日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
維新の大阪での偉業と、国政でのあまりの中途半端さ

維新の大阪での偉業と、国政でのあまりの中途半端さ

先に断っておくと、筆者の言う「維新の大阪での偉業」とは、府政や市政の改革の事ではない。すでに述べてきた事だが、筆者は維新の、積極的に改革に取り組む姿勢を評価している。しかし、維新の政策を全面的に支持しているわけではない。

筆者が維新の「偉業」とするのは、大阪の選挙、そして国政における大阪の選挙区で、大躍進をしている事である。

今回(2021年)の総選挙での大阪における結果は、ある程度予想されていたとはいえ、驚きであった。大阪の19の選挙区のうち、維新の会は、候補者を立てた15の選挙区で全勝したのだ。維新の小選挙区での議席獲得は、他には兵庫県第6区だけであるから、維新は大阪だけで異様な勝ち方をし、他ではほぼ全廃したことになる。

元々、大阪では自民党はそこまで強くない。都市型である上に、東京に対する対抗意識があるためだろう。2009年の総選挙では、民主党は大阪府で17勝した。他の当選者は、1人は民主党と組む社民党の、その後民主党に移った、辻元清美である。もう1人は自民党であった。この時ですら、自民党は1勝しているのである。それが今度は全滅した。

しかし東京や大阪は例外だ。地方自治は、首長と議会の二元代表制だが、全国各地、どちらもだいたい自民党である。首長は無所属である事が多いし、議会の選挙でも無所属の候補が多数いる。しかし実際は、その多くが自民党系である。議会の多数派はだいたい自民党(自民党だけで過半数を上回っている場合が多い。大きく上回っている場合も少なくない)。地方によって、1強でないように見える議会もあるが、それは自民党系の会派が複数に割れているだけだったりする。

自民党が分裂して弱るのは、変革のためには結構なことだが、日本は中央集権。その中央を支配するのは優位政党自民党であり、要職は世襲が多い。非世襲が世襲を支えるような構図もある。その下に地方の自民党があるわけだ。その地方の自民党は、地方の封建的な社会と一体化している。地元の名士が自民党の国会議員、あるいはその支持者達の中心であることが多い。地方の自民党には、国会議員ではないものの、それと渡り合えるだけの発言力のある、地方のドンのような人物もいる。その支持を得なければ選挙に勝てない国会議員も少なくない。しかし世襲であればそんな事もないし、そもそも国会議員も地方の有力者も、共存関係にある。自民党も自民党の支持者も、簡単に割れる、離れる事など考えられないのだ。会派だけ分裂しても、それは人間関係、主導権について、ケンカになっただけだ。本質的な分裂ではない。

システム上は多少地方分権が進んでも、事実上、慣習的にはあくまでも、国政の下に地方がある。自民党の有力な国会議員の下に、地方の自民党がある。自民党を下野させて状況を変えられる政党など、存在しない(と思われる)のが基本だし、自民党と渡り合うような地域政党もない。

だから地方の人は、何かを実現して欲しい、やめて欲しいという希望があっても、優位政党である自民党に頼むしかないのだ。自民党が良くても悪くても自民党に頼むしかないから、自民党は弱らない、他の党は育たない(自民党以外の側で立候補してくれる候補者を見つけるのも難しい)。悪循環だ。

都市部であっても、この限界と無縁ではない。多少ましだという程度だろう。それを大阪で打ち破ったのが維新だ。大阪なら農村部より難易度は低いのだが、その分徹底的にやっているからすごい。たしかに大阪維新の会も、自民党の会派を離脱した、自民党員の会派としてスタートした。それは野党が挑戦するのとは明らかに違う。しかしそれでも、今の状況にまでもっていっているのはすごいと思う。大阪の多くの首長が維新系であり、地方議員もとても多い。

これまで述べてきた通り、自民党の分派ではない他の政党に、これを真似する事はなかなかできない。大阪維新の会ですら、自民党が野党になって、弱っていた時期に誕生している。しかしそれでも、偉業だとは思う。2021年の総選挙において、各地で立憲民主党に勝った(競り勝った)自民党が、大阪でだけは大惨敗。これがすごい事なのは確かだ。

ただ、維新の会は自民党の安倍元総理、菅前総理と近く、その協力、アドバイスを得ている。両者は大阪の自民党を見捨てているようにも見えた。これでは維新の大阪での成功は、2013年以降については、維新オリジナルの力というより、自民党の事実上の新・大阪支部としての力だという事になる。

その維新の会は、国政においてどうだろうか。日本維新の会は、実に中途半端な存在だ。菅義偉内閣期まではどうみても自民党寄りであったし、今でもなお、彼らの主要な敵は立憲民主党であるようだ。

本当は、日本維新の会という呼称を使いたくない。橋下徹はよく、大阪での維新をほめて、国政の維新を批判する。その理由が全て間違っているとは言わないが、大阪での維新(地域政党である大阪維新の会)と、国政での維新(今の維新系の総体である日本維新の会の中の、国会議員団)を都合よく分けて評価していると思うのだ。橋下は形式上は維新と無関係だが(大阪維新の会の法律顧問だは続けているかも知れないが、確認できていない)、実はつながっているという事、少なくともひいき目に見ているという事は十分あり得る。その中で、大阪の維新を高く評価する。国政の維新は批判しつつ、課題を明確にし、「それに取り組めるのはやはり維新しかないのだ」という空気をつくろうとする。何より、国政の維新のトップだって、松井大阪市長(日本維新の会代表)、吉村大阪府知事(同副代表)である。しかも今の日本維新の会は、維新の党から大阪派(とそれに本当に追従する者)だけが離れて結成した政党である。国政の維新がダメなのであれば、「維新全体に政権担当能力はなく、大阪で行政を何とか担えているだけだ」と言われても、仕方がない。

話を戻し、維新の主要な敵が自民ではなく立憲であるのは、維新と立憲の理念、政策上の違いが、自民党とのそれよりも大きいため、また、立憲の姿勢に批判的であるためだと聞けば、理解はできる。しかし野党というのは普通、「今の第1党ではなく、自分達を選んでくれ」と言うものである。第1党に肯定的であれば、野党としての存在意義が問われる。

ましてや日本は1党優位だ。これを脱しない限り、そもそも野党など、脇役にすらなり難い存在だ。そして1党優位制というものには、どう考えても弊害がある。

筆者は一党が強すぎるのを問題視しているのであって、自民党がこれまでにしてきた事を全て否定するつもりはない。ただし日本が成長しやすい時期に、たまたま政権を担っていただけかも知れない。それも戦前の2大政党の流れなど、多くの政党がとにかく合流して自民党になり、総選挙で躍進することなしに。少なくとも自民党は、日本が本当に厳しい状況にある時、うまく舵取りをした政党だとは言えない。むしろ逆ではないだろうか。

自民党を優位政党の地位に留めている、つまり1党優位となる要因である利益誘導政治の背景には、封建的な日本の社会がある(そのような面が比較的小さい都市部では、自民党は強くない)。利益誘導政治とは、税収(人口等の多い都市部のウエイトが高い)を、全国に(不利であることが多い都市部以外へ主に)、恣意的に分配する政治である。恣意的にというのは、自民党側に票や資金を出す団体(例えば業界団体)や、地域(自民党議員の地元)に、個々の政策等で手当てをしていくという事だ。社会民主主義的な再分配は、数値(例えば収入)を基準とした、より普遍的なものである。

維新は自民党政治を変えると言いながら、社民的な民主党系を敵視してきた。民主党系は労働組合を支持基盤としており、そこには公務員の組合も含まれる。この公務員が、組合の力も背景に、不当な厚遇を受け、自治体の財政に悪影響を与えているという事だ。

そういった面はあるだろう。しかし、今は革新自治体の時代ではない。民主党系は野党第1党ではあっても、弱すぎて、自力で地方自治体を押さえることなどできない。元凶は自民党を中心とした、オール与党体制にある。まさかそれを壊すのに、弱いところから狙って、風穴を開けているとでも言うのだろうか。

そして弱い地域が存在するのは、時代の変化、条件の上でどうしても仕方がない面を別とすれば、維新が何より問題視しているはずの中央集権・東京一極集中による。これの原因は民主党系だろうか。確かに他国の社会民主主義政党には、普遍的な政策を実現するうえで、中央集権を好むものがある。保守系の方が、地域の伝統に寛容である事から、分権的に見える事もある。しかし日本の場合は、責任はどう見ても自民党にある。

自民党が社会党→民主党の抵抗で、やりたかった改革を思いとどまったことがあるだろうか。ないとは言わない。しかし社会党系の労組を弱める効果のある、国鉄等の民営化は実現されている。地方分権、一極集中の是正と向き合わなかったのはずっと優位政党であった、戦前から、一時期を除き政治の主流であったと言える自民党である。

一極集中の是正などは、すぐに自民党の大物政治家同士の、地元への誘致合戦と一体化した権力闘争になる。不正の温床になる危険もある。

確かに、「維新は自民党と近いと言っても、自民党内の改革派と近いのだ」と言われると、そういった事もあるのかと思ってしまう。しかし維新と近い安倍、菅義偉は自民党政治を変えるような人物だろうか。部分的に改革志向を見せる事はあっても、自民党の利益誘導政治を、本気で変えようとしているふうには見えない(この点では小泉純一郎の方が変えようとしていたように思われるが、これは小泉内閣成立当時まで、非常に長く自民党の優位派閥であった、田中派の流れに対する、非主流派の反発に起因する。安倍晋三は、出身派閥も自身も順境にある中で、総理になっている)。仮に安倍・菅が本気であったとすると、新自由主義の色が強いという事になるが、維新はむしろ、新自由主義政党のイメージを消そうとしている。そしてそもそも、自民党の一部と組んで自民党を延命させるのであっては、全体的、長期的に見れば、日本に必要な変化を阻む存在であるという事になる。

維新が中途半端だと言える点を、いくつか具体的に挙げる。

・総選挙後の人事において大胆な若手抜擢がなされたが、党を動かしているのは相変わらず、松井大阪市長らであり、結局代表選挙は2015年の結党以来、一度も行われていない。2012年の、かつての日本維新の会の結成から見ても、大阪派が去った後の維新の党で、つまり今の維新の会とは無関係な政党で、一度行われただけである。

・首長、議員の身分にこだわらないという点は評価できると思うが、代表の松井(府議会議員として)等、世襲もいる。片山前共同代表は、もともと岡山県選出の参議院議員であったが、今はその次男が岡山県選出の参議院議員である(2016年におおさか維新の会公認として当選)。

・維新のベーシックインカムの財源問題の不明瞭さ。かわりに何が削られるのか。維新は減税も謳うが、税負担の増加はあるのか(金融資産課税の有無について党内でもめていた)。現在の優遇措置、不十分な捕捉は問題だが、それを解決するのに、実現が極端に困難なプランを掲げることにも問題はある。

・文通費問題(ここでは省略する)についても、自民党以上に立憲民主党を批判しているように見える。立憲民主党をうまく巻き込んで、野党全体で改革を求める形にする能力か、本気度が足りない。またこの問題は、国民の共感を得やすいし、維新の主張自体は正しいと思うのだが、決して大きな問題ではない。そのような問題を象徴的に取り上げて目立とうとし過ぎている。国会議員の基本姿勢にも関係する、大きな問題だと言うのなら、まずは最も力のある、自民党を批判するべきだ。そして資金難に苦しむ議員、大金やコネを親から「相続」できない政治家志望者が、必要な期間、無理をせずに議員を続けられるような仕組みを、改革を、もっと建設的に提案すべきだ。

・岸田総裁・総理になってから、自民党に批判的な面が大きくなったが、今まで自民を延命させ、味方をしてきた維新が、今から自民党と対峙し、政権を目指すと言っても信用できない。岸田派等に批判的なだけで、安倍・菅とはまだまだ近いように見えるから、安倍・菅系(これが一体でないのなら、そのどちらかを中心とする勢力)への、自民党内の主流派の交代を目指すだけの政党なのではないかとも、疑われる。また、もし自民党と公明党を引き離し、自民党と組む事を目指しているのなら、かつての維新の会から離れていった石原ら(たちあがれ日本→太陽の党→日本維新の会に合流→次世代の党の流れ)と変わらない。

・大阪においては郷土愛を利用し、郷土愛に助けられているが、それゆえ他の都道府県では、以前ほどではないが、拒否感を持たれている面がある。それを前提とした時、国政についてはどうするのか、愛国心が悪用されることにならないか。

・何でも反対だと左派野党を批判する一方、維新も左派野党を批判するばかりで、左派野党に対して何でも反対だという面がある(野党間の建設的な議論等に不可欠な、コミュニケーション能力の欠如)。また、自らは法案を多く提出して自民党を揺さぶる路線のようで、それは左派野党より建設的であるようにも見えるが、左派野党だって実際には何でも反対ではない。それに権力を監視する役割、警鐘を鳴らす役割も重要である。「それはメディアがやれば良いのだ」という考えもあるが、メディアに期待し過ぎるのは危険だ。維新が法案をどんどん提出したり、文通費等について騒いだりしていると、そのうち、「維新の対案路線が、有能な自民党政治の足を引っ張っている」と言われる時代になりかねない。筆者はこれまでそんな繰り返しを見て来た。維新が自民党の脅威となれば、自民党(側)が維新を追い込むような空気をつくる可能性がある。維新に批判されてきた左派野党も、これには同調する可能性が高い。1党優位の日本では、優位政党はなんだかんだ言っても票を集め続け、実際には第2党と第3党が戦い続ける、消耗戦になりやすい(冷戦終結後、民主党が強かった一時期を除き、そうなっている)。「野党はどっちもどっち」、「野党はみんなダメ」という世論になりやすい。第2党(野党第1党)は優位政党と戦いながら、第3極との戦いも強いられる。消耗し、飽きられもする。そして維新が第2党に仮になったとしても、それは続く。維新は2位争いを続け、定着させることによって、自分の棺桶をつくっているのである。

・最後に最も重要なこととして、新自由主義なのか、国の歳出等を改めて、社会民主主義的な政策を実現したいのか、この中間的な、第三の道なのか、はっきりしない点である。この3つのどれなのか、回答を強要することが出来たなら、間を取って第三の道だと答えるのかもしれない。それはそれで良い。スタートラインの平等を、教育の無償化等でなるべく実現するが、あとは競争重視であり、最低限の保障はするとしても、格差の拡大を容認するのだなと、分かるからだ。国政に本格的に進出するのなら、維新にも理念が必要だ。それを隠して個々の政策で選んでくれというのは正しくも見えるが、自らに都合の悪い争点は簡単に隠せる。こういう政党だという、あえて言うが「レッテル」も大事なのだ。あいまいな政党でないと選挙に勝てないという面があるのは、日本が1党優位であり、野党が1票たりとも、失えば勝てない(失わなくても勝てない)状況だからだ。自民1党優位に肯定的な維新だから、彼ら自身もあいまい路線でいくのだと、理解すれば良いのだろうか。

 

そもそも今回の総選挙でも、立憲を中心とする左派野党が1対1の構図に持ち込んでいったところに、維新が別角度から参戦、【顔見世興行なので勝てなくても問題はない】という立場で、構図を変化させた。良い変化であれば問題ないのだが、小選挙区制が中心である以上、それで有利になるのは、より強い自民党である。しかも自民党には、多くの組織票を正確に獲得するだけでなく、自民党に献上す公明党がついている。

今回の総選挙は、自民党のコロナ対策(何より国民を軽視する姿勢)に対する不満の中、野党が議席を増やすと見られていた。それが、自民党の総裁選→総裁・総理の交代で、明らかに風向きが変わった。

岸田が総理となって維新は戦いやすくなったわけだが、総理交代に自民党を追い込んだのは左派野党であった。ここでも維新は「フリーライダー」であったのだ(維新をフリーライダーとする理由について、『続・政権交代論』「維新の会は自民党に逆らえるか」参照)。これから自民党を揺さぶるのだとしても、それは、敵のいなくなった自民党が、主流派と反主流派の対決ごっこをする際の、お供を演じる権利を得るだけの事だ。国民は相変わらず選択権を奪われたままだ。とは言っても、これは国民の自己責任でもある。国民はまだ、本当の変化を起こすことができる、主権者だからだ。自らの権利に目覚めるべき時だ。

 

2つの維新→

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