日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
共産党に、疑似与党経験を!

共産党に、疑似与党経験を!

連合は今、立憲民主党と国民民主党の双方を支持している。神津前会長時代は、立憲と国民が合流した、新たな立憲を支持政党とし、新たな国民にも配慮しつつ、双方の協力、合流を求める姿勢であった。芳野会長も両党の合流を求めているが、共産党と組まない事を明確にしている、国民民主党に肩入れしているようにも見える。

連合会長の態度を硬化させたと言われる、共産党の、立憲内閣への閣外協力の話だが、立憲が共産との政権交代後の協力に関して、一致点における共産党の閣外協力を決めたのは、それ以上の協力をしないという事でもあった(選挙協力までしている政党が、一致点について協力しないという事は、よほどの事態でない限り考えにくい)。また、合意事項以外について、共産党が抵抗しないようにするためでもあった。それはどういう事かと言うと、与党になった立憲が、国防等について現実的な対応をする事について、共産党が特別問題視しないという事だ(このような課題については、共産党が反対するとしても、保守系の支持が期待できる―そうでないと保守系も、日本型の左派になってしまう―。もちろん、立憲がかつての民主党のように、政権獲得前後で大きく変わった場合には、共産党も強く出るだろう)。

この「閣外協力」の約束は、立憲が共産の票をしっかり得るための、そして同時に、両党の協力関係をあまりに一方的なものとしないための、苦肉の策だとも言える。連合がそれを理解して反発していたようには見えないのだが、理解できないはずがないとも思う。警戒心が先に来たということだろうか。「一致できる点」自体に反発しているのなら、立憲と市民連合の合意事項を問題にすべきだ(2019年の参院選前には、旧国民民主党も合意している)。

筆者はと言えば、共産党をもっと、政権側に引き込むべきだと考えている。共産党が立憲中心の政権において、与党側になった場合、国防(自衛隊、日米安保)に関する姿勢が問題になる(※)これは立憲の源流とも言える日本社会党が、1993年、約45年ぶりに与党となった際に、直面した課題でもある(社会党が与党であった1947~48年、日本はまだ占領下であり、自衛隊も日米安保もまだ、存在していなかった)。社会党は与党となったことで、自衛隊と日米安保を初めて認めた。その後、また後退するが、それは野党に戻り、しかも小党になったためだ。自民党と並ぶ政党であったなら、後退はしなかったと思う。

※ 一致点のみでの協力であれば、内閣(立憲内閣)の方針と党(共産党)の方針は異なるという、1993年、細川非自民内閣の時の社会党の立場を、もっと矛盾を小さくして、採る事が出来る。しかしそれでも、野党となった自民党等が、政権の弱点と捉えて(弱点なのだと宣伝して)、追及するだろう。

 

日本共産党も、与党側になれば、現実的になる事が期待できると思う。なお、筆者は自衛隊と日米安保を肯定する事を、「前進」と捉えるが、それはもちろん、軍隊や軍事同盟を、素晴らしいものだと思うからではない。現実的に必要なものだと思うからだ。理想と現実は分けられる。軍隊が必要なく、実際に存在しない世界を目指しつつ、現実には侵略、攻撃をされないため、そして、仮にされたとしても負けないため、何より被害をなるべくださないための、策を採る。これは当然やるべき事だ(他国を刺激しないため、また、経済に悪影響を及ばさないための工夫をするとしても)。

社会党が方針を転換したのは、1993年の非自民連立の与党になった時ではなく、翌94年に、自社さ連立で総理大臣を出してからだ。非自民連立(細川内閣)では、党の方針を閣内に持ち込まないというスタンスであった。総理大臣や防衛大臣(当時は防衛庁長官)を出していなければ、移行期としては何とか通用する理屈だと思う。なお、この非自民連立は、非自民・非共産連立とも呼ばれる通り、共産党は閣外協力にすらなっていない。

当時の社会党の姿勢・方針は、今の共産党の姿勢・方針と近いのではないだろうか。だから共産党が閣外協力になるという事でも、筆者はむしろ足りないと思ってしまうのだ。総理大臣はもちろん、各省の副大臣でも問題だというなら、閣内に入るまでの移行期として(移行期は長期に及んでもかまわない、仕方がないと思う)、まずは各省に強く結びつかない形で、【次の防衛副大臣】、【次の防衛政務官】を出してもらい、政権を疑似体験してもらう工夫をすれば良いと思う。

ずいぶん上から目線になってしまったが、共産党が警戒されているのも当然の事だし、与党経験がないのも確かだ。

筆者がこのような事を考える理由はもちろん、日本の左右の別が、経済や伝統に関する問題よりも、国防の問題に偏っているからだ。これが、もともと低いと言える、日本における政権交代の可能性を、さらに低くしている。加えて、共産党という国会で最も左の政党と、他の野党との共倒れの回避を、問題にさせている面がある(社会主義に固執している点も含めて、共産党がもう少し現実的であったなら、左派野党全体の協力は、少なくとも内外であまり警戒されることなく、進んでいたはずだ)。

共産党が国防について現実的になる事は、現実的になるという事だけを意味するのではない。資本主義陣営として、国防に当たるという事をも意味する(他には考えられないだろう)。共産党がそれでもなお、社会主義にこだわるのだとしても、社会主義にも色々ある。社会民主主義との類似性は、さらに増すはずだ。

閣外協力にも色々ある。筆者は、常設の協議機関がない場合は、与党というより、準与党だと考える。しかも一致する点については協力、他については、【賛成できなくても阻む事はしない】という場合、筆者の分類では準野党に近い。安倍・菅内閣期の維新の会のようなものだ。これに連合が反対する理由があるだろうか。

連合が共産党を警戒するのは分かる。連合と全労連は「同業」であり、組合員の獲得については、ライバル関係にある(ただし、よく知った上で述べるのではないが、職場や地域によってどの系列の労組が強いという傾向があり、同じ職場で組合員を奪い合うような事はあまり無いという印象を持っている。連合は、その圧倒的な規模(被用者全体で見ればそうでもないが)を力としている。全労連は、その連合に対抗する勢力として誕生していると言える。立憲民主党が共産党と協力する事で、立憲が共産に、連合が全労連に侵食される事が、警戒されるのは当然だ。そして共産党の社会主義的な面(開かれた党首選挙がない点などを含め)、天皇制、自衛隊、日米安保に否定的である点(表面上は先送り、曖昧な姿勢を採っているとしても)を、連合が警戒するのは当然だ(※)

筆者は、社会主義が必ず全体主義であるとまで言うつもりはないが(ソ連や中国の―国家―社会主義は、明らかに全体主義だが)、社会主義自体に自由を制限する面は、やはりあると捉えている。社会民主主義政党は必要だとしても、社会主義までは望まない。と言うよりも、良いものだとは思わない。

筆者は芳野新会長の主張の仕方には嫌悪感を覚えるが、それは連合内部の矛盾を体現しているだけだとも言える(2022年に入ると、芳野の表現等が変化している。立憲の代表が交代したからだろう。しかし状況はあまり変わっていないものと思われる)。

 

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