日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
嬉しく、残念な総選挙

嬉しく、残念な総選挙

今回の総選挙で筆者が感じたのは、まさに興奮と落胆であった。総選挙前、目に入る情報に、恥ずかしながら一喜一憂する日々だった。「どうせ自民党が大勝する」というのではない総選挙は、いつ以来か。あの2009年の、政権交代選挙以来だから、12年ぶりだった。

このような競争のある政治は、必ず日本を良くすると思う。しかし、「またいつもの結果だね」という事を何十年もやっていれば、政治は劣化する。今回、筆者は落胆したが、深刻な1強多弱化を助けてもいる維新の躍進が、皮肉なことだが国民の期待をつないではいる。これで政治における競争の重要性が再認識されるのか、疑問ではある。しかし、それに何らかの形で賭けるしかないのも確かだ。今は全ての一歩を大切にしたいという思いだ。

ここで補足しておかなければならないことがある。本来、選挙の結果が読めない事が素晴らしいわけではない。政権交代が定着している国だって、総選挙の結果が前もって予想できる事は多々ある。大事なのは、第1党になると予想される政党が、いつも同じ政党なわけではないという事だ。これが日本にはない。議会ができて約130年、制度上議院内閣制となって約75年、国民が選挙で政権を交代させたのは、ほぼ1回(『政権交代論』「歴史上一度だけの政権交代」参照)。これが変わらない。万年与党が国民をどれだけ軽視しても、変わらない。

そもそも、今回は政権交代までいくという予想は皆無であった。筆者も政権交代(政権交代の定着への大きな一歩)を望みつつ、まずは自民党と立憲民主党の議席数の差を縮め、自民党がたるんだり、国民を軽く見る状況を変えなければと思っていた。「次は落選、政権交代かも」という緊張感が生まれることを願った。

政党間の、与野党間の、対等に近い競争が今回、実現するかに見えた。しかし結局、野党に特に風が吹かない中、多くの選挙区で自民党が競り勝った。比例では立憲、共産両党が弱かったから、イメージとしては自民党の圧勝だ。政権交代の定着はむしろ遠のいた可能性が高い。もともと遠いものが、さらに遠のいたという事だ。

結局、今回の結果は、野党があまり支持を集められなかったという面もあるが、【与党がいつでも衆議院を解散できる + 任期満了が迫って解散時期を選べなくなった場合には、党首(総裁)選挙で注目を集めつつ、党首・総理を取りかえる】という事の効果を実感するようなものにもなった。今回も様々な分析がなされているが、この事が意外と忘れられている。

確かに成立直後の岸田内閣の支持率は、これまでの新内閣と比べると低水準だった。これと野党共闘に対する危機感から、組織的な投票を、徹底した自民党が勝ったのだと言える。それでも総裁選とその報道が、自民党の宣伝になったのは確かだろう。

自公の組織力を前には、大きな風が全国的に吹かない限り、野党は勝てない(大阪では維新は与党であり、府政、市政改革に対する支持を背景に、自民党に負けない地盤を集中的に築いている。さらに今回、吉村知事が注目されたことで風もある程度吹いた)。だが比例票で見ると、そもそも立憲に魅力がないか、あるいは共産党との接近が嫌がられているということはありそうだ。今後述べるが、筆者は前者が深刻だと感じている。立憲に魅力があれば、共産党との連携についても、なぜ、どの程度必要なのか、否定的な国民の多くをも説得できると思う。

 

変わらない1強2弱、1990年代に準備された2012年体制→

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