日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
1列の関係・1党優位の傾向(⑦)~自由党系の地租増徴容認と利益誘導政治への転換~

1列の関係・1党優位の傾向(⑦)~自由党系の地租増徴容認と利益誘導政治への転換~

転換東北地方府県会議員選挙において憲政党(自由党系)は、鉄道の国有化と促成、監獄費国庫支弁、港湾改修、教育機関の拡充等を唱えた。薩長閥が地租増徴を何としてでもやる決意であり、現実的にも歳入を増やす必要があれば、むしろこれを受け入れて、党勢の拡大につなげるべきだというのが自由党系の路線であった。もちろんその背景には、米価の高騰など、状況がそれを許した事、ライバルの改進党系が地租増徴に反対であり、これと同様のことを唱えても差別化できず、むしろ利益誘導的な方向で行った方が支持を広げられる、という事があった。それを見極めることが出来るのが、現実的な優位政党だと言える(当時の自由党系の議席は、優位政党と言えるものでは全くなかったが、長期的に見れば)。星は1899年、東北地方でこの路線を明確にした。自由党系は、離党者が出た事などで、東北における基盤が弱かったわけだが、これは、その弱点を自由党系の路線で補う事を目指したものであった。次の総選挙を自由党系は立憲政友会として新たな選挙制度で迎えているから、比較は困難だが、東北での勢力はある程度回復したように見える。星は実業家層への浸透を図ると共に、不利な状況にあった地方への新党も図っていたのだ。双方は矛盾し得るが、財政が許す限りは、積極財政路線で矛盾を覆うことができた。何より当時の自由党系は、政権の中心にはなく、極端なことを言えば、薩長閥に要求していれば良かったのである。自民党にすり寄って政策を実現させ、それ誇る政党のようなものである。ただし自由党系は政権を狙っていたから、慎重である必要は当然あったが、ライバルが(より)野党的である以上、あまり心配をする必要はなかったと言える。

※坂野潤治『明治憲法体制の確立』224頁参照

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