日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
維新に残る、政権を狙う政党への可能性

維新に残る、政権を狙う政党への可能性

もちろんこのままでも、10年、20年かければ、維新は政権を狙う政党になるかも知れない。民主党にできなかったことだから、全く容易ではないが。

民主党にできなかったとしたのは、2009年の政権交代が、あまりに奇跡的に、条件がそろったものだからだ。次の通りである(『続・政権交代論』「合流するなら取りこぼすな」で挙げたものを再掲する)。

・もともと自民党が、比例代表では第2党になってもおかしくないくらい支持を減らしていた(背景に、それまでの自民党の、反対派―党内と官僚―への配慮、権力闘争、バランス維持のためのあいまいさ、行動力の無さ。この当時にはまだ、消えた年金問題に関する批判が強くあった)。

・自民党の支持を回復させたように見える小泉内閣だが、自民党の利益誘導政治をある程度転換したため、組織票が減っていた。特に郵政問題で、自民党の支持層に亀裂が生じ、本来の支持者の支持を得られない状況となっていた。

・自民党を離れた「郵政票」が国民新党を通して民主党側に入ることとなった。

・創価学会と自民党の協力関係に否定的な宗教団体が、民主党側に移った(今ほど民主党系が弱くなかったので、そうすることができた)。

・小泉内閣期のマイナス面だけ解消しようとする虫のいいやり方が、小泉改革を支持する国民の、自民党離れを起こした(例えば、郵政民営化法案に反対した議員たちを復党させたことで、第1次安倍内閣の支持率は大きく下がった)。

・共産党が資金的な負担の大きい、【全選挙区に候補者を擁立する方針】を改めたことで、反自民票を民主党が独占できるような選挙区が多くできた。

・郵政解散(とその後の反対派の復党)によって、自民党の議席が過去最高レベルにあった。このような大勝に今ほど慣れていなかった国民の多くが、自民党が強くなり過ぎることを危険視した。

・右から自民党を削り得る幸福実現党が、ほとんどの選挙区に候補者を擁立した。

・ねじれ国会、安倍(第1次)、福田康夫と続いた1年での総理辞任(ねじれ国会によって追いつめられたことが背景にあるが、国民は、参院の第1党となり、自民党を追いつめる民主党を責めなかった)によって、麻生新内閣の支持率は、当初からそこまで高くなかった。それでも組織票と合わせれば、十分民主党に勝つ可能性はあった。しかし麻生総理は、リーマンショックへの対応などもあり、支持率が高いうち、ねじれ国会で行き詰る姿を見せないうちに衆議院を解散するという事をしなかった。当時は総選挙から3年がたっていたから、解散の先延ばしは、有利な時に総選挙を行う事が出来るという自民党の強みをゆっくりと無力化していった。そしてついに衆議院議員の任期満了が目の前に迫ったが、総理・総裁へをとにかく人気のある議員に代えようという動きも広がらなかった(当時であれば、参院議員であったが舛添要一、あるいは女性の小池百合子といったところだろうか)。これらは民主党に非常に有利に働いた。なお、この時総裁の交代を唱えた議員の一人が石破茂であり、これは当然麻生の恨みを買い、野党の時に自民党を離党し、与党になると戻って来たという過去と合わせて、石破の党内での人望を失わせることにつながっていく。

・民主党も、さかのぼれば自社さ連立、非自民連立、55年体制下の自民党議員として、ある程度の与党経験はあった(与党経験の全くない若手の議員も多かった)。しかし民主党自体は、与党経験のない勢力と見られ(結成時などにそのような演出もなされた)、その分不安も持たれたが、自民党や今の民主党系のように、過去の失敗を問題視されることもなかった。

・【都市部に多い無党派層を引き付ける民主党】に、【保守層、農村部の有権者を引き付ける事の出来る存在であった、小沢一郎の自由党】が合流した。そして野党であったため、それによって生じ得る矛盾に、国民の関心が集まらなかった。なお、今の民主党系がこのような「いいとこ取り」をするのは難しい状況だ。

・右から自民党を削り得る幸福実現党が、ほとんどの選挙区に候補者を擁立した。

こんな好条件は、100年に一度だろう。国民が選挙で起こした政権交代自体が、戦後76年で、1回だけだ(※)

しかし、維新の政権獲得の可能性を上げる、またその時期を早める方法も、ないわけではない。

まずは東京都知事選挙で候補者を擁立し、当選させて、東京を大阪のようにするというものだ。これはもちろん大阪と全て同じようにやるという事ではなく、大阪のように維新が評価され、浸透するようにするという事だ。

これについて述べる前に、補足として確認したいことがある。よく、「民主党系も地方自治で名を上げて、維新のようになれ」というようなことが言われる。しかしそれは非常に難しい。知事選を単独で(近い政党との協力によっても)勝利する事自体が難しいし、それができても、地方議会は自民党系だらけである。とても政策を実行できない。それどころか、自民党系の協力を求めざるを得ない中で、野党系の知事も自民党寄りになっていく。

にもかかわらず、維新が大阪で成功したのは、以下による。

①愛郷心、東京に対するコンプレックスのある大阪の、地域政党として出発した。

②その大阪は都市部だが、東京からは離れており、そのために不利であった。

③自民党が、野党になるなど弱っていた時期に、自民党の分派として誕生した。

民主党政権の誕生ほどではないにしても、大阪での維新の会の誕生、成功も、かなり奇跡的なものなのだ。

その奇跡的な成功の、今も延長線上にあると考えられる事から、そして、京都市の財政の深刻さが注目されている事、近畿地方をカバーするメディアに、維新に好意的な、少なくとも注目するもの(注目するのは当然だとしても、バランスを欠いている)、維新関係者を出演させる(特に、コロナ対策を聞く形で吉村大阪府知事を出す)ものが多い事から、大阪府周辺への維新の拡大は、比較的容易だと思われる。しかし、近畿地方でじわじわ広がるだけでは遅い。遅いという事は、維新を警戒するようになった自民党に、つぶされるリスクが高まる事を意味する(権力を維持するためなら、自民党は何だってする政党だ)。また仮に、近畿地方を瞬時に「制圧」する事ができたとしても、それはそれで別の問題が生じる。問題とは、すでに述べた通り【近畿地方の維新の会vs他の自民党(場合によっては自民・立憲連合)】となって、地域的な分断が深刻になってしまう事だ。

以上の限界、問題を打ち破るための、近畿以外の唯一のフィールドが、小池百合子の力が衰えた後の、東京だ。

今だとまだ、小池都知事の支持率は高い。これは大阪における維新とは違い、イメージによるところが大きい。だから小池に勝負を挑む事は、維新の今の支持率を考えれば無謀とまでは言えない。しかし次の都知事選に小池が出れば、まだ最有力候補だろうし、他の小池系が出る場合や都議選では、そこまで小池系が強くなくても、他にも政党は当然あるわけで、国政的に見れば見れば第3極ポジションである小池系と維新は、共倒れになる可能性はある。

それでも、東京は都会だから、新しい政党にとっては勝負しやすい。新しいものが好まれるから、次で3期目となる小池知事、次で3回目の都議選となる都民ファーストも、前回ほど有利ではない(前回、都民ファーストは議席をかなり減らしたが、予想されたよりはずっと多くの議席を得た)。しかも東京は、日本の圧倒的、最大の都市だ。ここを制すれば全国的に注目されやすくなる。

東京都周辺の県知事を取るのも、ある程度効果的ではある。しかし東京と比べてずっと、議会を押さえられる可能性は低い。都市部以外の割合が東京都と比べれば高いし、東京都議会議員選挙が、国政選挙に近い注目度を誇り、かつ国政選挙(における都市部)と似た結果になりやすく、つまりブームで議席が増えやすいのに対して、東京周辺の県では、そうはいかない。成功するとしても、エネルギーと人気を消費する、「ドタバタ劇」の後での事になるだろう。勢いを失ってしまっているわけだ。都議会なら、単独過半数は無理でも、多数派形成は比較的容易だと想像する(他の勢力を切り崩したり、自党の勢いを武器に協力を求める事が成功しやすい)

民主党系が東京を押さえられなかったのは、勝負できる態勢を十分整えられないうちに、石原慎太郎が都知事選に出馬したからだ。

この、1999年の都知事選には、まだ民主党であった鳩山邦夫も出馬している。民主党は都市部でやや強かったが、結成からまだ2年半あまり。第2党となり、新進党出身者と合流してからは、1年しか経っていなかった。そこに後から、政治家としてもしっかりとした経歴があり、作家としても有名な石原が立候補したのだ。しかも石原軍団と呼ばれる有名俳優達が積極的に応援する。一気に持っていかれてしまった。立候補者も多い中で、自公両党が推す候補すら埋没してしまった。そもそも東京も大阪も、有名人の候補者に弱いところがある。

立憲民主党にとっても、東京を押さえることは重要だが、維新がそれに成功すれば、日本の2大都市、東西の2大都市を同時に押さえることになり、政権への強力な足掛かりになる。

ただしそれでも、都市型政党としての限界は残る。都市型の選挙区で自公よりかなり優位に立った民主党も、それに苦しんだ。都市部の多くで議席を取るようになっても、全体の獲得議席では、自民党に引き離されていたのだ。そのくせ小泉ブームが起これば、都市部は一気に自民党になびく。都市部の改革政党は、優位政党の自民党が都市部に期待されるようなスタイルを採れば、その分多少地方で有利になっても、全国的に勝てなくなるのだ(農村部は自民党に軽く見られたところで、自民党に完全に見捨てられることを恐れるため、簡単には自民党から離れられない。特に自民党の大物議員がいる選挙区では、その大物に逆らいにくい。このこともあって、2009年の自民党は100議席を割らずに済んだ)。

このため民主党は、ついには改革政党の色を弱め(とはいっても改革にも色々あるから、全てを弱めたわけではない)、自民党出身の超大物、小沢一郎によって、左傾化すると同時に、小泉以前の自民党のように農村部を味方に引き入れ、それでやっと、自民党と勝負できるようになった(この変化が急であった事は、国民の多くに、民主党が改革派の政党であるというイメージを残すという、自民党と良い勝負をするためのトリックとして機能した)。

ところがこの都市型の限界を超える、光明が見えている。それは国会の定数是正である。

次の総選挙の時には、都市部の選挙区が大きく増える予定である。これが野党の助けになる事は間違いない(よって自民党内に、これを止めようとする声が、大物を含め上がっている。都市部の声ばかりが反映される政治になるという指摘もあるが、自民党の要人たちの選挙区を見て見ると、まだまだ1票の格差の方が問題だと思うし、他国を見れば、地方の声は上院-日本で上院に当たるのは参議院-で補っている。その場合は上院の権限を弱める必要もある。このことについてはいずれ述べたい。もっとも、自民党内の定数是正反対は、もっと直接なもの、つまり地元の選挙区が少なくなる、無くなるという事に対する反発であろう。いずれにせよ、今後注視する必要がある)。

維新の政権獲得の可能性、スピードを上げるもう一つの方法が、再編による強化だ。多数派を形成するためには、やはり他党との合流、再編が手っ取り早い。もちろん野合だという批判や、再編の多さにうんざりする声が上がる可能性も高い。その分、説得力や魅力が必要になるという事も言えるが、維新の支持率が上昇するという勢いの中では、全てが自然に正当化されるという事も、十分あり得る。もちろん、「良くも悪くも」とは、言わなければならないのだが。

民主党系との再編は、維新も希望していないだろう。国民民主党については次章で述べるが、あてにはならないと思う。それに弱すぎる。可能性があるのは、自民党内の対立だ。

断っておくと、筆者は野党が自力で成長する事を重視するから、自民党の分裂に期待する事に否定的である。しかし、具体的な方向性のある、改革路線の是非を対立軸とした再編であるならば、不可能に近いとも思うが、実現すれば意味のある事だし、維新にとって有益だ。「不可能に近い」にもかかわらず、ここで可能性として挙げる理由は、話を進めていく中で明確にしたい。

維新が自民党の政権に加わりたいというだけなら、それは自公の過半数割れを目指せばよい。過半数割れは参議院であっても良いだろうから、まだ近くチャンスはある(1人区で立憲と共倒れしているようでは難しいが)。しかしそれでは当然、自らが政権の中心になるのは不可能だ。したたかな自民党は、結局は連立相手を一方的に利用する。公明党の願いがある程度容れられるのは、国会でのキャスティングボート以前に、選挙の段階ですでに、キャスティングボートを握っている面が大きいからだ。公明党、というよりも創価学会のように、自らの支持者に、違いのある他党に投票してもらう事は、他の党にはなかなかまねできないし(共産党はやっているが、同じ左派陣営内での事ではある)、自民党と組んでは、維新から多少なりとも支持が離れるだろう。

しかし自民党が、党内でやや左の岸田総理と、新自由主義的な面もある河野らに割れればどうだろうか。河野とは、いわゆる「小石河連合」である(小泉進次郎、石破茂、河野太郎)。維新と近い菅義偉前総理も、河野に近いと言われる。この連合と維新が組めば、維新が中心とは言わなくても、皆で相談して、対等に物事を決める形に持っていけるかも知れない。国民の多くが支持するのだろうし、自民党の力をある程度持ち込めれば、この勢力が政権を得る可能性は高い。

こうなると政界大再編だ。立憲と自民党岸田支持派が組み、もう一つの極を形成し得る。それは社会党系や宏池会、反新自由主義と、まさに自社大連立(社会党首班時代)の再来だ(あくまでも性質的にと言う意味で、政権を担うかは分からない)。これも繰り返しだが、どちらかが明確に挫折し、元の自民党1党優位に戻る事も考えられる。

場合によっては、「安倍、菅(小石河)、維新連立」ともなり得る。そうなれば、ますます、菅義偉や維新が政権を担う可能性は高まる。ただし、安倍と石破はかなり仲が悪いし(有利だと思えば、そんな感情を捨ててしまえるのが自民党かも知れないが)、菅義偉と二階が近いとも言われる。

 

そもそも、安倍、菅、二階、麻生、河野(麻生派)、小泉が組むのでは、それはもう岸田派包囲網だ。規模が大きすぎて、外様の維新は埋没する。維新は政権と別行動をとるようになるかも知れない。元の自民党1党優位に、よりもどりやすくなると言えるだろう。野党側も、岸派(宏池会)・立憲連合と、維新が存在する、今と似た2弱になる可能性が比較的高い(岸派はこれだけ不利な状況になるなら、自民党内で耐えようとすると思う。そうなれば第2次以降の安倍内閣とほぼ同じだ)。

また、さらにややこしいことに、岸田派、谷垣グループ、麻生派が合流する、大宏池会構想(かつての宏池会の復活)の実現も目指されている(補足として宏池会の分裂を確認しておくと、次の通りだ。かつて宮沢派から、後継が加藤紘一になる事に反発した河野洋平らが離れた。これが今の麻生派であり、麻生派は三木派の流れを吸収した。加藤派は、加藤が森内閣に反旗を翻したことから分裂し、離脱者が堀内派を結成した。これが今の岸田派。残った少数派の加藤派が、今の谷垣グループだ。ただし堀内派の流れと加藤派の流れは一度合流し、2012年の総裁選での不一致で、再度分裂したのである。堀内派の流れを率いる古賀誠が、谷垣総裁の続投を支持しなかったことで、谷垣は不出馬に追い込まれ、河野洋平と同じく、つまり宏池会出身の総裁としては二代続けて、総理大臣になれなかった自民党総裁となった。筆者は不出馬を情けないと思うが、野党自民党を率いて、政権奪還が確実になるところまでもっていった谷垣が、コケにされてもふてくされないのは、いくら優位政党の求心力とは言っても、尊敬に値するとも思う)。

訳が分からなくなってきた(2022年2月、麻生派には分裂の兆しが見えている)。内情を知らない筆者が混乱しているだけかも知れないが、このような、派閥の合従連衡こそ自民党だ、という面もあると思う。維新は心してかからないと、振り回され、利用されて終わる。これまでの自民党の連立相手、協力相手は、手柄がほとんど自民党のものになるという事もあり、皆ほぼ一方的に利用されて、衰退している。

もし維新が、自らがしっかりと結び付かない状況で、河野太郎、小泉進次郎が自民党の総裁になるなどして、自民党ブームが起こると、維新にとっては最悪だ。2021年の立憲民主党のように、政権と立場が比較的近いからこそ、選挙で埋没するという事だ(埋没しても良いのかも知れないが)。

しかし、自民党の分裂さえ実現すれば、「自民党A」も「自民党B」も、少しでも味方を多くしたくなるはずで、維新は重宝されるだろう。

自民党ではしばしば、どの党と組むか(親しくしてあげるか)が、権力闘争に利用され、自分をだますように、党内がそれによって分化する。

自分をだますとはどういう事かというと、筆者はこれを自民党の数少ない弱点だと思っているのだが、嘘が本当になるという事だ。例として、1998年頃の自民党を挙げたい。当時、自民党は自社さ派(連立相手であったが、同年に政権から離脱した社さ両党と、両党から誕生した民主党に、近い議員達)と、保保派(新進党と、同年、解党した新進党から誕生した自由党に、近い議員達)に内部が分かれ、最小の河本派を除く、各派閥が分裂した(『政権交代論』「起こり得る、「保革連立」の再来」または「冷戦後の自民党の派閥政治の、3大転機」参照)。

両派についての()内の説明は、一見明瞭に思われるかも知れないが、本当にそうだったのかという問題があるのだ。確かに自社さ派には、自民党内では左寄り(リベラル)な議員が多く、保保派には右寄りの議員が多かった。しかし双方を移動したような議員もいるし、実際には当時、そこまで大きな違いはなかったと思う。後には自社さ派の流れを汲む主流派が、自由党との連立を実現させている。

何を言いたいのかと言うと、次の通りだ。もともと自民党には、優位政党であるからこその、各派閥における後継争い、党全体の主導権争いがある。それが当時、自民党が少なくとも参議院で過半数割れを起こしていたために、協力相手、連立相手を用意できる議員、協力相手、連立相手と交渉できる議員が力を持つことができた(特に後者)。つまり多党とのパイプが、党内での主導権争い等に、利用されたのである。しかしパイプというのは、その相手とも親しくしていなければ失われる。だから、出世や主導権争いの道具であるはずのパイプであっても、時にはそのパイプ(相手の党派)に動かされてしまう事があり得るのだ。また、武器が異なれば戦い方が変わるように、パイプを武器にすれば、そのパイプ(相手の党派)の性格に、影響を受けた戦い方になる。

考えてみれば、五十五年体制の自民党(の中心であった田中派→竹下派の流れ)には、社会党と近い議員と、公明、民社両党に近い議員がいた(自民党が単独で、両院の過半数を上回っていたのに)。これが自社さ連立、その前の非自民連立(自民党離党者が主導権を握る連立)になったという面もあるのだ。

現状を考えると、自民党は衆院で過半数を上回っており、参議院でも過半数に迫っている。それだけではない。すでに公明党というパートナーもある。多くの票を、安定的に供給してくれる「パートナー」だ。だから90年代後半のように、自民党が親立憲派と親維新派に分化する事は考えにくい。ただし自公両党は、選挙目的では一体化が進んでいるが、本来の理念、政策はかなり異なっているように見える(自民党の影響で右傾化している議員もいるだろうが)。そして改憲には過半数ではなく、3分の2が必要になる。他にも、2016年の安保法制のように、過半数で成立するとしても、なるべく多くの政党が賛成する形にしておきたいというものもある。だから維新が入り込む余地はあるのだ。

維新は2022年の参院選と、改憲のための国民投票を、同日に行うべきだと主張している。非現実的だと思うが、それはすでに、ここで述べた事に関係する、作戦なのかも知れない。

さて、話を少し戻したい。小石河連合(世代交代が進み、菅や二階、あるいは安倍の影響力が小さくなることもあり得る)が政権を担うには、小石河連合が自民党を出て、維新等と組むか、彼らが党首選(総裁選)に勝利し、反対派を追い出すか、少なくともかなり劣位に置く必要がある。後者の場合では、維新はやはり「外部」の協力者に留まる可能性が高い。それどころか、かつて小泉総理が民主党を利用したように、ただ、自民党内を、「維新(小泉の場合は民主党)と組んでお前らを排除しちゃうかもよ」と脅すための道具に留められるかも知れない。やはり簡単な話ではない。

維新の要人たちは安倍とも菅とも非常に近かった、だから維新が、自民党の別動隊、またはその下部組織であるように思える(そう見えた)わけだが、さすがに、表面的には維新はずっと野党であるので、批判することもある(そうでないと、自民党の別動隊だと思われてしまう)。これが党内の協力者とは違う点だ。

そんなことは、人間的な関係の近さを前にしては問題にならないとも思う。しかし、立場が人を分ける事は確かにある。党外の、【他者から見えるところで忠言をする】勢力よりも、公衆の面前で異論を唱えるような事はせず、しぶしぶであっても服従する、党内の勢力の方が利用しやすい、組みたくなる。そういう事は確かにある。それを体現したのが小泉純一郎だという面もある。

小泉総理でさえ、その人気は、内閣支持率や自民党の支持率、選挙の成績で計られた。だから党内の反対派を封じるのに、党外ではなく、党内の新たな協力者を用意せざるを得なかったのだ。いわゆる刺客候補だ(彼らなら自民党の議席増に貢献する)。

確かに自民党でうまくいかなければ、小泉が民主党側に行くこともあり得た。しかしそれはあくまでも保険だ。そのような場合にさえ、まずは民主党を割って、一部を小泉支持派に取り込む事が優先されたのではないだろうか。

上昇傾向の維新とのパイプを武器に(あるいはパイプを持ち得るというだけで)、河野系が自民党内で主導権を握ることはあり得る。それでうまくいってしまえば、維新は小泉内閣期の民主党と同じように(たとえ第2党であっても)埋没してしまう。維新は改革さえ進めば自分達はどうなっても良いというのだろうか。そうならそれは見上げた根性だが、実際には改革が中途半端に終わる可能性も高い。どうであれ、これは筆者にとっても最悪のケースに近い。自民党が分裂に至らなければ、国民が政権を選び、政党と共に成長をする、政党間の対等な競争への歩みとは言えないからだ。

もし今の維新の路線を肯定するとしても、チャンスを見つけるだけではない、ゴールまでの高度な戦略と、それを適宜変更する柔軟性は求めたい。

 

国民の意識は変化していくのか→

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