日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
維新に残る、政権を狙う政党への可能性 註

維新に残る、政権を狙う政党への可能性 註

『政権交代論』「議会ができて130年、一度だけしか政権交代をしたことがない日本」参照。ここで整理しておくと、唯一とするのは2009年の、民主党への政権交代である。2012年の自民党への政権交代は、元々ずっと優位政党であった自民党に、短期間で政権が戻っただけの事だから、筆者は含めない。他に、国民が選んだ政権交代ともし得るのは以下だ。

・1924年の総選挙では、憲政会が第3党から第1党になった。しかしこの時の総選挙は、政友会と憲政会と革新倶楽部の護憲三派と、非政党内閣を支持していた政友本党との対決であった(政友本党は総選挙前、第1党であったが、政友会の分派であった)。護憲三派の勝利と言えるが、護憲三派は総選挙の前から、過半数を大きく上回っていた。

・1947年の総選挙では、社会党が第3党から第1党になった。しかし当時は、自由党と民主党の連立と言える政権であり、この2党の合計は、総選挙の前も後も、過半数を大きく上回っていた。

・1993年の総選挙では自民党が過半数を下回り、非自民連立政権が誕生した。しかし自民党は羽田・小沢派等の離党により、総選挙前から過半数を割っており、総選挙ではむしろ1議席増えた。自民党は総選挙前も後も、他党を引き離す議席を持っていた。この時の政権交代は、総選挙というより、羽田・小沢派の離党、総選挙前後の彼ら(新生党を結成)の多数派形成によるものだと言える。非自民政権の成立を主導したのも、同派の小沢一郎であった。

確かに比例代表制を採る国なら、総選挙後の多数派形成はめずらしい事ではない。しかし普通は近い政党同士が組むものであり、そうならないのは、極右、極左の政党を排除する場合に、ほぼ限られる。総選挙時点での政権党を排除した連立政権をつくる場合は、選挙前に連合を組んで、それを国民に示しておかないと、政権党が第1党のままであった場合には問題になる。

総選挙前に野党連合が明確に組まれていて、総選挙後も、個々の党では政権党に及ばないものの、合計では上回るという事はある。そういった場合でさえ、国民はどちらに政権を託したと言えるのか、議論の余地は残る。ましてや、総選挙後に政権党を排除した連立政権を急ごしらえでつくったりしたら、それも、その政権党が極右、極左でもないのに、政策的に近くない政党が連立を組んだりしたら、少なくとも批判の的である。内閣の成立が阻止される事もあり得る(権限の―あまり―ない大統領または国王が、選挙結果を踏まえ、また各党の意向を聞いた上で、首相を形式上決める国家の場合。こうった形を採る国は欧州に少なくない)

 

※ただし、1924年、1947年は、総選挙前の多数派が信任されたとは言える。1993年の場合は、非自民連立を期待する声は大きかったが、総選挙の時点では日本新党と新党さきがけが姿勢を明確にしない、第3極的な立場を取っていた。この両党と、連立から排除されることが確定的であった共産党を除けば、【非自民の第2位極 < 自民党】という選挙結果であった。

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