日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
立憲民主党の敗け方、勝ち方

立憲民主党の敗け方、勝ち方

今回の立憲の後退を見る際に重要なのが、「何から後退したのか」という事だ。そこで浮かび上がるのが、繰り返される再編と、その再編(と選挙)で膨らんできた、小選挙区落選・比例復活議員である。

前回の総選挙と今回の総選挙を比べると、立憲は増えている。倍増に近いとも言える。選挙前の議席数を知らず、これを比べて「増えてるのでは?」と思う人もいるかも知れない。これから先、選挙結果を調べる学生などが混乱するかもしれない。これはもちろん、選挙後の再編というトリックによる。

筆者は、議会制民主主義の先進国と言える国々の政党史に関心があり、それらの選挙結果を調べたりするのだが、「選挙前の議席」と「前回の獲得議席」に大きな違いがある事はめずらしい。しかし日本の場合は、政党の分裂、合流があったり、優位政党が他党、無所属出身の議員を吸収したりして、大きく変わっている事が珍しくない。非優位政党は、共産党を除けば政党名も変わっている事が多い(日本維新の会、立憲民主党、国民民主党のように、党名、一部~多くの所属議員は同じであっても、かつての同名の政党とは、別の政党である場合もある)。1960年代から80年代は例外だが、議会ができてから130年余り、日本は党派の離合集散がかなり激しい国だ。

イタリアも日本に近いという印象があるので改めて確認したところ、同国には大きく変化する時期がある。小勢力の、あるいは小規模な離合集散に限れば常にあるようだが、何でも引き付ける優位政党はないし、社民系の大政党が日本ほど不安定ではない。イタリアにおいて社民系の政党にあたるのは、日本と同じく政治腐敗→政治改革に応じて誕生した、民主党である。日本の民主党と同名だが、その母体はなんと共産党である。自ら変化したのだ(イタリアについては『他国の政党、政党史』「イタリア」にまとめてある。日本との比較については、主に『政権交代論』「日本と似ていたイタリア政治」参照)。

イタリアの民主党は、前回(2018年)の総選挙で第2党の地位を維持しつつも、陣営としては第3勢力に落ちた(右派陣営、次いで、単独では第1党になった五つ星運動、最後に民主党等の左派陣営、という順)。その上、分裂もしている。しかし単独の政党としても、陣営としても、他に大きく見劣りするほどではないし、党名も変わっていない。

イタリアはまだ、3つの極の力に決定的な差はないと言える。民主党が次の総選挙でさらに後退する可能性はあるが、それはむしろ、欧米の他の中道左派政党(2大政党、2大勢力の一方である社民系)の不振と似ていると思う。ドイツの社民党のように、政権の中心に返り咲いた例もある。確かにイタリアの民主党には、そう言えないほどに沈む可能性があるし、フランスの社会党などはかなり危機的な状況にある。もう少し状況を見なければ分からない面は大きい。だがともかく、イタリアの民主党は何度も政権を担当しており、今も与党(ポピュリズム政党との連立に成功し、与党第2党になった)であり、日本の民主党系ほどに、厳しい状況にあるとは言えない。

日本の民主党は、2012年の総選挙における惨敗以来、毎回、その次の総選挙までに再編をしてきた。2012年の総選挙より前の、政権を担っていた時期には、大量の離党者が出て、日本未来の党が結成されるなどした(日本未来の党は衆院第3党であった)。

※再編と議席数についてはこちらの図を見て頂きたい。・・・大まかな再編の動きはこちら(民進党は、民主党に、大阪派が離れた維新の党、維新の党を離れた議員が結成していた改革結集の会が合流したもの)、細かなものはこちら、小選挙区当選者の割合はこちらをご覧下さい。

民主党の、下野後の最初の再編は、2014年であった。この時はみんなの党の一部が合流して来た(再編とするには非常に小規模)。次に2016年。この時は維新の党を吸収して、民進党になった。維新の党は比例当選者の比率が高かった。民進党は2017年の希望の党騒動の影響で、立憲民主党と国民民主党に分かれている状態になった。これが2020年、合流して立憲民主党となった。この時国民民主党は、多数派の合流参加者と、少数の残留派(正確には国民民主党を改めて結成)に分かれた。立憲民主党と合流した議員達を見ると、比例当選者が多い。

この3回の再編において、民主党~立憲民主党は、【自分達でさえ選挙に弱く、比例選出の議員が多めであったところ、さらに他党から、比例選出議員を中心に合流して来る】 というような事を繰り返している(2017年の総選挙における立憲民主党は、選挙前の議席と比べれば大躍進とし得るが、小選挙区での当選者は少なかった)。民主党系も合流相手も比例選出議員が多いのは、これらが1強2弱の「2弱」だからである。これは重要な事だ。自民党の元々の有利さ、強さ、そして野党の共倒れもあり、【小選挙区は自民党が圧勝、「2弱」はどちらも比例において、小選挙区よりは多くの議席を稼ぐ】という結果が続いている。

以上から、総選挙前の野党第1党(民主党系)の議席はいつも、合流によって増えている上に、その中でも比例当選者が非常に多い、水ぶくれ状態なのだ。それでも、比例代表で大量に票を集めるくらい、党に人気があるなら別だが、それもなければ、総選挙で議席を減らして当たり前なのである。比例票は、むしろ別々の政党で戦っていた方が、広く集まる場合がある。ここで見た再編の場合、みんなの党、維新の党、旧立憲民主党という新党(既成政党そのものではなかった)に、ごく一部を除く議員・候補者の弱さに反して、それぞれ一定の人気があったことで、比例獲得議席の比重が大きくなっていたという面もある。

以上を踏まえると、今回は、なんとか踏ん張ったとも言える。小選挙区当選者の割合がかなり高くなって、比例当選ばかりではなくなったからだ。全国の選挙区を見ると分かるが、かなり満遍なく、各地で当選者を出している。その絶対数は確かに多いとは言えないが、優位政党が非常に多くの議席を得やすい制度下で、特別強い地盤もない立憲民主党は、善戦したのだと筆者は思う。頑張れば、これは政権を狙うための土台にはなる。この事を否定して、ただ「惨敗、惨敗」と繰り返すのは、冷静さに欠ける姿勢だと思う。

筆者はそもそも、内閣の支持率が大きく下がっている時に総選挙がない限り、新立憲の議席は70くらい(2014年の民主党のレベル)に落ちると危惧していた。総理(自民党総裁)の交代で立憲大敗を覚悟したのだが、岸田内閣の成立時の支持率が高くなかったことで、これなら少しは戦える、現有議席を上回る可能性があると、期待するようになっていた。この希望、さかのぼれば菅義偉内閣の支持率が大きく低下していた時の希望が、見事に裏切られる結果となったわけである。

このような事を述べると、野党の問題点と向き合っていないと言われることがある。それ自体には反論できない。筆者は願望に流されるところがある。しかしダメな野党をひいきしているのではない。立憲民主党を批判するだけの人こそ、「なぜそのような政党が野党第1党になったのか」という事に向き合わず、ほとんど今だけを見て、思考を停止している。「自民も民主もダメだ」と言っていたって解決策は見えてこない。維新もそうとう不安定な政党だ。

今回41議席に躍進した、その維新の会は、6割以上(25議席)が比例選出である。「次は」という希望もあるが、後述する通りそのハードルは高い。大阪府全勝をほぼ維持した上で、近隣の府県のみならず、全国的に小選挙区で当選者を続出させなければならない。これは非常に非常に難しい事だ。今のように批判的に見る人も少なくない状況のままでは、維新の会も、「比例選出ばかりの政党」を脱することができないと思う。

もちろん、今回の立憲のように、比例票が振るわないのは政党として大問題だ。立憲の比例獲得議席は比例代表の合計の定数(つまり全政党の合計)である176のうち、39議席と、野党第1党としては非常に少ない。2017年の旧立憲の37議席と、ほぼ変わらない。立憲民主党としての支持を維持している一方、希望の党が得た議席は一切引き継いでいないように見える。実際は議員の移動に伴い、前回は希望の党に入れた有権者が、今回は立憲に入れたという事も、少しはあると思う(各選挙区の得票数の変化を見れば分かるだろうが、まだ確認していない)。同時に、れいわ新選組に流出した、左派票、無党派票もあるのだろう。後者も、立憲単体について言えば、なかなか深刻だ。

この事に関してもう一つ。2014年の総選挙の民主党(維新の党と小選挙区で一定のすみ分け)の比例獲得議席は、定数180のうちの35だ。だからそもそも、野党に転落し、かつ維新という「ライバル」が現れた民主党系は、ずっと同水準(ゆっくりと復調)であり、自民党を離党した小池が結成した希望の党を、民主党系に含めて考えるのが、間違いなのだ。希望の党には民主党系の多くが参加したが、比例票は民主党のそれではなく、民主党系に(まだ)幻滅しており、維新を含む改革派の保守を支持するような人々の票であったということだ。希望の党の実際の当選者はほぼ全て民進党出身者であったし、小池系とされた議員にも、かつて民主党に属していたものがいた。だから筆者は希望の党を、【自民党出身の小池がつくり、トップであった、民主党系の政党】と捉えている。分かりにくいが、それだけ特殊な政党だという事だ。ただし比例の得票については、自民党、維新の会に投じていた人々の票が多く、そこに、希望の党に参加した民進党議員の支持者の票が、少し乗っていると言うイメージだ。「少し」とするのは、小池に反感を持っていた民進党(の議員)の支持者も多かったと考えるからだ。反対に、そもそも選挙区では民主党→民進党の候補に投じていても、比例では維新か自民に投じていた、という人もあっただろう。

筆者もこの事は感じており、(維新を除く)野党が協力すれば自民党に勝てるという見方について、あり得るとは思っていたものの、野党を民主党系にまとめても、票は取りこぼす、つまり1回で政権交代まではなかなかいかないと考えていた(その「取りこぼし」が予想以上に多かった)。だが野党共闘で一度、議席がある程度増えれば(微増では駄目だ)、国民に広く認知され、次につながると考えていた。

今回、自民党候補の「比例は公明党へ」と同じように「選挙区は私に、比例は共産党に」と口にした立憲候補がいたのか、どれくらいいたのか、筆者はまだ確認していない。そういう事で比例票が減る場合もある。もちろん、共産党との協力を嫌って逃げた比例票もある。これらの点を含めて、立憲は戦略、浸透が足りなかった。だからもっと様子を見ないと、共闘の本当の効果が分からない。

このように肯定的に見る場合であっても、もちろん工夫は必要なはずだ。しかし2019年の参院選における不振(維新はやや好調)から、立憲民主党は本格的に学ぶことができなかった。これについては近く、改めて述べる。

もちろん、逃げたのは比例票だけではない。選挙区でも落選が目立っている。共産党の票が加わっても落選した現職(正確には前職)は、少なくはない。当選者がかなり増えると思っていたら、そこまでではなく、逆に当選すると見られていた現職が、けっこう落ちたという感じだ。それについてはやはり、共産党に寄り過ぎた事、立憲自体の魅力の無さ(民主党系に対する不信感―だからこそ、これを離れた格好の、旧立憲、民主党系無所属、新国民民主が、一定の支持を得る―)があるのだろう。

利益誘導がなかなかできないのも、確かに不利な事である。だがそれは基本、今までずっとそうである。今回は自公両党が必死になったようなので、単に「良い勝負ができたが競り負けた」というだけかも知れない。それならいくら立共共闘が批判されても、安易に路線を変えるべきではない。今後検証が必要だ(ただ、自民党の参院選1人区テコ入れの報道を聞くと、やはり左派野党共闘は効果があったのだと感じる。まさか裏を読んで、そう報道させるようにした、報道させたという事はないだろう)。

今回の総選挙では、民主党系が強かった岩手、長野、愛知、三重、沖縄での後退が目立つ(岩手県については、単に小沢一郎が支持を失っただけかも知れないが)。岩手、長野、三重は、1993年に自民党を離党した小沢、羽田孜、岡田克也がもたらした地盤だが、彼らの高齢化、死去も影響はしているだろう(岡田はやや若いが、民主党系の代表をすでに2回も務めている)。それから、「今のままでは希望がないし、政策を実現させやすい与党の自民党に戻ってほしい」ということもあるだろう。愛知については、旧同盟系労組の離反が効いていると考えるのが自然だ(これについては改めて述べる)。労組の動向、長い野党暮らしに対する不満、共産党アレルギー、自民党の危機感、維新の躍進などの、複数の原因が、それぞれの土地柄に応じた比重で合わさっているとは言えるだろうが、分析が待たれる。今後取り戻せるのか、本当に気になるところだ。

今回、高齢の議員(正確には前職)が不利になるという傾向が見られた。自民党のように組織力があれば、また世襲候補をどんどん擁立する姿勢であれば、議席は維持しやすい。しかし立憲にそれは難しい(筆者は世襲に反対だが、あまりに不利な野党にについては、ついつい甘くなってしまう)。今回の総選挙では、新たに得る議席がある一方、失う議席もあった。筆者のように野党に肩入れしていると、前回得た議席は今回も得られると考えがちになる(恥ずかしい事だが、次に取れそうなところが気になって、今取れているところを落とすかもというような絶望的な想像はしないでいた)。民主党政権以前は、しがらみのない国民が多く野党に肩入れしていた。だから実際に【既存の議席+新規獲得】で、民主党の議席は少しづつ増えた。しかしこれからはそうもいかないだろう。圧勝するくらいの情勢にならないと、さらに議席を減らす危険がある。維新が選挙後の高支持率を維持すれば(これも容易だとは思わないが)、なおさらだ。かつての民主党系の大物達のように、選挙で圧倒的に強い議員が、今の立憲にどれだけいるだろうか。ほとんどいないように思われる。

かつての民主党系に対する不信は、立憲ブームでリセットされた感がある。それは決して許されたという事ではなく、「民主党政権も全てが悪いわけではなかった。経験不足もあった。総括は不十分だが、今努力しているなら、今後努力を続けるなら、もう一度自民党のライバルとして認める事も考えないではない。」という、国民の温情のようなものであった(もちろん、国民全体を一つとして捉えた場合の見方である)。ところが今回の総選挙では、そのリセットが取り消されたような、不思議な事態となっている。「リセット」に甘えて、民主党時代の失敗と向き合わなかったという事はあるだろう(反省は口にされるが、スマートな表現になり過ぎていて、真剣に向き合っているように見えないという面があると思う)。

それでも「不思議」だというのは、民主党政権が批判を招いた理由と、今回の立憲不振の理由が同じではないという事だ。しかしよく見るとつながっている。それは人間関係だ。民主党政権では小沢派と反小沢派の対立が、経験不足による状況の悪化を思い切り後押しした。今回の立憲は、「同盟軍」のはずの、れいわ新選組との対話不足を露呈した(東京8区問題)。

「かつての小沢一郎なら、維新、れいわ、そして連合とも、それぞれに合った関係構築、取引きができるのに」と筆者は思うことがあった。しかし考えて見れば、小沢はかつて民主党内で主導権争いに興じていた。背景は理解できるが、それでも問題がなかったとは言えない。民主党政権の敗北と、今回の立憲の敗北は何もかもが違う。しかし政治もしょせんは個人の動き。反対派からも尊敬される人間性、そして、思惑は別にあっても、「得」になるような動きができる判断力、交渉力。これなくしては優位政党を破れない。これは維新にもいえることだ。

これからの立憲は、「次は結構伸びるかも知れない」では、実際には議席減になるのだと、考えざるを得ない(昔から民主党は、開票特番の冒頭での予想より、実際の獲得議席がいつも少なかった。それは政権交代が実現した2009年も同様である)。当選した議員も、落選した候補者、前議員も当然足場を固める必要があるが、60代に入った議員は、候補者を本気で育て、売り込まないとまずい。

 

共産党との協力をやめるのは本末転倒→

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