選挙の前に党首・総理大臣を代えれば、中身が変わらなくても勝てる

最後にもう一つだけ、上で書かなかったが重要な、しかし悪しき繰り返しを2つ述べておきたい。それは、優位政党が党首・総理大臣を代えて支持を回復するということである。これは民主党政権でも起こったが、あえて優位政党を主語にしたのには、当然理由がある。

民主党系は、利益誘導ができる自民党に、組織票で大きく劣る。無党派層の支持では、自民党を上回るとしても(それも民主党政権の失敗の後では、難しくなっている)、自民党に勝てるほどではない。無党派層は多いとされるが、実際に選挙に行く人を見ると、やはり自民党に勝てない(無党派層の中にも、自民党に投票する人も当然いるのだし)。2009年の総選挙は、色々な事が奇跡的に重なり(「合流するなら取りこぼすな」参照)、政権交代が実現した。しかしそれによって誕生した民主党政権は、自民党政権とは違い、衆議院を解散すれば、(与党での)過半数を失う可能性が高かった。民主党の支持率が下がったからだと、筆者は思っていない。仮に下がっていなかったとしても、2009年の奇跡的な好条件がなければ、過半数の維持は難しかったのだと見ている。

党首・総理を代えることについても同様だ。2012年、民主党下野の3ヶ月ほど前、民主党の代表選では野田が再選された。しかしこの代表選で別の人物が選ばれていたら、3年で4人目の民主党総理が、いくら人気のある人物であったとしも、同党を勝ちに導けたとは思えない。鳩山由紀夫の次、菅直人の次でも、決して安心はできなかったと思う。

党首・総理を代えて選挙に勝つという「技」は、まず自民党しか使えないということである(そもそも自民党以外が政権を取る事はほとんどない)。

しかしそこには大きな問題がある。政権選択は党首以上に、その党の理念、政策が重要である。党首のリーダーシップで政策はもちろん、理念的の面でもある程度(時代の変化が大きい場合は多少大きく)変化することがあっても良い。しかし現に政権を運営している政党が、野党にならないまま、支持回復のために政策を変えることは、有権者(国民)の選択に反することになるので問題だ。優位政党の優位性をいたずらに強化することになるという点でも、もちろん問題だ。

政権党は、自分たちの政策がまずいと思えば、当然それを修正するべきだ。だが、基本的な方針まで変えるのであれば、よほどの事情がない限り、衆議院の総選挙で、民意を問う必要がある。しかしその衆議院の解散は、優位政党の地位の維持、優位政党内での政局に利用されることが多々ある(有利な時に解散すること、党内の反対派、反主流派を黙らせることが優先されてしまう)。筆者は、特に1党優位の日本においては、解散権の制約が必要だと考えている。だから政権が基本方針を変える場合であっても、野党の出す内閣不信任案が可決されない限り、衆議院の解散は避けられるべきだと思っている。判断は次の総選挙で(あるいは参院選でも)示されるべきだ、であれば仕方がない。自民党が独善的にならぬよう、願うしかない。

ただし本当は違う。国民が自民党の基本方針の転換を、責めるべきなのだ。それが良いものであったとしても、自民党が何でもありの優位政党である以上は、それまでの失敗から、「一度野党になって、自己点検しなさい」と言うのだ。そうされないために、問題のある方針を自民党が変えないなどということは、あまり考える必要はないと思う。基本方針の転換を問題視され、総選挙で負けるという事が繰り返されない限り、そういった事はさすがに起こらないと思うし、繰り返されている場合には、自民党とそのライバルは対等となっているはずだ。ここではあくまでも、1党優位の自民党を問題にしている。1党優位でなくなれば、国民の総合的な判断に委ねられると思う。

改めて確認しておくと、政党の大転換(状況の変化、自らの誤りを認識した内閣の、一定の方針転換とは違う、政党としての、より根本的な転換)は、本来は野党の時に、落ち着いた状態で、客観的に分析、議論をした上で、実現させるべきことである(その上で次の総選挙で審判を受ける)。そしてもひとつ。癒着構造を変えられないまま、党首・総理という表紙が変わりましたというのを、国民は追認するべきではないと思う。自分たちで決めさせてくれと、言うべきだと思う。それでも優位政党(自民党)を支持するという人も、1党優位を改めるために、それが改まるまでは、野党に投票して欲しいと思う。

戦前は江戸幕府を崩壊させた藩閥(薩長閥)、戦後はアメリカ。このような権力が許す限りの自由、民主をありがたがってきたのが日本人だ。「多くの血が流れるような革命を起こして、自ら勝ち取った自由、民主でなければ価値はない」とは言わないが、そういう国が多くあること、自由、民主が、得られて当たり前のものであるべきだとしても、実際には当たり前のものではないことを、忘れてはいけないと思う。