はるか遠くの政党と、向き合うことの大切さ

2019年の参院選で脚光を浴びたれいわ新選組、NHKから国民を守る党(党名変更を繰り返しているが、本節ではN国党で統一する)が、共に苦境に立たされている(追記:れいわ新選組は、山本代表が大阪都構想反対の運動と、否決の実現により少し注目されたが、支持率は基本的には低迷したまま)。その理由はいくつか思い浮かぶ。

れいわ新選組については、看板の山本代表が、他の候補を優先させたことで落選し、国会で質問に立てなくなったこと、その上コロナ禍で、得意の街頭演説までをも封じられたこと、そして大西氏の問題(「れいわは民主党系を補える」参照)、創価学会員でありながら公明党を批判し(辺野古基地建設が池田大作の教えに反しているとして)、自公政権に反対するれいわから立候補した事が話題になった、2019年東京選挙区の候補者(落選)の離党(彼が大西問題で山本代表を批判した際、抑え込むような対応をされたことから、党が独裁的だと、失望したようである)がダメージとなっている。また消費税廃止、原発即時廃止について、野党共闘の障害になることから、こだわらない姿勢を採っていることに、失望した人もいるだろう(筆者は、まずは消費税の時限的でない5%への引き下げに絞って、共闘の条件とする姿勢は、十分なものだと思う。それでもなお、非現実的だと見る人は多いだろう)。

N国党については、「NHKをぶっ壊す」以外の話題が多すぎること、その中に、本当に悪い意味で非常識だと思われる行動が少なからず含まれている事が、不振の要因だろう(具体例については後述する)。関係者、支持者同士のもめ事も、配信者、N国党そのものを通して配信されている。

そしてどちらの党についても、既得権益の打破(れいわは特に竹中平蔵、N国党はとにかくNHK)を売りにしているだけあって、特に最近権力に懐柔されているように見えるマスメディアには、取り上げられにくい。このことなどから、国政選挙のような一大イベントがないと(場合によってはそれでも)、盛り上がりがない。

筆者は、ライトな支持者の根気が足りないのだと思う(ただしこの場合は、根気があった方が良いというわけではない。支持を続けるよりも見切りをつける方が良いということもあり得る。筆者はN国党のやり方には、いくつか賛同できることはあったが―後述する―、基本的には否定的だ)。

れいわもN国も、比較的身近に感じることができる政党であった。特にパイプを持たない人からすれば、政党は遠い存在である。本来政党は、遠い存在である行政府、立法府と国民とを、分かりやすく結びつけるものである。しかし国家は複雑化していったし、特に人口が多い国では、国政政党は巨大であるがゆえ、どうしても遠い存在になってしまう。その点、この2党はまだ小さい。れいわの山本代表からは、名もなき人々に向き合う姿勢を感じ取ることができる。N国党は、生活が楽ではない人々の、「その上また(見てもいない)NHKの受信料を強引の取りに来るのか」という人々の共感を得た。その方法は、受信料の集金人を追い詰めてみせたりする、動画の配信であった。N国党は、無名に近く、それだけで生活はできないような、動画配信者(youtuber)、そしてその配信者達を通して一般人に、かなり開かれた政党である。希望者に、選挙カーでの演説をさせるパフォーマンスも行った。

上に挙げた不振の理由には、確かに、その開かれているというイメージを、多少なりとも弱めるものがある。ただし、上の2党が変わったわけではない。強いて言えば、党内で多少のもめ事があったくらいである(N国党の場合は他者とのもめごともあったが、それも、以前から見ている人なら、想像し得るものではなかっただろうか)。それは大政党の内紛よりも、分かりやすく国民に伝わっている(小党だけに、関心のある人にしか伝わらないということはあるが)。党内で対立が生じるのは避けられないことで、むしろそれが隠されることの方が不健全だ。

れいわとN国党はそれぞれ、山本、立花のワンマン的な政党である。しかしだからこそ、一般の国民が身近に感じることができたはずだ。山本は芸能人であったが、何をやっても大勢の人が集まって来るほどの人気があったわけではない。立花にいたっては、完全に一般人であった。そのような、しかし個性的な者達が、一般の国民がおかしいと思うような特定の問題に向き合い、政党をつくった。小さな政党なので、大政党の党首よりは、一般人の声が届きやすい。それが良かったのではないのか。集団指導体制の小党であれば、れいわやN国があれほど輝くことはなかったと想像する。

そうであるなら、2019年の参院選の前後にこの2党を支持していた人が、支持を辞める理由は特にはないと思う。ただ、これはN国党に限った事だが、立花党首が好きなだけではなく、立花党首のようになりたいと思う人も集まっていた。そのような者達は、組織の一部にはなりにくい。そのような面が現れたのが、N国党内でもめ事を起こした者、望む立場になれなかった者が、別に政党を名乗る団体をつくるという動きである。その一つは今、N国党を真似しながら、コロナは風邪だとして、マスクをすることや、ワクチンの接種に反対している(立花もコロナは風邪のようなものだという立場である)。同様の主張をする勢力は各国にあるが、国民の物分かりが良い(良し悪しは別として)日本では、力のある動きにはなっていない。そのせいで勢力の小ささ(無名に近い動画配信者と、そのファンの集いというレベル)に比べ、多少目立つ。

補足として述べておくが、筆者は主張は自由だし、「コロナなどたいしたことはない。」という主張も、弾圧されてはならないと考える。しかしこの団体の者達は、マスクなしで山手線に乗るというパフォーマンスをした。これは最低な迷惑行為だ。仮にコロナが無害に近いものであったとしても(そうは考え難いが)、それが証明されているとはとても言えない。であれば怖いと思う人がいてもおかしくはない。「そんな人は洗脳されているだけだ」と言うのなら、怖がらせずに洗脳を解く努力をするべきであって、そういった人々の目の前でマスクをしないというのは、恐怖を与えているだけの、迷惑行為に過ぎない。そんな人間が国民の信頼を得られるはずがない。

話を戻そう。れいわ、N国党が結果を出した背景には、政治に関心がない人々、どの政党も好きになれない人々、どの政党にも期待できない人々がいるからで、既成政党は反省、工夫をすべきである。特に自公両党は、そのような人々が失望して選挙に行かなくなることで、組織票の強みが活きて、むしろ有利になり得る。そんな失望を生む一因になった、民主党政権の関係者も、猛省が求められる。

しかし一方で、大政党のような、簡単には手が届かない存在に懸命に訴えるのも、民主政治にとっては非常に重要だ。影響力のない政党を動かせても、影響力のある政党を動かせなくても、現実は変わらない。しかし大政党を動かせた時は、確実に変化が起こる。それをあきらめるべきではないのだ。

ミニ政党に関われて、手ごたえもあってうれしいというのは分かるが、そんなにおいしい話というのはないわけで、その分だけ、その政党の影響力が小さいのである。また、それだけの欠点もあるわけである。国政を動かし得る大政党を、皆で良いものに育てる、ニーズに合ったものにする。それが間接民主主義の政治だ(小さな町なら直接民主主義でいけるかも知れないが、それでも難しくはあるし、日本では当然無理だ。ITの発展によって、これからは日本でも可能になるという見方もあるが、国の在り方に直結する課題なので、慎重である必要もある)。

 

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