日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
キャスティングボートという夢

キャスティングボートという夢

1党優位というのは本当のやっかいで、自民党の後退には後退で、問題がある。もしも今回、「自公過半数割れ」という結果になっていたらどうなっていたのか、考えてみるとこれも恐い。

もちろん、立憲民主党が第1党になれば、普通に考えれば政権交代だ。しかしその可能性は非常に低かった。もしかするとそれでも「立憲に政権は任せられない」などと言って、自民党中心の自公維国連立政権ができたのかも知れない(それぞれ支持基盤も含めて、普通はぶつかると思うが)。それはともかくとして、ここで想定するのは、「自民党が第1党の地位を守るものの、自公合わせても過半数に届かない」という結果だ。

これは自民党の勝利とし得るが、とても優位政党として喜べる結果ではない。しかし実際にそうなると、むしろ自民党はモテモテになる。政権交代が半ばあきらめられている日本では、小選挙区中心の選挙制度にしてもなお、政権を事実上狙わない、キャスティングボートを狙うにとどまる、あるいは「いつかは政権を取れたらいいなあ」というレベルの政党が繰り返し誕生し、参戦する。

小選挙区制下で政権を目指さない政党は、普通は、国内の恒常的な少数派の、自己防衛のためのものに限られる。あるいはせいぜい、売名などの、選挙結果と無関係の狙いがあるか、小党に没落したことを受け入れられない元大政党くらいだ。ところが日本では、やや有力な中規模政党がひしめいている。第1党の地位がほぼ「不可侵」である一方、第2党の地位は事実上、争奪の対象になっていると言える(民主党が強くなっていった2000年代は例外)。

それら中小規模政党にとっては、与党の過半数割れこそ、最大のチャンスである。それはもちろん、自民党にとってそれらの協力が必要になるからだ。それらは連立入りを目指すか、あえてそれはせず、自らの政策の採用を最優先とし、展望を開こうとする。それで国が良くなるなら良いとも言えるが、個々の政策が仮に実現したとしても、皆が自民党に群がり、すがる事で、政権を選び取るという民主主義の土台は、さらにボロボロになる。政策だって、実際には妥協の産物となる(一つの政策において、あるいは複数の政策に関する取引きによって)。そしてそもそも、自民党は選挙の段階でキャスティングボートを握っている公明党を、他と政党よりは重視する必要がある。他の中小規模政党は、基本的にはその限界の中で、自らを少しでも高く売るか、自民党、公明党を揺さぶるしかない。

このようなことになれば、多少の譲歩を強いられるという点で、自民党が弱くなるとしても、その支配はむしろ強固になる。自公連立がまさにそれだ。自民党は1998年の参院選で大敗したことで、公明党と連立を組むに至った。そこに多少の煩わしさはあるものの、以後の選挙が、特にやや苦手であった都市部において、大幅に楽になった。

そしてもう一つ。他の政党が自民党に寄って来れば、自民党は時には公明党も含めて、それらを天秤にかけることができる。「相手を選び放題」という点で、有利になるのだ。

これでは、政権から遠ざかった立憲民主党までもが、ついには同じようにして、支持基盤の労組(主に旧総評系のもの)を守るためだけの政党に成り下がってしまうかもしれない。地方ではすでに半ばそうなっており、それを変えようとしたのが維新の会だが、大阪での成果はあっても、国政においては反対に、このような状況を育てるのに一役買ってしまっている。

このまま、共産党を除く全ての政党が利益団体化して、自民党にぶら下がる構図になるなら、それは申し訳程度の衛星政党を用意し、「うちは独裁ではない」と言い張る国に近い。最初は踏ん張れるかもしれないが、遠くない将来、内閣・与党の批判ができなくなる。この事を考えると、共産党には同意できない点が多々あるし、政権交代を保証する社会主義国があり得るのか疑わしいものの、日本にとってどれだけ大切な政党なのかが分かる(今ではれいわ新選組もそうだろう)。日本共産党の存在を全否定する人には、まず今の状況を恥じて欲しいと思う。

※以上について、『政党・会派に関する図など』「自民党中心の三角関係から、2ブロック制に変えるべき」参照。

 

現状では、維新も国民民主も自民党側になったほうが、第3極が消え、今度こそ1対1の対決となり、立憲民主党が目立つ。しかしだからといって、より強くなる自民党陣営に勝てるわけではない。「自民党側に行く」といっても、統一会派、通常の連立(閣内)から、筆者が準野党と呼ぶ、好意的中立まである。だから【自民党にすり寄った政党が支持を大きく減らし、その分の票が野党に移る】とは限らない。現に維新は、あれだけ自民党に寄っていながら、自民党に批判的な人々の票を獲得している(今回の総選挙に限れば、岸田への総裁・総理交代で、自民と維新の違いが明確化したという事情があるが)。

国民にも政権交代なき1党優位は、常態として刷り込まれている。自分の党の政策が少しでも自民党に取り上げてもらえれば、達成感を得られるという人も、いるはずだ。特に日々の暮らしに関わる事であれば、切実だ。

さらには、「自民党優位で何がいけないの?」という声も聞く。1党優位では野党も国民も育ちにくいし、日本は確実に少しずつ沈んでいるのだが、今すぐ日本が崩壊するのでなければ、自民党が無難だと思う。自分達で政権を選ぶというのは、もっと安心できる状態になってから。そういう人も増えていると感じる。

確かに、それぞれの政党がそれぞれに努力をしている。維新の努力は高く評価できる。れいわは左派野党を補える重要な政党だ。しかし皆が努力をして、非自民が共倒れをする。第3党以下が、本当の意味での野党第1党の苦しさ、課題を知らない。この合成の誤謬を放置することは許されないと思う。

ここで述べた悪しき未来を変える事ができるのは、日本国民だけだ。非常につらい事だとも、議会政治の先輩国のしてきた事だとも言えるのだが、リスクを覚悟で野党第1党を強化するしかない。

(異なる道はないのか、今回の結果を受けて修正すべきは何か。それについては次章意向で考え、最後にまとめることにする。)

 

終わった三つの物語→

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