れいわ、N国党、それぞれの課題

かつてのミニ政党、そしてれいわ、N国党について、もう少し考えたいと思う。

ミニ政党のブームは以前にもあったが(「無意味な繰り返しから脱することができるのか」」参照)、続いていない。それはなぜかという事を考えると、次のようなところだろう。

・1党優位の、変化が起こり難い状況下では、政党を選択することに、国民が関心を持てない。

・そこにワンイシューの、議席が皆無の政党が登場すると、状況が変わらないことを分かっていて(時にそれに安心して)、その政党に投じる。この背景には、第2党(野党第1党)の社会党などが、自民党政治に不満のある人々が求める、サラリーマンにとって不公平な税制の是正などに(本気で)取り組まなかった事もある。何でもありの自民党とそのような野党では、望む政策の実現を期待できなかった、ということもある。

・ミニ政党の場合、1議席の獲得も大きな成果に見えて、手ごたえを感じることができる。

・しかし、ミニ政党が実際の政治に影響を与えること、3議席以上を獲得することはまず無理であり、その政党に投じた人々は、それ以上の手ごたえを得ることができず、飽きてしまう。

以上だ。政権を取れないのなら、100議席の大政党も、1議席のミニ政党も、同じ万年野党ではある。どちらの支持者も、議席が少し増える喜びを得られることもあるが、長期的にはがまんの連続となる。その点では同じなのだ。大政党が一定の勢力を維持しているのは、組織的な支持があり、大きいがゆえに、優位政党ほどでは全くなくても、目立つからである。ミニ政党は、党首が有名人、人気者であれば、話題になることもあるが、政界での影響力は、キャスティングボートの一角を握らない限り、つまり与党が過半数を割る事態にならない限り、皆無だ。

かつてのミニ政党ブームは、参議院に全国を一つの選挙区とする比例代表制が導入され、政党に票を投じることができるようになったこと、それをチャンスだと捉え、個性のある、あるいは有名な人が、税金、福祉など、一部の人が特に強い関心を持ち得る争点に絞った政党を結成したことによる(衆議院のように、全国がいくつかの選挙区に分かれた比例代表制では、1議席獲得のハードルはもっと高い)。

自民党が過半数割れを起こすようなこともなく、それらが飽きられたころ(ミニ政党の議員の多くは、自民党入りしてしまった)、1989年に、ミニ政党ブームの残り香のような政党が議席を得た。スポーツ平和党である。万人に知られ、一部の人々の間ではカリスマ的な人気を誇っていた、格闘家のアントニオ猪木が当選した。しかしその後、自民党出身者が結成した新党がブームを起こし、政界再編の時代に入り、ミニ政党のブームは完全に終わった。

自民党が分裂し、初めて野党になる。政党の離合集散が繰り広げられる。そんな状況下では、力のないミニ政党が、関心を集めるはずがない。

ところが2019年、【社会党が立憲民主党、民社党が国民民主党になり、五十五年体制に戻った】という見方がなされるような、状況となった(1994年に解党した公明党は、1998年に復活している。この見方をする場合、維新の会をどう捉えるのか、という事が問題となる。かつての新自由クラブに近いと見るしかないが、かなり無理がある)。そのような、「四半世紀もの間、あんなに離合集散等があったのに、結局元に戻ってしまうのか・・・」という状況は、再びミニ政党が議会に進出するための、土台となった。同じく土台となったのは、インターネットでの動画の配信・視聴の普及である。これは知名度について劣り、報道されにくい政党にとって頼りになるものであった(ただしまだまだテレビの方が影響力は強いようである)。

特に最近の報道は、内閣・与党を刺激しないように気をつかうものになってきているから、主張のとがったミニ政党は敬遠される。議席がないことで諸派扱いされ、報道されないのはある程度仕方がないことだと、筆者は思う。しかし見事に議席を獲得した後は、もっと取材されても良かった。れいわについては、党首が芸能人であったこと、重度の障害を持つ候補者を当選させて、参議院のバリアフリー化を進めさせたこともあり、選挙直後こそある程度報じられたが、それでも少なすぎると思う。

筆者は、小党に非自民票が分散する事に否定的だし、各党の代表が議論する企画に、数議席の政党を呼ぶ必要はないと思う(出席者が多くなりすぎるし、与党か野党が自分の側を有利にするために、多くの1議席の党を結成して、討論に望むということも考えられなくはない)。しかしそれでも、国民の判断材料として、定期的に特集を組んでも良いと思うし、他の政党と、1対1の討論、ミニ政党同士の討論などを放送しても良いと思う。

話を戻すと、今回のミニ政党ブームを支える土台は、今も変わってはいない。しかしブームは、1年も経たずしぼんだように見える。その理由は前節で見たように、れいわとN国で異なる。ここで改めて、より具体的に確認したい。

まずれいわ新選組の場合は上述の通り、山本代表が議員でなくなった上に、コロナ禍で街頭演説ができなくなったこと、大西候補の発言(「れいわは民主党系を補える」参照)、都知事選に関する他の左派政党とのすれ違いだ。他の野党に譲歩する姿勢は、それが立憲民主党等に受け入れられていない事から、あまり目立たなくなった。れいわを含めた野党連携がうまくいっていない事に失望する人は、れいわの支持者には多くはないと思う。彼らの多くは、既存の野党にすでに失望しているか、関心がないと思われる。

大西の発言は、目を背けてはいけない日本の現実に、鋭く切り込んだと評価することもできる。政治家には「見え方」を気にして言えないことがある。仮に言ったとしても、失言として日々テレビなどでつるし上げられるわけだが、ミニ政党はそうした本音を言う、とがった政党であっても良いと思う。ただし限度はあるし、大西がそれを越えたかどうかの前に、れいわは左派政党であり、その支持者には特に、大西の発言を受け入れられない者が多く、そして何よりも、山本代表の姿勢とはあまりに異なっていた。

都知事選については、まだ述べていない。筆者が報道等で見た経緯は次の通りである。

左派野党は山本を都知事候補にしようとしたが、れいわ新選組公認ではなく、無所属での出馬を求められた山本が辞退した(政策の不一致も要因であったのかも知れない)。そこで左派野党は、過去の都知事選で共産党が推してきた宇都宮健児を統一候補にする方針を採った(前回民進党が鳥越俊太郎を推した際、宇都宮が出馬を辞退してくれたこと、それにもかかわらず鳥越が落選したことも背景にあるが、国民民主党は宇都宮に乗らなかった)。ところがその後で、山本が突如出馬を決めた。このため、小池都知事、維新が推薦する候補の他に、左派系の有力候補が2名(宇都宮、山本)立つことになり、小池以外の候補が当選する可能性は、ますます小さくなった。

以上であるが、左派野党が、山本の求める消費税5%での一致(山本・れいわの主張は消費税廃止だが、野党連携のために譲歩するという姿勢)について、回答せずに山本を担ごうとしたことについて、筆者は否定的だ。たとえ都知事が消費税率を定めるわけではないとしても、れいわ新選組とその考えを、軽視し過ぎているからだ。人気があるが自分達の言いなりにはならない山本を、国政から排除しようとしたのではないかということも、疑ってしまう。もしそうであれば器が小さいし、何より山本に対しても、国民に対しても不誠実だ。それで山本都知事が仮に誕生していたとしても、もめていただろう。下手をすれば民主党政権のような失敗が、都政で再現されるところであった。

なお、立憲民主党が自ら候補者を見つけられなかったのは、力不足を露呈したものだといえる。ただし蓮舫の擁立は、確かに難しい事であった。半数ずつしか改選されない、つまり一度勝っても多数派になるとは限らない参議院の、1議席は貴重である。しかも目立つ蓮舫を失うことを避けるのも分かる(蓮舫の質問のしかたには批判も多いが、目立っていることは間違いなく、目立つことはそれだけで票につながる)。タレント、キャスター出身の蓮舫は、確かに人気がある。しかし二重国籍の問題が記憶に新しく、それがなくても嫌う人もおり、現職の小池都知事に勝てたかといえば、難しかっただろう(コロナ禍でトップを代える事に否定的な都民もいたであろうし)。

山本は、宇都宮が出馬を決めた後で立候補を表明したことで、左派政党を支持する人々からも批判を受けた。礼儀に反するとか、左の票を割る愚策だというようなことであった。

しかし当時の左派陣営の状況、経緯を見れば、山本ばかりが責められるべきではないと思う。一定の支持のある左派野党の党首である山本の意向が、山本自身が出馬するにせよ、他の候補者を立てるにせよ、もっと尊重されるべきであった。それがなされない以上、山本は左派陣営の仲間と捉えられていないと言えるわけで、出馬しようがしまいが、いつ表明しようが勝手である。それを批判するのは、「共産党はだまって候補者だけ下ろしてくれればいいんだ」と言うのと変わらない。その共産党は、立憲にも宇都宮にも気をつかう立場であったから、この件で責めるのも違う気がする。

れいわの政策を街頭演説で訴えることが難しくなった以上は、都知事選でそれをするなどして、目立つことが、山本・れいわにとっては重要な事であった(泡沫扱いされる候補ではないから、少しは報道もされる)。筆者は、左派のスターである山本に傷がついてはいけないと思いつつ、かといって、山本が宇都宮を凌駕する票を取った場合、野党第1党である立憲の影響力が弱まることで、左派陣営が混乱するという事も心配した。どうしていたとしても、結果は小池都知事の圧勝で、それは残念な事なのだが、問題だらけであるとしても、現にコロナ対応に追われている知事を取りかえるのを躊躇する気持ちは分かるし、テレビに多く映った者勝ちというのが、日本の以前からの傾向である。いちいち落胆してはいられない。

だから、都知事選についてはただ、以下の各党の課題を浮かび上がらせたのだと、総括しておくことにする。

・自公両党は小池知事との関係をどうするのか。

・小池知事は都民ファーストをどうするのか(都議補選では候補が立っていたが自民党が全勝)。

・国民民主党の不統一(応援する候補が本当にバラバラであった。なお、立憲からも山本支持の須藤元気が離党した―比例での当選者であること、その際の須藤の個人票の少なさを合わせて考えると、いくら立憲執行部に問題があったとしても、良くないやり方であったし、安易な行動であったと思う―)。

・左派野党の限界をどう突破するか。

(追記:2021年都議選の結果については、ブログの「」で述べた。)

 

さて、れいわ新選組の不振について述べているが、最大の問題は、山本代表が国会議員でないことだろう。街頭演説を封じられると分かっていたら(もちろん全く予想できない事なのだが)、山本は参院選に比例優遇枠以外で立候補していたと想像する。山本が参院議員であれば、都知事選の問題も起こってはいなかったはずだ(当選したばかりなのに国会議員を辞めて出馬するというのは、国民が許さない、つまり選択肢とはならなかったはずだ)。都知事選に出なくても、国会における質問等で、少しは目立てたはずだ(山本が比例でない選挙区から出馬していた場合、比例での得票が少し減っていた可能性も否定できないから、れいわが3議席獲得できていたかは分からない。議席が少なければ、質問時間等も短いわけだが、他の左派政党は時間を分けたりしていただろうか。れいわは民主党系の会派に参加していただろうか-実際にはれいわは2議席獲得で、会派は単独―)。

だからとにかく、山本には総選挙(参院選より必ず先にあるし、インパクトも大きい)で当選して欲しい。れいわが何議席取れるか分からないが、立憲民主党は、当選した山本の質問時間が増えるようにして欲しい。

山本は衆院選で当選したことはない。一度だけ出馬し、その時は東京8区(自民党の石原伸晃がずっと当選している)であったが、選挙区が決まっているわけではない。仮に小選挙区で敗北するとしても(れいわで出馬する限り、比例で復活当選するのも容易ではない)、選挙全体の流れを変えることができるような選挙区での、立候補が期待されている。それは例えば総理大臣など、自民党の要人の選挙区だ。あるいは維新、公明が勝っている選挙区も考えられる(山本は関西出身であるし、次に維新が勝ちそうな選挙区も含めて、前者はあり得る。後者については、山本ほど有名でなくても勝てる可能性はあるから、期待は膨らまないのではないだろうか)。このことについては、山本も選択肢に入れているし、色々噂もある。

これについて筆者は、他の左派野党のバックアップがない限り、すべきではないと思う。いや、本当はして欲しいのだが、本人の意志であるとしても、そのような利用のされ方は、子どもの教育上も良くないと思うのだ。バックアップというのはもちろん、利用するだけではなく、本気で山本を助け、比例復活もできずに落選した場合にも、次の参院選や、他の補選によって国政に戻れるよう、手を尽くすという事だ。立憲とれいわに政策の違いはあるが、理念はほとんど変わらないはずだ。それくらいの度量がなければ話にならない。

ここまで述べて気が付くことがある。山本と同じく、N国党の立花代表も、国会議員でなくなった。初当選後まもなく議員辞職をし、名簿登載者で得票が2位であった浜田聡が繰り上げ当選した。浜田の得票は立花の10分の1にも満たないが、だからこそ、立花に忠実だ(過去のミニ政党を見ると、自民党に引き抜かれることはあり得そうだが、それ以外の心配はないだろう)。しかし立花の場合は山本とは違って、単に世間を騒がせることで支持を広げるという面が大きいこと(これはむしろ、国会議員でない方が自由にやれるのかも知れない)、NHKという敵を設定していることから、代表が議員でなくなったことは、れいわのようなダメージにはならなそうだ。

N国党の場合はしかし、その、世間を騒がせるという手法が災いしている。ゼロ議席の党としては、これは有効であったが(それでもコツコツと地方議員の当選者を増やしてきた)、一度議席を得て知名度も上がると、批判も多く受けるようになる。投票してはいけない政党としても、知られてしまうのだ。同時に、支持者が求める勝利は、より大きなものとなる。国会議員が少しずつでも増えなければ、増える見込みが立たなければ、落胆されることになる。それはこれまでの党勢拡大よりも難しい。N国党のドタバタは、参院選直後こそ、勝算をもって仕掛けられたものであったようだが、その後は苦し紛れのものに見える。

まずは、MXテレビとマツコ・デラックスを訴えたことである。これは参院選の直後だ。

マツコはテレビ番組でN国党について、「今のままではただ気持ち悪い人達」と発言した(奇をてらっていたことは確かだと言える、同党の政見放送等を、指して述べたものだと考えられる)。マツコの発言もきつくはあったが、歯に衣着せぬ物言いを売りにしているタレントの、範疇を超えたものだとは言い難い。このことで、好感度の高いマツコをターゲットにしたのは失敗であった。しかも、集団訴訟の原告を動画で募るというやり方も、多くの国民を引かせるものであった。立花代表は注目されるためだとしているが、そうだとしても良い手ではなかった。

次に、参院選の直後ではない、例を挙げる。立花党首が、NHKに対する抗議の演説を、街頭(NHKが入っているビルの前)でマイクを用いてしていたところ、すぐ近くの予備校から、授業の妨害になると苦情が入った。しかし立花はそれでも続けた(法律違反ではないから良いという主張だが、これは迷惑行為だと言える。違法でなければ良いという、最近一部に見られる風潮と合致している。これは弱肉強食の新自由主義とも相性が良い。政党で言えば維新の会がそうであるように筆者には見えるが、維新の府議・衆院選立候補予定者であった田中孝博らが中心であったと見られる愛知県知事リコール不正は違法であり、非常に深刻だが)。それが全て悪いということではないが、授業時間を避ける、または音量を、ほとんど目の前の歩行者にしか聞こえない程度にするなど、できることはあったはずだ(それではNHKに届かないが)。それでは効果が薄いと言うのなら、他の方法を考えるべきだろう。そうでないと嫌われるだけだ。それでも嫌わず、面白がる人、引き付けられる人をターゲットにするのでは、国政ではどんなに良くても1議席だろう。それも非常に難しいと思える。新しく無所属議員を加えるのも無理だろう(問題を起こして他党を離れた議員であってもだ)。

維新をとがらせた政党(「れいわ新選組と、NHKから国民を守る党について」参照)、という点では、「アイアムヒトラー」と、動画で発言したことが象徴的だ(これは参院選後間もなくのこと)。橋下徹は維新の会の共同代表(石原慎太郎と共に)であった2013年、慰安婦制度が当時は必要であったとする発言をした。維新の会は人気絶頂期にあったと言えるが、これでしぼんだ(以後は根強い支持があると言った方が近いと思う)。

この2つの発言を一緒にしてはいけないとは思うが、共通しているのは、外国では通用しない、許されがたい種類の発言であり(賛否があり、最近話題になることも多いポリティカルコレクトネス以前の問題だと言える)、日本の「世間知らず」を象徴するような発言であることだ。日本でも眉をしかめる人は少なくないが、単純に拒否感を覚える人の他に、「これでは・・・」と思う人もいるだろう。タレントであった橋下のようにぶっちゃけたことを言うという点でも、立花・N国党は、維新が尖ったものだと言える(立花・N国党は度が過ぎていることが多いが)。

さらに、エキセントリックなところがあるN国党には、似た人が集まる(もちろん全てがそうだというわけではないが)。目立つやり方を探して、本当にゼロから議席を得た立花孝志はすごいと思う(れいわもそれに近い面があるとは言え、山本代表はもともと名がある程度知られた芸能人であっただけでなく、小沢一郎の生活の党に加わり、それを「生活の党と山本太郎となかまたち」に改称してもらい、その共同代表にまでなっていた)。だから日本の政治に風穴を開けることに、筆者も少しだけ期待していたが、その先が難しかった(「少しだけ」とした理由については後述する。

前節で触れた、コロナを風邪だとしてマスク、ワクチンに反対する動画配信者は、立花が招いたのであった(参院選に立候補させた)。彼は立花に心酔したようだったが、党内でもめてN国党を離れると、N国党にしつこくつきまとう姿勢を見せた。そして新型コロナが流行すると、これを陰謀論に絡め、コロナが単なるカゼだと主張をしたのである。

筆者も、コロナを危険視し過ぎて景気を悪くして良いのかと、全く思わないわけではない。経済については対策がとれるとは言っても、限界はある。コロナよりも経営不振等による死者が増えるという問題意識も、理解できる。しかしコロナを風邪のようなものだとは思わないし、こういった問題については、絶対視まではしないとしても、専門家の言葉に謙虚に耳を傾ける必要があると考える。仮に専門家を信用できないとしても、コロナを風邪のようなものだと考えない人々を怖がらせるようなことをするのは、論外だ。自分が注目されるためにコロナ禍を利用しているだけだと、言っているに等しい。

この件は、N国党と直接関係はないが、同党の問題点が良く表れていると思う。

一方で、N国党は重要な役割も果たしている。それは、今の政治の矛盾を突くということだ。2020年4月の静岡4区補選のように、主要政党の候補者と同姓同名の人物を擁立したのは、日本の、古い記名投票制の問題点を突いている。ただしこれについては、自民党よりはるかに弱い国民民主党の候補に使ったという点で(条件がそろったためであり、成功すれば自民党に仕掛けるとのことだが)、筆者はどうしても共感し難い。しかし、2019年10月(まだ参院選から日が浅い)の、参議院埼玉補選への立候補は、文句なしに素晴らしかったと思う(立花が、なったばかりの参院議員を辞職のはこのためであった。比例代表での当選であったので、N国党の議席は減らなかった)。

国民民主党の参議院議員であった大野元裕現埼玉県知事には、自分が参院議員を辞める(知事選出馬のため)のを遅らせて、補選が参院選と同時に行われないようにしたという疑惑がある。その恩恵に預かったのは、民主党出身だが保守系の(民主党の前には新生党などに属していた)、上田清司前知事であった。上田は知事を満期まで務めた後、参院選(大野の分の補欠選挙)に出馬したのだが、大野が参院選の前にやめていれば、それはできなかった。

埼玉県知事選では、大野が自公両党の推す候補を破り、当選した。敗れた自公両党は、欠員の出た1人分を争うだけの、そしてもともと国民民主党の議席であった(選挙の時は民進党)こともあり、参院の補選については不戦敗を決めた。単なる不戦敗ならまだ良いのだが、そこには、上田が憲法改正に積極的であったという背景がある。上田は結局民主党系の統一会派に入ったが(追記:再編後は新たな国民民主党の会派に所属)、自民党の側に転じる可能性が比較的高いと見られる候補でもあったのだ。この上田の憲法に関する考え、また他の点でも相容れない(例えば上田は夫婦別姓反対派だ)はずの枝野立憲民主党代表も、埼玉県政では上田と協力関係にあったこともあり、見て見ぬふりをした。この枝野の姿勢には、不満を持つ左寄りの有権者も多かったと思う。筆者も不満を持ったが、同時に左派野党の置かれた厳しい状況(自らの責任でもあるが)を考えると、枝野の現実志向を全否定する気にはなれなかった。

こうして、選挙は無風になるかに思われた。その時、立花が埼玉県知事選に立候補したのだ。当選は確かに難しかったが、上で述べた矛盾を浮き上がらせるだけの力が、まだ当時の、勢いに乗る立花・N国党にはあった。

一方で、筆者には当時から、N国党を評価できない決定的な理由があった。そこにも「とがった維新」という面がある。立花は、公約のNHK放送スクランブル化(受信料を払った場合にだけ映るシステムで、払わず見ないという選択もできる)をどう実現させるのか聞かれると、自公維の3党合計でも、参議院では3分の2に届かないことを踏まえ、憲法改正で自民党に協力する代わりに、実現させてもらうとしたのだ。N国党は1議席、会派を共にする渡辺喜美を含めても2議席であったが(衆議院では、維新の会を除名された丸山を入党させて1議席)、自公両党だけでは参議院で3分の2に届かず、また、公明党が改憲に積極的ではない中、N国党もキャスティングボートの一角を握っているとは言えた(それが言い過ぎだとしても、熱心な支持者がいること、注目度も含めて、多少の影響力はあったと言える)。

これは維新の会や公明党と同じく、自民党にぶら下がって、ごく限られた政策を実現させるというスタイルで(ワンイシューのN国党にとっては唯一と言える看板政策だが)、1党優位を強化してしまうという、大きなデメリットのある行為である。実際はそうはならなかったが、こんな政党ばかり増えてはと、筆者は落胆した。

さらに立花代表は、次の総選挙で枝野の選挙区に、堀江貴文を立てたいとした。これも結局維新の会と同様で、標的は第2党(野党第1党)というわけだ。そうなる理由が第2党にもあるとはいっても、これでは結局何も変わらないというのが筆者の考えだ。最も既得権益どっぷりの自民党がまた笑うだけだということだ。1党優位制をひっくり返し、国民が選択できる状況にしなければ、自民党以外の政党に与党経験が蓄積されない。皆が第2党を目指して2位争いをしたり、とにかく倒しやすい第2党を引きずり降ろそうとするのでは、第2党の質は向上しない。2位争いがただ、永遠に続くことになるだろう。それ自体を克服しなければ、何も変わらないのだ。

最後にN国党についてまとめる(れいわについては「れいわ新選組」でまとめてある)。

半分繰り返しとなるが、「NHKをぶっ壊す」ために、党の知名度を上げようと無理に話題づくりをする。それが、そういった話題が好きな人以外からは、むしろ否定的に見られる。「NHKをぶっ壊す」事に本気でないようにすら見える。一方、そういった話題が好きな人の多くは、すでにN国党に注目していると考えられるから、もう支持は広がりにくい。NHKを含めた放送局を既得権益として敵視するやり方は、新自由主義的な議員もしている。最近でこそ変化が見られるが、マスメディアは自民党に批判的で、民主党系に肩入れしている面が大きかったため―筆者は民主党政権の時はそうでもなかった、つまり常に与党に厳しいのだと思うが―、この姿勢は保守と親和性があるのだ)。その上N国党の党勢では、マスメディアが無視をすることがそこまで不自然ではない。こうして埋没すると、次の選挙で多少盛り上がることはあっても、2019年参院選の再来すら、難しくなる(比例のハードルがより高い衆院選では、当然議席を得られない)。

N国党は、多くの人が引いてしまうようなことをせず、まじめにひたむきにNHK改革(民営化)に取り組んで、それが(他の勢力によって)ある程度実現するまで地味に生き残るしかないと、筆者は思う。真剣にやっていれば、地方議会での議席獲得、次の参院戦での比例1議席獲得は何とななるかも知れない。優位政党にすり寄ることには筆者は否定的だが、ワンイシューの政党である限りは、仕方がない事だとも思う(だから筆者は、1党優位の下でのワンイシュー政党には、結局肯定的になれないと分かった)。

ワンイシュー政党でなくなるのなら、他党(特に反既得権益の政党)と別に存在している根本的な意味を見つけ、示さなければならない。

欧米では、左派政党も度々政権を担うエスタブリッシュメントと見なされている。日本はまだそこまではいかない。左派政党の指導者層がエリートであっても、政界では(残念ながら)負け組だ。五十五年体制については、社会党の腐敗も問題になったが、それは権力を持っているからではなく、自民党の力に預かっていたからである(革新自治体がなくなっていってからというもの、地方議会は共産党以外オール与党というところが多い)。第1,2党が共に、主役として癒着構造の中にあるという状態を経験せずに、とがった政党ばかりが目立って、社民系の大政党が埋没するというのは、結局癒着構造を温存させることにつながってしまう。少々のガス抜きに終わるということだ。現状に対する不満をエネルギーにするミニ政党は、このことと向き合わなければいけないと思う。

党首の知名度に頼りすぎるのもミニ政党の特徴である。今は参院の比例で、一、二度、1、2議席を取るにとどまるようなものをミニ政党と呼んでいるが、それらが普通の政党になるには、党首の知名度への依存からの脱却がカギになる。ミニ政党ではないが、維新の会は吉村人気で、それ(橋下依存)を脱したように見える。だが、今度は吉村人気に依存するということになれば、それは延命に過ぎない。