日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
政党の対等な競争なくして日本の沈没は止められない

政党の対等な競争なくして日本の沈没は止められない

当初筆者は、今回の総選挙を、2000年代に戻るものだと期待した。

2000年代に20代だった筆者は、政局による自民党の下野と与党復帰の後、1996年から4回の総選挙を経ても、政権交代が実現しない状況の中で、希望を失っていった。「民主党の議席は少しずつ増えている。しかし政権交代まではいかないのだ」と、確信を深めていった。2005年の総選挙では議席も大きく減らし、「議席だけは増えてきている」という、わずかな拠り所も消えた(政権交代がある国で、野党第1党の議席が減るのとは話が違う)。

31歳の頃、総選挙による政権交代が予想されるようになると、少し希望を取り戻したが、小沢代表を追い詰める検察の動きを見て、「政権交代を許すような国ではないよな」とも思った。本当に政権交代が近づいているのかと、疑う事も多かった。

ここでその時代について述べるわけではない。今述べたいのは、当時期待を持てなかった状況ですら、今では「せめてそこまではいって欲しい」と筆者が求めるものであり、それだけ事態が深刻になっているという事だ。

今回筆者が期待したのは、かつてのように、自民党と野党第1党の議席差が縮まることだ。それはもちろん、議席差が縮むこと、集票力が少しでも対等に近づくことで、政治における競争が強化されるからだ。それは与野党の質を向上させる。

企業に例えれば分かりやすい。対等なライバルがおらず、絶対に売り上げが落ちない大企業と、シェアこそ第2位であるものの、圧倒的な差を付けられた大(?)企業。そしてさらに小さな企業群・・・。質が下がろうと、「他よりはましなのだろう」と思われて、売り上げを維持する圧倒的な大企業と、その、迫る事もできない大企業に対する挑み方を巡って、つぶし合うような対決を演じる弱い企業群・・・。これでは商品の質の向上は当然難しい。もっとも、規制などがない限り、市場ではこうはならないだろう。政界と市場は違うとは言っても、日本の政治がいかにおかしいか、分かるというものだ。

ともかく、総選挙の結果だけを見ると、筆者が期待したようにはならなかった。

2000年代には、比例の獲得議席については、第1、2党が同等になっていった。しかし1位しか当選しない小選挙区での議席数については、体力の違い、浸透度の違い、権力の有無が、とても越えられるようには見えない、壁となっていた。今回、小選挙区での獲得議席は、2012年から2017年ほどの大差にこそならなかった。接戦となった選挙区もかなり多かった。しかし大きく差が縮んだとは、とても言えない。2000年代にもまだまだ及ばない。一方で、かつては拮抗していった比例票で、大差がついてしまった(2014年から今回まで、自民党の得票率は30%強、第2党の得票率は約20%、それに第3党が迫る。2012年は自民党が30%弱、第3党になった維新の会の方が約20%で、それに民主党が続いた。2012年体制で考えると、希望の党を第2党の一部と考えない限り、今回もいつもの結果で、傾向としては非常に緩やかに上向いている。だが希望の党から出馬した議員が多く、第2党の立憲に合流している事を考えると・・・)。

これから、この総選挙結果を踏まえて色々考えていきたいが、まず、自分自身を省みたい。「野党第1党に力を集めるべきだ」とずっと言ってきたが、国民の判断はそれとは遠かった。筆者自身も、「立憲が政権を取った方が日本が沈む」、「共産党の力が強まったら国防が崩壊する」などの言葉を頂いた。これはもっともな事だと思う。野党に経験と責任を与え、国を挙げて議論と決断ができる日本にすべきだと思うが、それに不安を抱く人がいても、不思議だとは思わない。ニーズに応じようとして、ニーズを生む(というよりも自覚させる)ことが足りなかった左派野党が、左派政党の必要性自体をアピールし、広める事をしなかったように(れいわは例外)、今の政治が、よく言われる「55年体制の再来」とはまた違う意味で、つまり【野党が非現実的だから有意義な議論ができない】というのではなく、【野党に立場を与えないことで有意義な議論が行われない】のだと考えることを、筆者は他者にうまく伝えられなかった。

今の政治が続いても良くなる見込みはないと言えば、ほとんど反論されることがない。それなのに、今の政治が続くというのがどういうことか、他者に伝える事がうまくできていなかった。政権交代が定着しなくても、野党の状況さえ変われば日本は変わると、考える人が多い。筆者はそれを間違っていると思うが、それによっても全く変わらないわけではない。ただしそれは、自民党の微調整の幅が、時に少し広がるだけの事だ。

日本は確実に貧しくなっている。世界の変化に乗り遅れている。大国がそうなった例はもちろん多々ある。しかし議会制民主主義の国においては、そのような場合であっても、対等な、つまりどちらも政権を取り得る政党が、有意義な議論をしてきた。国民もそれと一体的に考えてきた。そして時の政権の評価、各党に対する評価も勘案しつつ、一定のスパンで政権を任せる政党を変更し、各党を緊張させ、本気にしてきた。これこそが、政党、そして国民自身を成長させる。そのような大国は、低落に歯止めをかけ、課題は当然あるものの、比較的豊かな民主主義国としての立場を、なんとか維持している。

もちろんロシアのように、自由をも封じるような強権で、国を立て直そうとする例もある。いずれにせよ中途半端では駄目なのだろう。自由を手放すことを望む日本国民は、さすがに(まだ)皆無だと思うし、それをせずに前に進める案があれば知りたいのだが、楽な道はないと思う。

独善的になってはいけないが、昔からの、変わらない思いを抱きつつ、少し変化した状況(良くなったか悪くなったかは、正直まだ分からない)を前に、とにかく考えてみたいと思う。

無名、無力な筆者が何を考えても、日本は変わらないだろう。筆者が住んでいるのは、自民党の超大物世襲議員の選挙区であり、総選挙における小選挙区の投票は、いつも無力感を伴うものである(2009年の政権交代の時でさえ)。だが、国の主権者である一人一人が考える事をしなければ、本当に日本は沈む。少子化も国防も、そして国際競争力の低下も、好転することはないだろう。前者と関わる移民の問題に、回答が出されることはないだろう。

今回投票に行った人の中には、考えに考えたという人もいるだろう。「そんな時間も余力もないけれど」と、祈るような気持ちで、あるいはあきらめの気持ちで投票した人もいるだろう。皆無力だ。しかしそれぞれが考えの違い、立場の違いを認め合いながら、少し集まって考えてみれば・・・。

まだ間に合うと信じたい。まずは、現時点で筆者が考える事を記していきたい。

 

嬉しく、残念な総選挙→

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