日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
一度くらい、外圧なしに変わりたい

一度くらい、外圧なしに変わりたい

新型コロナの問題が深刻な時、政局中心の話が多くて心苦しい。しかし、政権交代がすでに定着し、洗練された大政党の健全な競争が実現していたなら、日本の政治のレベルはもっと高く、緊急時にもしっかりと動くことができていたと考える。与党になったのがちょっとした思い出でしかない野党、野党になったのがただの嫌な記憶でしかない与党(それすら経験していない、2012年初当選組が大勢いる)では、政党政治は成熟しない。

与党の時には、野党時代に考えたプランに基づいて、野党にも謙虚に耳を傾けつつ、臨機応変に、しかし信念を持って、思う存分挑戦をする。野党の時には、「またチャンスは来るから」と、反省しつつも悲観的にならず、またひねくれず、改善策や政策を練る。良いリーダーを探す(万年野党でなければ、選挙の候補者も含めて、人材には困らない)。そんな当たり前のことが、先進国ならどの国でもみられることが、日本にはほとんどない。

日本は外圧でしか変わらない。そんな言い方がよくされる。日本の政治はかつて二度、外圧によって劇的に変わった。一度目は、ペリー来航を大きな契機とする近代化によって議会が設けられた。二度目は、敗戦を契機に、議院内閣制に移行した。しかしそれを機能させる土台である、【国民が自ら、政権を任せる政党を選び取る】ということが、うまく機能していない。「半永久的に一つの政党を選び取っている」というのは、さすがに無理がある。普通に考えれば、対等な競争がなく、一つの政党がずっと政権を握っているという事には大きな弊害がある。仮に一つの政党だけが断トツで素晴らしいのだとしても、代わりを育てておくのが当然だろう。「半永久的に一つの政党を選び取っている」という言い方では、自己点検が難しくなる与党疲れの症状も、癒着・利益誘導の政治も、特に冷戦後の、万年与党に多くの政党、政治家がぶら下がろうとするような状況も、ほとんど問題にしないということになってしまう。

今はピンチでもあり、チャンスでもある。日々の生活も大問題だが、このような危機がもし再び訪れた時に、もっと成熟した民主主義国になっていれば、少なくとも今よりは安心だし(与党が駄目な場合、野党という保険がある)、国の危機が、弾圧や独裁政治につながることも、心配なくてすむ。少子高齢化、必ず来ると言われる大地震、より激しくなるであろう国際競争。残念だが、これからの危機については、今からでは間に合わないようにも思われる。しかし今後、あまりに経験不足であった民主党政権、ライバルが消えかけた安倍内閣よりも、あえて言えば「悪夢の」政権があるだろうか。とにかく乗り越えるしかない。

 

自由民主党→

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