1党優位制を守る、「繰り返し」

離合集散や党内抗争ではなく、国民が選挙で変化を起こすようにならなければ、一人前の民主主義国とは言えない。しかし、日本では変化が政治家にお膳立てされ、国民はそれを追認してきた(『政交代論』「歴史上一度だけの政権交代」参照)。護憲三派内閣も、西園寺の憲政の常道(戦前の政党内閣期)も、細川非自民連立内閣も、その後の自民党の政権復帰も、第2党の、新進党、民主党への交代も、皆そうだ。国民はそれを受け入れ、次の選挙で追認するだけだった。唯一違うのが、2009年の政権交代だ(と、2012年に自民党に戻したこと)だ。1947年の総選挙で社会党が第1党になったこともそれに違いが、それまでの連立与党(日本自由党と日本進歩党→民主党)の合計は、社会党をはるかに上回っていた(選挙制度上無理もないことだとは言えるが)。そして社会党中心の政権ができても、(社会党内の対立も深刻であったが)いつも野党自由党と連立パートナー民主党の、見えない連合に脅かされていた(吉田茂、芦田均の両党首の関係は良くなかったが、その二人も、少し前までは同じ自由党の議員であった。多くの民主党議員が自由党に移ったことが、それを示している)。

立憲民主党と国民民主党が合流すると聞いて、「またか」、「いつまでやってるんだ」と思った人は、少なくはないだろう。それは無理もないことだ。日本の政治は同じことをあまり進歩もせず、繰り返している。時代の変化などに応じて、政党や政党システムの再編が必要になることはある。1党優位の日本では、非優位政党の合流が必要だと言うこともできる。しかし民主党は、合流に次ぐ合流によって、あいまいな政党になってしまった。

だから今度の合流で、中道という言葉を綱領に用いなかったことを、筆者は高く評価している。今度は宣言こそしていないが(それを許さない日本の現状も、もちろんそれを招いたかつての左派政党も問題)、事実上は、明確に社民系の政党としてまとまった。しかしそれでも社民系でない、社民系に同意していない議員が入っている。それ自体は大きな問題ではない。党に幅、多様性があることには、メリットもある。大政党であれば柔軟さも求められる。基本的な理念だけは、ぶれないような政党になれば良いのだ。全員が同じ色でなくても良いが、社民系的なものに全く同意していない議員が、今一番有利だと思って参加し、党が逆境に陥った時、手のひらを返して不満をぶちまけたり、他党に移動しようとすれば問題で、そのような議員は少ない方が良い。

本章では過去の繰り返しを、政治家だけではなく、我々一般国民の教訓としても、整理しておきたいと思う。前提として次のことを述べておきたい。戦前は自由党系が第1党である期間が非常に長いが、藩閥の力が強く、政党内閣ができそうにない時期には、優位政党は自由党系ではなく、総理大臣を決める力を持っていた藩閥であると見ることができる。

さて、次の通りだ。

 

⓪ 現実的、機会主義的な政党が優位政党になる。

※頻繁に繰り返されることではないので⓪とした。

例:明治期の自由党系、その流れを汲む戦後の自由党系

戦後の、吉田茂をトップとしていた時の自由党系は、機会主義とも言い難い。自由党系は、戦前は藩閥(より具体的には薩長閥。総理大臣を事実上決められる)に寄ることで与党となった。戦後(吉田の時代)も、GHQと近いことで権力を維持した。しかし吉田茂は、第2次吉田内閣成立の時には、GHQと関係が良くなかった。それでもその後は、GHQが右にシフトしたことで、これに最も近い政党となった(公職追放介助者が加わったこともあり、民主党→国民民主党→改進党→日本民主党の流れが再軍備・自主憲法制定を志向するようになっていったが、それは右だとは言っても、GHQが許すものではなかった)。

 

① 優位政党に対抗しようとする第2党は、とにかく反対の、対決型の政党、理想主義的な政党になる。

例:戦前の改進党系、戦後の社会党系 ※戦後の改進党系にも、このような面がある程度あった。

 

② 第2党が弱く、非現実的であることから、その内部に不満が生じ、分裂する。

※第2党が支持を失う時に新党ブームが起こることも、冷戦終結後は多くある。

例:立憲自由党(自由党系)からの、自由倶楽部の分裂

※立憲自由党は第1党であったが、政党内閣はまだ実現していなかった。

憲政本党(改進党系)からの、三四倶楽部の分裂

※現実的になろうとした憲政本党が分裂した。

立憲国民党(改進党系)の、立憲同志会参加者と、残留派への分裂

立憲政友会(自由党系)からの、政友本党の分裂

※立憲政友会は優位政党であったが、この当時は非政党内閣が続いていた。

日本社会党の、左派と右派への分裂 ※分裂時は第3党に転落していた。

民主党(改進党系)の、連立派と野党派への分裂

日本社会党からの、民主社会党(民社党)の分裂

民進党(社会党系)の、希望の党参加者と、立憲民主党(、と残留者)への分裂。

※ より小さな分裂はもっとある。

 

③ 優位政党が他党の議員などを、小規模か、個々に吸収する。

※常にみられる現象ではあるが、②の場合にも、非優位政党の離党者、あるいは分裂した、その一方を吸収するか、味方に付けることがあるため、③とした。

・・・小規模、1人ずつなので、吸収した後も、動揺しにくい(党内対立、党分裂の火種となりにくい)。

例:小規模であるがゆえ、挙げればきりがない(五十五年体制では、小党である新自由クラブを吸収した例はあるものの、他には非常に少ない)。

まとまった勢力の吸収を挙げると、日本自由党が、民主党離党者を吸収して民主自由党に、さらに民主党の連立派を吸収して、自由党になったという例がある。同時期の第2党と比べて、党名があまり変わっていない点が、非優位政党の再編と異なる。

 

④ ごくまれに、優位政党が権力闘争によって分裂する。

(優位政党だからこそ、権力闘争は時に熾烈)

例:(自由党からの、同志倶楽部の分裂)

※他にも似た事例があるが、政党内閣がまだ実現しておらず、衆議院の過半数も上回っていなかったので、この当時の自由党系を優位政党とは言い難い。

憲政党の、憲政党(自由党系)と憲政本党(改進党系)への分裂

※自由党系と改進党系が合流して憲政党を結成、衆議院は同党の独占に近い状態となり、さすがに藩閥から政権を譲られ、初の政党内閣が成立した。しかし両派の対立によってすぐに崩壊した。

(立憲政友会-自由党系-からの、政友本党の分裂)

※当時非政党内閣が続いていたため②の例として挙げたが、④に全く該当しない

までは言えないので、ここでも挙げることにした。

自由党からの、自由党(鳩山派)の分裂

自民党からの、新自由クラブの分裂

※この分裂は権力闘争ではなく、クリーンさを重視した議員が離党した。

自民党からの、新生党と新党さきがけの分裂

自民党からの、国民新党、新党日本、無所属となった郵政民営化反対派の分裂。

※新生党、国民新党、新党日本の場合は政策による分裂という面と共に、政策が権力闘争の口実にされたという面もある(新党さきがけの場合も、武村代表が、当選回数至上主義の自民党において、自身の滋賀県知事選での当選がその回数に含まれないことに不満を持っていたようである―確認できなかったが、何かの出版物で読んだと記憶している―)。

自民党からの、みんなの党の分裂

 

⑤ ②と④の分裂や、第2党に対する不満から、新党が浮上する。

※ 戦前については、例は多いものの、煩雑となるため省略する(戦前は、政党を名乗っていないながらも、戦後で言えば政党にあたると言える会派等があった。それも含めて例が多いということである)。

例:民社党(社会党の離党者)、公明党(完全な新勢力)、新自由クラブ(自民党離党者)

日本新党(自民党出身の細川護熙が結成)、新生党(自民党離党者)、新党さきがけ(自民党離党者)

民主党(社民党の離党者と新党さきがけの離党者)

みんなの党(主に自民党の離党者)、日本維新の会(地域政党は自民党の離党者だが、国政では民主党の離党者、みんなの党の離党者で、そこに自民党離党者による右派政党が合流)、希望の党(自民党離党者が結成するも、乗っ取られて民主党系の政党になった)

 

⑥ 第2党が優位政党に対抗しようと、他の政党、会派、無所属議員と合流する。多くの場合名称が変わる。

例:立憲改進党等による、進歩党の結成

憲政本党(改進党系)等による、立憲国民党の結成

立憲国民党の離党者(立憲国民党の過半数)等による、立憲同志会の結成

※もともとは藩閥(長州)の桂太郎の新党構想

立憲同志会(改進党系)等による、憲政会の結成

憲政会等による、立憲民政党の結成

日本進歩党(改進党系)等による、民主党の結成

民主党(改進党系)等による、国民民主党の結成

国民民主党(改進党系)等による、改進党の結成

(改進党系への公職追放解除者の復帰という面が大きいが、農民協同党の半数以上の議員が参加。なお、小規模の合流であるので、③において省略したが、国民民主党の過半数の参議院議員が参加しないという、大量の取りこぼしが生じた。しかも、その不参加者の半数近くが自由党に合流した)

改進党(改進党系)等による、日本民主党の結成 ※主導権は自由党の離党者

社民党(社会党系)の離党者(衆議院議員の約半数)等による、民主党の結成

民主党(社会党系)等による、民主党の結成

(手続き上は民主党による民政党、新党友愛、民主改革連合の吸収だが、新たに民主党を結成するという演出がなされた)

民主党(社会党系)による、自由党の吸収

民主党(社会党系)等による、民進党の結成

民進党(社会党系)の、希望の党への合流

※非常に特殊な例である。具体的には、第2党の民進党の衆議院議員やその候補者が、希望の党から出馬することとなり、それは事実上の、希望の党による民進党の吸収であった(希望の党のブームが続けば、参議院側も希望の党に合流していたと考えられるが、そうはならず、また希望の党は民進党系の議員が大部分をしめ、動かす政党となった)。

立憲民主党(社会党系)等による立憲民主党の結成

※⑥の場合などに、第2党が優位政党の離党者を迎えて党勢を強めようとすることがある。立憲民政党との2大政党制(ただし選挙による政権交代はなかった)になるまで、自由党系は2回だけ第2党になったが、2回とも藩閥の人物、具体的には伊藤博文(党首に担いで立憲政友会を結成)、田中義一を党首に迎えている。藩閥の桂太郎の新党構想(→立憲同志会)には、第2党であった立憲国民党(改進党系)の約半数が参加した。この政界縦断(野党同士の「横」の再編ではなく、より権力に近い勢力との再編。筆者は優位政党と野党の合流も、これに含めて良いと考えている)が、戦後も続いていると言える(日本自由党の芦田均を党首に迎えた日本進歩党-改進党系-、自由党の鳩山一郎を党首に迎えた改進党、自民党出身の鳩山由紀夫、岡田克也、小沢一郎を党首とした民主党-社会党系-)。

この経験から、野党は優位政党の分裂に期待することが多い(例えば加藤の乱―『政権交代論』「高支持率の小泉内閣と、その限界」参照―、石破茂への期待)。

 

⑦ ②に戻る=第2党が無理な合流と、何よりも、理想・対決路線か、

現実・是々非々路線かで、大分裂。

 

・優位政党には権力志向の議員が集まり、第2党(野党第1党)には反権力、理想主義的議員、優位政党の党内抗争に敗れた議員が集まるという傾向もある。また第2党には、単に優位政党から立候補できず、「滑り止め」として加わる候補者も少なくないと考えられる。

 

・別の視点から、五十五年体制成立とその後の日本の政党制を見てみよう

① 強力な社会主義政党が現れること(左右両派社会党の統一)を警戒して他の政党が合流(自民党の結成)。

② 戦前の2大政党等が合流している自民党(生まれながらの与党、何でもあり、利益誘導)の自民党が強すぎたことと、敗戦や中選挙区制の影響(『政権交代論』「疑似政権交代の背景にある自民党の多様性と中選挙区制」参照)が合わさって、社会党の、社会民主主義政党への脱皮が失敗。良いことではないが、「自民党があれば十分」と思ってしまうような状態になった。

③ 社会党の非現実的な路線が同党の分裂を招き、民主社会党(民社党)が誕生(党名最左派が同再右派を追い出したに近い)。

④ 戦前の左派政党が、弾圧や離合集散によって、独自の組織を強固なものとする余裕がないまま敗戦を迎え、戦勝国による改革で、労働組合が公認のものとして強くなったことから、社会党や民社党は労組に過度に依存する政党となった。このため、労働組合に入っていない、比較的貧しい層を支持基盤とする公明党が誕生、同様の共産党も躍進した。

⑤ ③や④の野党多党化によって、国民の選択肢こそ増えたが、それは政権選択に結び付かない、偽りの選択肢であった(1強多弱化と言えるが、「1強」の傾向は、一部の例外を除き、ずっとあったと言える)。

⑥ 自民党政治・五十五年体制が問題視されたことと、社会党の社会民主主義政党への脱皮の遅れが合わさり、自民党のライバルに改革派の保守政党が求められる風潮となって(保守2大政党制の実現が期待された―保守と中道の2大政党制が望まれたというべきかも知れないが、それも広くは保守2大政党だと言える―)、新進党が誕生した(自民党離党者による新生党等と、公明新党、民社党、日本新党の合流による―公明党は党を2つに分け、参議院議員の一部と地方議員を公明という政党として別に残した―)。

⑦ しかし新進党は、非自民の全勢力を集めたものではなく、左派勢力(社民党、その離党者による民主党、共産党)が残った。しかし当時は、共産党を除けば各党の主張が似ていた(社民党はやや異なっていたとも言えるが、当時はまだ自社さ連立の一員であり、その後のように自民党との違いを強く打ち出してはいなかった)。それはつまり、行政改革等で古い政治を変えると共に、癒着構造と一体化した無駄や規制を省いて財政を再建、社会保障の質を維持するというものであった(これについても問題があるとする政党は、特に当時はまだ存在し難かったであろう)。結局、新進党と民主党(当初は中立を自負)という非自民勢力が共倒れする状況となり、自民党優位は変わらなかった。そうなると、新進党の少なくない議員が自民党に入、復党した。

⑧ やはり保守2大政党制は難しく、社民党系に保守系議員が入ることで(民主党の結成と拡大)、自力によらずに社会民主主義政党への脱皮が実現。しかし方法が方法なので、自民党とは別の意味で何だか分からない政党になった。

⑨ 小泉政権の誕生→民主党の変化によって、ようやく明確な、保守政党vs社民政党による、政権交代のある政治になったように見えた。しかし、民主党政権を国民が1年弱で見限り(参院選でねじれ国会に)、再び保守2大政党制を求める風潮が強まった。

 

今:左右の2大政党か保守2大政党か、その答えが出ないまま、1人しか当選できない小選挙区制中心の選挙制度で、自民党の大勝が続いていると見ることもできる(自民党vs左派政党vs第2保守党という構図が冷戦後、00年台を除いて見られる。00年台は民主党を左派政党としない見方もあった)。

 

今はどこにいるのか、繰り返しとなるなら、その未来は立憲民主党の分裂・・・→