日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
絶望の中で期待する。壁をぶち破ってくれ

絶望の中で期待する。壁をぶち破ってくれ

筆者は今回の総選挙の結果に落胆した。政権交代にこそ至らなくても、立憲が議席を大きく伸ばせば、期待も集まり、共産党との共闘に対する批判も弱まり、立憲の主張に耳を傾けてもらえる環境になる、関心をもっと集める状況になると思っていた。政策等の発信、日ごろのふるまいも重要となるが、上り調子になれば票を失う心配をあまりせず、より尖った主張、挑戦も、しやすくなると期待していた。

維新も伸びるとなると、立憲が伸びたという印象が薄くなるから、正直なところ、あまり伸びないで欲しいと思っていた。ただ同時に、立憲も維新も大きく伸びれば、自民党が動揺し、立憲側と維新側とに、政界全体が分かれていくのではという期待も、わずかながらあった。不安定にはなるが、政党制としては最も合理的なものになる。なによりそれは、異常な、超長期的1党優位の解消そのものだ。

それらの期待が今回、全て打ち砕かれたわけである。次こそはと、期待をつなげる環境ですらなくなったとも言える。

しかし最も多く予想された、【立憲も維新も伸びるが、少なくとも自公の合計では、過半数をある程度上回る】という結果であっても、壁にはぶつかっていた。今回たとえ立憲が150議席取っていたとしても、2022年の参院選だけではもちろん、その次の参院選と合わせても、つまり2025年まで待ってねじれ(参議院では立憲側が過半数という、影響力が格段に強まり、何より政権交代後、参議院でも過半数を確保した状態で始められる)を起こすことは難しかったと考えられるからだ。次の総選挙でも、150議席を維持することすら難しかったと想像される。そうすればいくら130議席取ったところで、今と同じように、失敗者扱いだ。

民主党系の議席の増加は、絶頂期を除けば、ほとんどが接戦を制してのことである。勝ち続ける体力はそもそもなく(というより自民党に体力があり過ぎる。それは長い経験の蓄積と、様々な資源の半ば独占状態を含め、あまりに有利な条件がそろっているからである―『政権交代論』「自民党の強さの秘密~あまりにでき過ぎた構造~」参照―)、自民党の不人気や失敗によって勝っていた面があまりに大きい。自民党よりも維新がライバルに近い今では状況はさらに厳しい。自民と維新が一気に弱らなければ、弱っていなければ勝てないからだ。

ただし、今回議席を伸ばしていればいるほど、立共連携が国民の間で、自公のように容認されるという面はあった。これが一気に批判の対象になったのは敗けたからで、この影響は深刻だ。修正をすることで、どの道避けられなかった、先々のトラブルを回避するチャンスと捉えるしかない。

筆者は今回の立憲民主党(野党第1党)の敗北を、前向きに受け止めようと考えている。もう一度自己点検をして、気合を入れて、注目も集める、それができなければ野党第1党の地位を退く。仕方のない事だろう。維新とれいわという、左右の新興勢力が伸びている。ポピュリズム的な危うさも、急成長による不安定さもあるが、既成政党が不十分であり、変わるか退場するかを求められるという、欧米のような段階に日本も入っている。

ただし1党優位の日本は、日本国民は、欧米ではとうの昔に当たり前のものとなっている、選挙による政権交代の定着を、経験していない。そんな日本では、自民党のみ無敵という、変化を阻む結果になる恐れがある。

民主主義国として遅れている日本が、次の段階に、形だけ進めば良いというものではないだろう。野党第1党ばかりが問題視され、政権を恒常的に握っている優位政党については、皆あきらめて、良い点を評価する。悪い点は忘れ、忘れるのを拒む者を否定的に見る。「悪い点」で思い浮かぶのは、様々なスキャンダル、個々の閣僚等の問題だが、実際にはもっと構造的な、微調整・先送りの弊害があり、日本はゆっくりと沈んでいる。

維新の伸長、というよりもそれによる報道、支持率の増加は、野党の共倒れに直結する。社会民主主義的な政党が必要なら、新自由主義的な政党も必要だと思う筆者、維新を高く評価している面もある筆者は、現状にかなり失望している。自民党がこんなに強くなければ、もっと合理的な政党制になるのにと、強く思う。現状進み得る良い未来とは、自民党が何でもありではなく、もっと明確化することである。そして極端ではなく、現実的であるが、理念に違いのある2大政党を中心とした、2つのブロック(連携の度合いは様々あり得る)による、政権交代のある政治である。

これに固執するつもりはない。しかしこの苦しい状況下、目をそらしたい気持ちを堪えて考えれば、言わなければいけないと思う事は変わっていない。否定しようと試みても、より良い考えは浮かばないし、探しているが出会えていない。

・政策で選んではいけない。政策で選べるようにしなければいけない(まずは1強2弱を脱して自民党と対等な政党をつくるために戦略的な投票を)

・国防強化のために立憲民主党へ(左派野党―の左派―を与党経験の蓄積によって、理想を捨てさせずに現実的にして、真に実りある議論を)

この、筆者の思いはむしろ強まるばかりである。

維新のように、当分政権を狙わない(2位争いを延々と続ける)のは日本の現状を考えれば最悪だと思うが、今のような状況となってしまえば、立憲も場合によって、「次の総選挙で」という発想を捨てざるを得ないのと考える。民主党系が挑戦者だから政権交代が起こらないのだから、維新を第2党にすべきだという意見があるのも、共感はできないが、分からないではない。

腰を据えて、魅力的な政策、発信、日常の活動、地方選挙への取り組みを、続けるしかない。効果はなくても当面はそれしかない。もう追及はあまりできない。

追及は重要なのだが、もう多くの国民に、それこそ「聞く耳を持ってもらえない」状況だ。これは今までの民主党系のやり方の問題でもあるが、第2党に強くなられると困る、優位政党(自民党)や第3極(維新の会)による印象操作の結果でもある。非常に危険だが、追及する事で逆に、そもそも権力もある、追及されている側が共感を得るような事態、追及が全否定される最悪中の最悪の事態になりかねない。そうでなくても、維新がフリーライダーになる(『続・政権交代論』「維新の会は自民党に逆らえるか」参照)。

追及に関しては今後、国民のサポートが重要になる(左派、左翼として知られる人は除く)。どのような方法が良いのか、今のところは見つかっていないが、国民の側が知恵を絞らなければならない。

第2極と第3極の、建設的な批判を外れるような、ののしり合いも避けなければならない。今人気のある維新は、立憲攻撃で展望を開こうとする政党であるから、これについても立憲の姿勢(批判される側としての対応)が問われる。ここで失敗すると、立憲、左派野党に限らず、野党(非自民)全体が沈んでしまう。しかし難しい。第3極を正攻法で論破できたとしても(嫌いな言葉だが、あえて使っている)、それで展望が開けるわけではないし、仮に第3極の政党が倒れても、やがてまた似た勢力が現れる。それなら第3極を無視し、「2位争い」が浮上しないようにする、今までの姿勢は間違っていないように思われる。しかしできる事の中では最善であったとしても、成功はしていない。いや、やりたくない事ではあっても、できる事がまだある。

それはやはり、攻撃されても維新と向き合っていくことだろう。国民に、「立憲も変わったし、維新も自己主張、立憲批判をするだけではなく、もっと考えてくれ」と思われるようになることを、とりあえずは目指して。

これは非常に重要な事だと思う。

 

低支持率のままであったとしても、菅内閣が小池新党に助けられていた、くだらなくもが1党優位国らしい可能性→

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