日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
維新大躍進の要因

維新大躍進の要因

今回の総選挙の結果で最も目を引くのは、やはり維新の会の躍進だろう。選挙前11議席であったのが、41議席になった。4倍に近い躍進だ。

政権を選ぶ総選挙で、このような事が「最も目を引く」というのは、本当はおかしなことだ。しかし「政権交代など無いのが普通」の日本だから、議席の増減の幅ばかり話題になる。立憲の敗北だって、驚く人は確かに多かったが、「もっと取ると思っていたけど」という程度だ。

前回、2017年の総選挙では、立憲民主党が15から55と、やはり4倍近くまで躍進をした。自民党が圧勝とも言える勝ち方をする中で、社民系の政党が躍進しても何も変わらず、今度は、新自由主義的な政党が躍進しても何も変わらず・・・。維新の会はさらに伸びるかも知れないが(大阪、兵庫の公明党の選挙区に立てるだけで、5議席程度伸びると思われる)、だからといって、今後10年で政権が取れるとは思えない。そして政権が取れないと思われれば熱が冷める。威勢の良い新党が別に現れ、「維新はスキャンダルも多いし、もう古い。本気で政権を取って改革するという意欲がない」と叫び、ブームを起こすかもしれない。

こんなことがずっと続くのだろうか。前回の立憲躍進、今回の維新躍進を見て、他国における政権交代のように、何かが変わったと思っていては恥ずかしい。自戒も込めてそう言いたい。

自民党内の、疑似政権交代も同じだ。こちらは現実に変化を及ぼすが、それでもしょせんは一つの政党内での事である。変化の幅が限られる事は良いともし得るが、権力闘争などに依存した、解決よりも不明瞭な決着や先送りに落ち着く、非合理的過ぎる「変化」である。何より、これを消極的にでも評価する人には、「自分達に選ばせてくれ」という、民主主義国の国民が持っているべき、最低限の気概もない。一応確認しておくと、参院選の比例区を除けば、派閥は選挙では選べない。

維新躍進の原因には、直接的な選挙の手法(自民党で培った、あるいは自民党を真似た、日常活動、どぶ板選挙)を除けば、以下の3つが挙げられる。

①吉村大阪府知事の、コロナに関するテレビ出演の増加等による、知名度向上(維新の創業者とも言える橋下徹も、コメンテーターとして多くのテレビ番組に出演し、国政の維新の一部を批判はすることはあっても、全体的には吉村知事、松井市長、維新のサポートをしている)。

②都構想の住民投票こそ二度否決されたが、深刻であった大阪の腐敗・非効率を、可能 な限り取り除いていった事に対する評価。

③改革派の保守政党を求めている人が、全国的に一定数いる。

③は特に総選挙後、多く聞かれるようになった(2017年に希望の党が得た票を、立憲が吸収できなかったからだ)。しかし筆者は邪道だと考える。何でもありの自民党がすでにあって、しかも優位政党として存在していて、その残りのパイを、本来2大政党であってもおかしくない、社会民主主義的政党と新自由主義的政党が、奪い合う。これはあまりに不毛だ。リスクが小さいように見えるかも知れないが、国が沈み続ける。

もし仮に不毛でないとしても、自民も維新も保守だと言える。この2つの保守政党から、いったい何を基準に、政権を任せる政党を選ぶのか。改革に前向きか後ろ向きかで選べと言うのか。利益誘導か競争重視かで選ぶのか。理念や政策など気にせず、どちらが有能かで選ぶのか。しかし有能な人材はどうしても、非優位政党には集まりにくい(ブームが起こっている時は少し違うだろうが)。

利益誘導的な面は改革派の政党にだってないわけではない。自民党に分配を期待するのなら、【自民党にお願いをして個々に優遇してもらう】というやり方ではなく、つまり恣意的な処置を積み上げていく形ではなく、一律の基準でやるべきではないだろうか。例えば産業ごとに求めるものが違うのは当然だが、それでも共通する者も多くあり、異なるものも分かりやすく整理する事はできる。

普遍的な制度に基づく分配を重視する社民的な政党(そこにも合理化、戦略的な産業政策はあり得る)と、小さな政府、競争を重視する新自由主義的な政党が、競えば良いのではないだろうか。それがもう古いのだとしても、そこから選択しながら歩んでいく基本を、日本(日本国民)も、一度は経験すべきではないだろうか。

政情が不安定な国、独裁的な国家の多くは、経験の無いところに民主主義的な制度を(形だけ)導入して、失敗している。日本はそこまでひどくはないが、そういった面も実はある。戦前に民主的な傾向があったのは確かだが、初歩で打ち切られたのであり、そればかりを、「決して遅れてはいなかったのだ」と、心のよりどころとすべきではないと思う。

筆者の主張通りになると、2大政党の対立、国民の分断が深刻になるという意見もある。だが、社会民主主義と新自由主義の間には、機会の平等を重視する等の、第三の道のような考えもある。交わらないわけではないのだ。もちろんだからと言って、利益誘導・癒着の政党(自民党)と、第三の道の政党(維新?)という組み合わせは困る。

さて、②の腐敗・非効率の改善とは、大阪府と政令指定都市である大阪市との、二重構造による無駄を、大阪府を中心に一元化していく路線(広域行政の一元化。本当は特別区に分割したい大阪市は、より身近な業務に特化)、民営化を含む合理化路線だ。共産党を除くオール与党体制、あるいは自民党一色の状況下(双方に該当する自治体は多い。共産党にも恩恵がある場合が、少なくない)、公務員の待遇が非常に良い事を含む、多くの利権で無駄が膨らんでいく状況の改善である。維新はさらに、首都東京から遠い大阪の弱点を、インバウンド、内閣要人との近さを利用した、万博誘致、IRの推進・誘致でカバーした。

以上を進めて手にした財源で(万博、IRはこれからだし、むしろ財政負担が増えかねないが)、維新は教育の無償化を、塾代を援助するまでに高めた(大阪市等の塾代一部助成。大阪以外にも、同様の取り組みをしている自治体はある)。

ここまで改革に取り組んで、さらに吉村知事という、橋下に代わる人気者も誕生したのだから、維新の会が大阪で支持されないわけがない。大阪以外の、改革を望む国民にも、注目されないわけがない。

そもそも、2017年の総選挙の結果がおかしかった。大阪派だけになった上に、小池都知事系とのすみ分けによって、新党に比較的有利な東京という土地で勝負ができず(愛知県名古屋市にも、協力関係になった河村市長・減税日本があった)、ほとんど大阪でしか戦えなかったことは分かる(農村部ではそもそも支持を広げにくい)。政局で支持を失った小池知事の、維新は巻き添えになったという面もある。2015年の分裂で、大阪派のみの政党として出直しとなったことが、失望を招いた事も想像できる。議員の質の問題もある(例えば上西小百合の件―内容は省略する―は、反省していない様子、秘書のガラの悪さも目立ち、維新の人材、候補者擁立について、新興勢力としては仕方がなかった面もあるのだとしても、失望を招いた)。しかし大阪の小選挙区を3つしか取れなかったのは、それでも信じられなかった。これについては、やはり自民党が強すぎるという事が言えよう。

維新の会が2017年、自分達と違って、意欲的な取り組みに乏しい小池都知事(当時は知事になって日が浅かったから、無理もないとは言えるのだが、2022年1月現在も、小池都政に積極的に評価できる点は少ない。コロナ禍が理由になるだろうか)と、緩やかにでも組んだのは、評価されるものではない。しかし実態と無関係に表面的な分類をすれば、維新も小池系も、同じ改革派の保守勢力だ(筆者は、非自民の共倒れ回避は非常に重要だと思う。だから立憲を含まないすみ分けは、そもそもあまり評価できない)。

維新のマインド自体は、前回(2017年)の総選挙の時と今回とで、変わったわけではない。それが今回は、強すぎる自民党を大阪では惨敗させ、他でも一定の票を得た。それを念頭に置くと、維新躍進の最大の原因は、やはりコロナ対応に関して、吉村大阪府知事の露出が大幅に増えた事(①)だと言える。

メディアに取り上げられるだけで支持が伸びる傾向のある日本だが(他国については知らない)、レベルの非常に低い知事であっては、さすがに露出しても効果はない。もともと評価される点があり、それが注目されたために、結果につながったのだと言えるだろう。もちろん残念ながら、見た目もある程度貢献していると思う。ただ、見た目の印象にはその人の内面、振る舞いが表れる場合もあり、その点で、中身を反映していることもある(その中身に関して、弁護士時代の仕事をどう評価するかという事などもあるが)。

コロナ禍がなければ、大阪とその周辺の地方選挙では連勝できても、国政で維新は、なかなか伸びなかったと想像する。そもそも今回ですら、大阪府以外では、ほぼ全て比例での議席獲得だ(唯一の例外である兵庫6区の当選者も、元民主党衆議院議員-2003~2012-である)。

勝利の要因を、コロナ対応そのものではなく、露出としたのには理由がある。

同調圧力が強い日本では、選挙での「勝利」に水を差せば批判される。しかし現実をしっかり見ることは、維新のためにも重要だ。維新の松井代表は、それを見据えているように見える。躍進しても、与党に勝てなかった以上は負けだと言える姿勢は、意図があるのだとしても、あるいは仮に、自民党に負ける事がくやしくもないのだろしても、それでも他党が見習うべきものである。卑屈になるのではない。負けを認めないで、実は動揺しているというのなら、むしろ負けを認めて、再起する方が良いのは当然だ(かつての社会党は、敗因を求めて迷走したが、それは冷静な分析というより、党内のイデオロギー対立、派閥間、要人間の主導権争いであった。しかも当時の、つまり今よりもずっと左に位置した、最左派優位の状況下での)。

大阪では、コロナによる死者が日本国内最多を記録した(ただしこれは線引きが難しく、比較が困難な面がある)。協力金、給付金の支給も遅かった。これらについては、新自由主義的な改革(合理化)の負の影響ではないかと疑われる(橋下は、医療に関してツイッターで、平時の時の改革の方向性は間違っていなかったが、有事の際の切り替えプランを用意していなかったとしている。中立・客観的な分析が待たれる)。また吉村知事には、明らかに人気取りとしか見えない動きもあった。ポピュリズムの弊害である。大阪府、大阪市のコロナ対応は、けっして全て手放しで称賛されるべきものではないのだ。

しかし繰り返すが、日本では多少の悪名ならば無名に勝る。吉村知事が日々テレビに出演する状況は、維新の大阪改革の光と影とは別に、維新の人気を全国的に上向かせた。

「悪名」とは言いすぎた。上述の改革の取り組みは、成功した面もしっかりあるし、失敗等があっても、決定的なものではない。「動いてくれている」という信頼を得ている。思いとどまるよりも、とにかくどんどんやる。そこに問題があれば修正する。これを維新は良くできているのではないだろうか。「そういう事ならリスクも引き受ける」という住民、国民も一定数いるだろう(本来、試行錯誤しなければ前には進めないのだから、許容範囲はあるものの、当然の事である)。住民、国民が維新の試行錯誤を許す背景には、日本の癒着構造の「とろい」政治がある。

これは改めなければいけないのだが、国会、そしてその多数派による政権は、国民の鏡だ。まずは国民が自らの、選び、育てる力を付けなければ、根本的には変わらないと筆者は思う。そのためには、良いと思う維新にひたすら投票するだけでは、駄目だと思うのだ。日本は今日だけ存在するのではない。日本は2021年、2022年にだけ存在するのではない。これまでの政権交代(の定着)を目指す動き、政党制全体について考えなければ、長期的に見た場合の、より良い方向には、どうしても進めない(「政策で選んではいけない。政策で選べるようにしなければいけない」という筆者の主張も、これと一体的なものである)。

この事については今後述べていくが、ここでも一度、政党システムに引き寄せて考えておきたい。党内では左派だと言える、宏池会から総裁が出ている岸田自民党は、安倍自民党、菅義偉自民党と違って、どちらかと言えば立憲に似ており、維新と遠い。維新は自民党の別動隊と見られることで、票の流入が鈍っていた面もあると考えられるから、今回の総選挙は戦いやすかったはずだ(反対に、立憲民主党が戦いにくくなったわけである)。

これは維新の矛盾を示している。自民党が右(経済については、少し-?-新自由主義的な路線)に寄れば、自民党と親しい事による恩恵を受けられる反面、選挙では伸びにくい。自民党が左(経済では、疑似社民的な面もある、従来の介入型・バラマキ)に寄れば、自民党との距離は遠くなるが、選挙では違いを示せる。この矛盾は、維新にとっての高い壁であり、今後どうするのか、どうなるのか、とても気になるところである。

維新にとっての壁としたが、国民にとってもこれは大きな壁である。選挙で選択する前に、選択肢が「お上」の都合でいじられるのだ。こういった事は欧米でもあるが、日本は度が過ぎているし、ひたすら優位政党(ここが重要)の都合である点が問題だ。

国民が選択する前に国民の志向に寄って見せる。それはそれで民意を反映してはいるのだが、国民に選ばせない、自分達への追認を許すだけというのでは、その変化自体ですら、あまりに不完全なものとなる。それは現状を見ていれば分かる事だと思う。

だからこそ、ここから抜け出して、政策、好みで政党を選ぶのをやめる。一日でも早く政策で選べるようになるための、合理的かつ安定的な、戦略投票を続ける。これしかないと思うのだ(筆者は野党第1党に力を集め、優位政党と対等にすることで緊張を生み、経験を積ませる事が、答えだと思っている―その反対なのが、長引く2位争いである―)。

維新の躍進をまた別の視点で見ると、自民党から離れる票が、立憲までたどり着く、つまり政権交代に結び付くのを防ぐ役割を担った面がある(維新が存在しなかった場合、その全ての票が左派野党に集まっていたとまでは思わないが)。

これはかつての新自由クラブと同様で、その新自由クラブは、調子を取り戻した自民党に吸収され、その票の多くを自民党に「返す」ことになった。つまり政権交代(の定着への前進)を防いだのだ。

どちらのケースも、意図してやったとまでは言えないだろう。新自由クラブは内部に左右の幅があった。そのために右派と言える西岡武夫らが離党し、自民党に復党した(西岡は後に自由党を経て民主党に参加した。そして党籍離脱中の事であるが、参議院議長として、民主党政権の菅直人総理を強く批判した)。リーダーであった河野洋平(河野太郎の父)はリベラル色が濃く、公明、民社両党と組もうとした。状況によっては社会党とも組んだと想像できる(後に実際に、社会党の村山総理を副総理として支えた)。しかしそれでも、結局自民党に合流(復党)したのだ。

維新には大阪という根拠地があるから、意欲さえ持ち続けられれば、かなり長期的に、自立してやっていけるだろう。しかしそれでも、国政において長期間野党のままであっては、自民党との関係も常に良いというわけにはいかないだろうし(政権を取れないと見られれば立場も弱くなる)、1極集中、中央集権的な日本では弱っていくだろう。反対に、大阪の自民党の壊滅状態がより深刻になれば(総選挙で小選挙区獲得議席ゼロが続き、比例票も減れば)、維新が自民党の大阪での窓口、事実上の大阪支部となる可能性も高い。その場合、維新が自民党と対等であることは難しいので、その点ではおそらく異なるが、ドイツのCDU(キリスト教民主同盟)とCSU(CDUと一体的に行動している、バイエルン州限定の政党である、キリスト教社会同盟)との関係に近くなるだろう。

そうならないためには、全国展開が必要だ(とは言ってもこの場合は、大阪府以外の、近畿の府県で国政の候補者を擁立するだけで良い)。全国展開に動けば、維新内の、自民党支部路線が封じられるし、自民党に敵と認定されるからだ。しかしそれでも、自民党に切り崩される可能性はある。これは1党優位でなくならない限り、回避できないだろう。

()内で補足した、大阪府以外の近畿地方への浸透には、ただし危険な面がある。大阪周辺に注力すれば、広く全国展開するよりも、確実に成果をあげられる。しかしそればかりが先行し、ましてや成功すると、【近畿地方の維新の会vs他の自民党(場合によっては自民・立憲連合)】となり、地域的な分断が深刻になってしまう。都市部に強いとか、特定の地域に強いという傾向が、各党にあるのはおかしなことではない。しかしそこには、産業構造と政党制の関係、政党の有力議員の地盤の分布等の背景がある。だがそのような背景がなかったり、地盤となる地域が一か所に固まっていたりすると、地域的な分断が深刻になってしまう。ましてやSNSが盛んな現在、すでに維新に否定的な人々が、大阪府民を見下すような書き込みをしている。たとえ少数であっても、こういった事が徐々に分断を深刻化させる危険もある。

さて、今度の総選挙は、維新の会の敗北だという面も実は大きい。なぜなら、自公両党でも、ましてや自民党単独でも、過半数割れにならなかったからだ。

躍進した政党は勝ちだと見られるのが日本だが、(下院の)総選挙というものは本来、政権選択の選挙である。それが、基本的には自民党の勝ちが決まりきっている日本では、どの党が何議席増やした、減らしたという話になってしまうだけだ。

それでも、キャスティングボートを握れるのなら、その政党の影響力は増す。しかしそれもなければ、選挙直後こそ注目されるものの、できることはない。今回、自民党単独ですら過半数を大きく上回ったのだから、自民党がいくら減らしてはいても、自民党の勝ち、維新の敗けである。言うまでもなく、立憲も負けなのだが、維新は立憲の半分にも届いていない。小選挙区の当選者は、定数289のうち、わずか16だ(公明党の選挙区に立てていたとしても最大で22。一方の立憲は57)。

だから松井代表も認めている通り、維新は敗けたと言えるわけだが、全国政党としては「顔見世興行」を始めたばかりだと言える維新は(2012年の維新の会と別の政党、あるいは再チャレンジだと捉える場合)、例外として良いとも思う。それは今回の躍進が、顔見世興行をする新興勢力から、野党第1党への成長の一過程、あるいはジャンプ台であると見ることもできるからだ。ただしそれは、政権を本気で狙っていればの話だ。キャスティングボートを握る事で、自らを高く売るだけの政党ならば、ほぼ100%、失敗しているということになる。

維新は単独で法案を提出できるライン(20議席)、国民民主党と組めば予算を伴う法案を提出できるライン(50議席)をクリアしたとはいっても、自民党は野党の提案する法案など、審議すらしない(させない)のが普通だ。それに対する国民の批判もほとんどない。そもそも、参議院では維新はどちらもクリアしていた(前者については、必要な10議席を単独で上回り、後者の20議席には5足りないが、そのくらいなら他から協力を得られたと思う)。しかし自民党政権には、親しいはずの安倍、菅義偉がトップであっても、まるで相手にされなかった。

だからこそ、野党の多くが対案よりも対決になるのだ。このことを考えず、単に「左派野党は反対ばかり」とするのでは、維新は自分自身を笑っているのに等しい。

極端な言い方をすれば、全政党が「是々非々」ではある。目立つ案件について、選挙で有利になるよう、強烈に反対して見せる事がないとは言わない。しかしそれは、少なくとも一定数の支持者から、反対する事を求められているからである(民意が反映されている議席数における限界を、暴力で補う事は許されない。しかしギリギリのところまで、アピールすることで補うのは、問題提起になるし許されると思う)。

全会一致(に近い)賛成で成立する法案も多い。要は皆が「是々非々」であり、各党の違いは程度の問題だ。そしてその程度こそが、別の意味でも重要なのである。1党優位を打破しなくても、野党の考えが実現していくと考えるのは、甘すぎると言わざるを得ない。立憲民主党にも、「考えが甘い」、「自分には甘い」という面が、批判されている通り確かにある。しかし政権を取る姿勢を見せ、定数の過半数の候補者を立てているだけ、まだましだと筆者は思う。維新や今の国民民主は、本当に利益団体になりかけている(利益団体が悪いという話ではない。単なる利益団体になっては、それはもう政党ではないという話だ。ただし中小規模の政党は、独自の存在を持ち得る。それについては次章で確認する)。

そして残念ながらもう一つ、水を差さなければいけない。それは、「ここまでは誰でもいくのよ。」という事だ。かつて日本新党も、総選挙でゼロから35に躍進した。当選者はほとんど新人であった(ここでは蛇足となってしまうが、ざっと挙げても枝野幸男、海江田万里、野田佳彦、前原誠司、茂木敏充、中田宏、山田宏、参議院議員を経ていた小池百合子という、ものすごい面子である。もし細川が日本新党を結成しなかったら、どれだけの者が議員になれていただろうか)。立憲民主党も、民主党系の落選者、つまり経験者を多く含んでいたとはいえ、15から55議席に伸びた。

問題は、このようなレベルから、100議席への壁が非常に高く、過半数など夢のまた夢であるという事だ。「政策のごく一部を自民党に頼んで実現させてもらえれば良い。」、あるいは議席が増えた分だけ、影響力、注目度が上がれば良い、というのでなければ、越えていかなければならない、巨大な壁である(※)。

 

※定数の約4分の1である(かつて定数が480であった時にはちょうど4分の1であった)120議席というのも一つの目安だ。2005年の郵政選挙の時の民主党が177から113議席に、次の2009年の、民主党政権誕生時の総選挙で、自民党が300から119議席になった。民主党がまだ上り調子だった時代だ。大敗に見えるが、小選挙区が中心なので、一定の票の動きで、本来はこれくらいの議席の変動になる。2003年までの総選挙で大きな動きがなかったのは、野党第1党が都市部を中心に取り、自民党が農村部を固める、ある意味では勝者なき選挙であったからだ(もちろん、結果としては第1党になった政党の勝ちなのだが)。

これらの大政党がきちっと負けると、120弱の議席になるのだ。しかし大政党だから、党首を交代し、姿勢をある程度修正すれば、本来の水準には戻りやすい。その一因には、選挙区で一定の評価を得ている、落選した前議員が再起する事がある(忙しいであろう現職の議員以上に選挙区を回れる場合もあるし、同情される場合もある)。民主党も自民党も、敗北した次の総選挙では大勝し、政権を得ている(自民党が勝つのは当然と言えば当然だが)。

しかし、奇跡的に、あるいは長い時間をかけて120議席位になった新興の政党が、さらにその上へ行くのは極めて難しい。

 

維新はこれまでの新党とは違う→

Translate »