れいわは民主党系を補える 註-1

1993年の自民党分裂の頃から、各党が改革に対する積極姿勢を競うようになった。それは自民党の利益誘導政治を批判するものであったから、新自由主義的なものとなりやすかった。ばらまき方を、恣意的なクライエンテリズム(票や資金を出してくれる団体、または選挙区に、利益となる政治をする)から、社民的なものに変えるという主張が全くなかったわけではないが、バブル崩壊後の苦しい経済状況、少子高齢化、財政赤字とそれに関する国際社会(という言い方が良いかは別として)の圧力から、合理化による歳出削減を最優先にする、新自由主義的なものとならざるを得なかった。自民党もそれに乗り、自民党のライバルになった新進党のみならず、社会党の流れを汲む民主党も、その競争に参加した。主要3党が似た路線になったのである。新進党が解党すると、その多くを吸収した民主党が、新進党の姿勢にさらに似ていった(新進党の新自由主義は、小沢新進党党首が結成した自由党に受け継がれた)。しかし、結局自民党が勝利し、消費増税、アジア通貨危機、不良債権問題等による金融危機が景気のさらなる悪化を招くと、公共事業中心の経済対策が採られた。