派以下の議員が減少していったことがわかる。第6回総選挙における、与党となった民党である憲政党の躍進、その後の立憲政友会の結成によって、その傾向に拍車がかかったが、後者は自由党系や伊藤博文系の合流によるものであるため、純粋な民党の伸張とは少し性格が異なる。

立憲政友会結成の後に第3党以下、第3会派以下が一定数残ったのは次の府県である。

・主に非吏党系:岐阜県、大阪府、大分県(吏党系が立憲政友会へ)

・主に吏党系:島根県(非吏党系が吏党系に、一部が立憲政友会へ)、熊本県

・非吏党系、吏党系が同程度:広島県

岐阜県は定数7のうち3である(全員非吏党系)。これは他の府県、衆議院全体において第3会派以下が占める割合と比較すれば、多いといえる。また同県の隣の静岡、愛知両県には第3党以下の非吏党系が1名ずついたから、この地域にそのような議員が比較的多く残っていたということもできる。愛知県に限れば、立憲政友会に移った第3会派以下の非吏党系が多く、同会の結成前は、11名中5名が第3会派以下、うち非吏党系が4名という状況であった。

大阪府は3名が第3会派以下、うち2名が非吏党系であったが、定数が10であるため、岐阜県より低い水準にあったということになる。同府も、隣の京都府に第3会派以下の非吏党系が1人いた。京都府は立憲政友会の結成前には、定数7名のうち2名が第3会派以下の非吏党系であった。大阪府も第6回総選挙の前まで遡れば、10名中8名が第3会派以下、うち7名が非吏党系であった。立憲政友会結成前を見ても8名である。

広島県は定数10のうち4名が第3党以下、うち2名が非吏党系であった。島根県は定数6のうち2名が吏党系であった(3名であったが1名が立憲政友会へ)。大分県は6のうち2名が第3会派以下の非吏党系であった(立憲政友会結成前は他に2名の吏党系がいた)。

「第3党以下、第3会派以下が一定数残った」といってもこの程度なのだが、熊本県だけは、第3会派以下の議員が定数7のうち6名と、大部分を占めている。そして、その全員が吏党系である。熊本県は、離脱者が続出した吏党系において結束を維持し、その中で比重を高めていった熊本国権党の本拠地である。県内に根を下ろした同党の力がつくった例外なのだ。

なお、東京府では、憲政本党の離党者1名を含めた2名が第3党以下の会派に残った。同府の非常に多い定数と比べれば、全く多くない。群馬県では、自由党系を脱して第3以下の会派に移った議員が2名いたが、1名が立憲政友会に参加した。

第3会派以下に留まった議員が2名しかいなかった府県まで挙げたのは、そのような議員が多くの府県で存在しないか、多くて1名であったからだ。また、第3会派以下の非吏党系が残ったのは、府県の中でも主に市部、または市部を含む選挙区である。第7回総選挙後については改めて見るが、衆議院全体の比率と比べると、都市部では明らかに第3以下、かつ非吏党系の会派が多い(表補-H参照)。選挙制度の改正によって市部が独立した選挙区となるなどした影響もあって、第3党以下の非吏党系が、市部を中心に盛り返したのである。

民党が勝ち過ぎたともいえる第6回総選挙の前の第5回総選挙の結果も念頭に置いて総括すれば、民党は自由党系の薩長閥の一部との接近を一つの背景とした第3回総選挙における躍進(『キーワードで考える日本政党史』第3章(準)与党の不振(①)参照)、改進党系の他の党派との合流によって議席を増やし、おそらくそれによっても影響力を増してさらに議席を増やし、無所属を含む第3党以下の分布を狭めていったということになる。しかしその傾向が都市部とその近郊、九州の一部では比較的弱かった(熊本に限ってみればほとんど見られなかった)。

第3会派以下の非吏党系が他の地域より多く残ったのは、東海、近畿、中国地方の市部等の一部であり、関東でも少しだけ多めに残った。地主層が2大民党の支持基盤の中心であったことを考えれば、民党が都市部で比較的弱かったことについては納得できる。九州の傾向は、一時九州等で影響力を誇った国権派(民権伸長等について、国家の存続があって初めてそれが可能だという考えから、民権派よりも保守的な立場を採り、基本的には対外強硬派であった)を中心とした吏党系が、衰退を免れることができなかったものの、熊本国権党を中心として、命脈を保ったということを示している。

士族層が支えるものから、地主層が支えるものへと変化した自由民権運動が、政党の結成に結びつき、政党に対する疑念を持つ有権者、中立志向の有権者が比較的多かった市部、その近郊において、中立会派、無所属の議員が相対的に多く残ったのだと考えられる(初期の吏党系にはまた、都市部の議員達も多く含まれていた)。

ここで疑問が浮かぶ。市部、あるいは実業家層を代表する政党がなぜ、日本では生まれなかったのか、ということである。そのような政党が結成されれば、あるいは2大民党の系譜の少なくともどちらかが、市部や実業家層の支持を得られれば、その他の勢力、無所属の当選者が減ったはずである。「日本では」としたのは、他国では第1次産業の意を主に汲む政党と、第2、3次産業の意を主に汲む政党が存在していたからである。次はそれを確認しつつ、他国との比較を試みる。