「野党幼稚園」を卒園する時だが、枝野批判、野党同士の足の引っ張り合いを避けることができるか

立憲民主党の議員は、枝野前代表を安易に批判してはいけない。枝野のやり方に反対であったとしても、ここで代表に全責任を押し付けるような発言が出ると、一般の国民に見放される。外から見たら、良い事も悪い事も連帯責任である。

共産党についても同様だ。得るものが大きかったのは、立共両党を比べれば明らかに立憲民主党だ。世話になったのだから、感謝すべきだ。「協力してくれた全ての党に感謝する」と、党名を明言したくないのは分かる。しかし共産党に否定的な人にも、それは見透かされる。立憲の評判を下げるのに利用される。共闘の度合いと、感謝する事とは全く別の話なのだから、せめてこのようなところで、堂々とした姿、振る舞いを見せるべきだ。その上で、より良い組み方を考えるしかない。

もちろん、共産党に変化を迫るのは良い。相手に相手の事情がある事を尊重した上で、迫るのならば。かつての自民党の大物が、もし今立憲民主党に属していたら、それでも批判はあるだろうが、きっと次のようにアピールしたと思う。「皆さん、心配いりません。かつて社会党の左派も与党になって変わったように、共産党も変わります。私たちが変えて見せます。どうしても変わらなかったら、その時は組む相手を変えるか、単独でいきます」と。立憲はこのくらいの事をいうべきだった(中村喜四郎は確かに自民党出身だが、もちろん自民党出身者が、ここで挙げている自民党の大物と同じことを言うとは限らない)。

今のところ立憲から、ストレートな枝野批判、共産党批判は聞かれない。民主党系も成長したと思う(その分、別の政党とはいえ、そして総選挙前から見られた姿勢だとはいえ、国民民主党に「民主党らしさ」を見たような気がする)。国民から見えないところで、本人に直接意見するのは良い。ヒステリックなものでなければ、公開で議論するのも良い(する方が良い)。「立憲はもう終わりなのか?日本はますます1党優位になるのか?」と、立憲民主党に注目している国民は、決して少なくないと思う(自民党が下野した時を含めて、野党第1党をすぐに「終わった」と見ることについては、幼いと思ってしまうが)。メディアが、「代表選が盛り上がらない」、「新代表に対する期待が小さい」と報じても、また評しても、そこであきらめてはいけない。政策も重要だが、民主党系の場合は、情けない事ではあっても、「ちゃんと大人になったのか」という事の方が重要だ。立憲が内外で建設的な議論をし、より良い政党をなっていくことが、日本の政治が良くなるカギだと思う。

「批判ばかり」と言えば、筆者にとってはむしろ維新の会だ。批判の対象はもちろん民主党系である。そうなる理由は理解できるが、そんなことを言えば、民主党系が自民党を「批判ばかりしている」理由もとてもよく分かる。どちらの場合も、問題はやはりやり方だ。

異なる点については、それぞれの理念や政策の、国民へのアピールについて競う。同時に協力できる点では協力をする。できる点がなくても、最低限の敬意は払う。今の、優位政党には手が出せずに(これは維新について言える。ただし岸田内閣になって変わって来た。しかしそこにも、岸田は弱そうだし、安倍・菅とは引き続き関係が良いから、批判しても大丈夫だろうという考えがあるのではないだろうか)、弱い野党を、(強くならぬよう)否定して見せている。互いにいたずらに批判し合う立憲と維新は、大人の政党には見えない(立憲は泉代表になって、変わるかも知れないが)。立憲に対して拗ねているように見える国民民主党も同じだ。だから筆者は、「野党幼稚園」と呼びたくなる。

しかし国会とは当然、野党を教育する場所ではない。国会で野党を教育するとなると、先生役が自民党になってしまう。今も少しそういった傾向はあるのだが、これでは本当に目も当てられない。そうでなくても、自民党は権力を使って全ての票を集めようとする。対する野党は、それでも自民党に行かない票を分け合う。自民党から奪える票もあるとしても、自分が正しいと信じているからと言って、勝てるとは限らない。

そのような状況が続く間に、自民党の志や質はどんどん下がり、難しい問題、面倒な問題、自民党の得にならない問題の先送りが続き、日本が引き続き沈んでいく。今の第1党、しかも歴史上も基本的には野党第1党であったと捉えられる立憲民主党の系譜は、やはり、国民みんなの野党第1党だ(ネトウヨも例外ではない)。共産党との関係、政権交代の定着、そして何より日本に積もる課題。自公が向き合わずに済んでいる、済ませている壁に果敢に挑む姿を、国民は待っていると思う。本人たちの自己責任も、そして1党優位の日本における理不尽もあるが、立ち上がって欲しい。

 

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