日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
自由民主党

自由民主党

ここから、筆者が今、各党に望むことを書いていくのだが、自民党については書きようがない。まさか選挙で負けてくれなどと言っても仕方がない。万年与党を相手に、「立ち止まって考えろ」とも言えない。

かなりの冒険にはなるが、イタリアのキリスト教民主党のように消滅するのも、なしとは言えない。もし大きな混乱が生じないのなら、むしろその方が良いと思う。【維新vs左派野党】の方が対立軸が明確であり、【既得権益を守るvs批判】よりも良い議論ができると思うからだ。最近各党の様子を見て、筆者は立憲民主党を中心とする左派野党と、日本維新の会を中心とする新自由主義勢力の競争を見たくなっている。しかし自民党がそのまま残っている限り、多少離党者が出たとしても(それすら考えにくいが)、それは、非優位政党間の、足の引っ張り合いにしかならない。

イタリアの政治にももちろん問題は多々ある。しかし国民が、左右の大政党による政権交代の定着を経験した(5年程度での政権交代を数度経験している他、もっと短い期間での政権交代もある。政権交代自体はむしろ多すぎる、つまりやや不安定だと言えるくらいだ)。自分達で選ぶ経験を積んだのだ。

イタリアは今、西欧においてポピュリズム政党の台頭が最も顕著な国である(左右のポピュリズム政党が第1,2党になったという点で)。自民党のような優位政党であったキリスト教民主党が完全に解体されたことも、その一因ではあるだろう。

「自民党」なき後のイタリアは、一人の有名な経営者による保守新党と、社民化した共産党が、それぞれ左右の中心となり、2大政党化が進んだ。「自民党」系は、双方の陣営に分かれた(イタリアについては『他国の政党、政党史』「イタリア」、イタリアと日本の比較については『政権交代論』「日本と似ていたイタリア政治」参照)。

筆者は2009年、民主党政権が誕生した際、自民党には党名を変更した上で、保守政党として再起してもらいたいと考えていた。「あんなに民主党への政権交代を主張していたのに」と、当時不思議がられることもあったが、今と同じく左右(中道右派~右派と、中道左派~左派)の2大政党が競争することが良いと考えていたから、自民党が崩壊するというのはあまり良くないと思っていた。イタリアのような激変ではなく、既存の保守政党の改良を望んでいたということだ。「長期的に民主党1強となる」という、一部の予想については、外れるだろうということ以上に、それを当たり前のように想定することにあきれた。

とは言え実際、与謝野馨や舛添要一といった大物、人気議員の自民党離党はあった。しかしその頃には民主党は、すでに普天間基地の移設問題の迷走(辺野古に決まっていたのを最低でも県外としたが、実現の道筋すら全く見えない状況が続き、彼らが離党した翌月に断念)等で支持率を下げていた。自民党離党者には民主党側に移った者もいたが、大物、人気議員を含む離党者の多く(といっても離党者の総数は少なく、その中には次の参院選で自民党の公認を得られず、離党した者までいた)は2つの新党を結成した。郵政民営化に反対して無所属となっていた平沼赳夫を中心とした、たちあがれ日本と、民主党離党者による改革クラブを土台に舛添が結成した、新党改革である。それらは民主党に批判的であった。民主党が迷走し始めていたからこそ、キャスティングボートを握ったり、再編で有利な立場に立ったりすることを、目指していたのかも知れない。

そう、実際には民主党は皆の予想以上に弱く、自民党は予想以上に強かった。筆者の自民党に対する心配は、今思い出すと笑い話のようだ。しかし、選挙による自民党の下野が、民主政治の基本をマスターする第一歩であったことは間違いない。政党政治は、たとえ2大政党制でなくても、政権や政策を巡って各党が争う中で、左右の2つのグループに分かれやすい。そう考えるとやはり、自民党には何でも屋としての強さは捨ててもらって、理想の国家像や理念を明確にしてもらいたい。

なお、筆者が自民党に党名を変えてもらいたいと思ったのは、自民党があまりに強い政党であったこと、何でもありの政党であったことから、それらを断ち切って、「普通の保守政党」になって欲しいと考えていたからだ。その思いは今も、変わってはいない。

 

公明党→

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