日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
旧総評系と旧同盟系

旧総評系と旧同盟系

前述の通り連合には、公務員の労組が中心の旧総評系、民間大企業の労組が中心の旧同盟系があり、旧総評系が立憲民主党、旧同盟系が国民民主党を支持する傾向がある。ただし今の立憲民主党は、一応は旧立憲、旧国民(の多数派)が合流したものだから、旧同盟系にも、立憲を支持する労組もある(議員との関係もあるし、野党第1党である事から、そして何より、それによって組織内候補を当選させやすいことから、立憲を支持せざるを得ない)。

総評系が共産党と近いというわけではないが、同盟系が経営者層と近いという面は、確かにある。筆者はこれには否定的だ。所属する企業、業界の今後を考える労組があっても良いが、そちらが中心の、経営者寄りの団体なら、それは労働組合ではない。後述するが、別の団体を結成するか、名乗るべきだと思う(これも後述するが、経営者も非常に弱い立場であるような、小さな企業については、話は少し変わってくる)。

一方で、公務員(総評系の中心)は、ストライキをする権利などがない一方、倒産で職を失ったり、勤め先が不振に陥り、リストラが行われるというようなリスクが小さい。彼らの雇い主は経営者層ではなく、選挙で選ばれた首長(国なら間接的に選ばれた総理大臣)である(本当は住民、国民だが、直接的には)。小泉自民や維新の会のような、公務員を敵視する政党が(小泉は一部のみを戦略的に敵に仕立て上げたという面が大きいが)、ブームに乗って政権、地方の首長を取らない限り、彼らは弱い立場にははならない(民主党政権も反官僚、公務員人件費削減路線であったが、支持基盤に公務員がいるため、小泉、維新とは異なる。なお、公務員にも非正規雇用が増えており、状況は複雑になっている)。

だから旧総評系は、経済以上に、国が本来どうあるべきかという事に関心があり(双方はもちろん重なっているが)、やや理想主義に寄っている面があるのだろう。共産党とも、1党優位を終えるためなら、そして(かれらからすれば)右翼的な安倍・菅政権を終わらせるためなら、ある程度協力できる。少なくとも政党間の協力を容認できる、というわけだ。

これについてはもちろん、批判もある。そんな守られた存在に、しっかりしたビジョンを描けるはずがない、不安定な生活を送る人々の気持ちが分かるはずがない、という見方は、あってもおかしくない。しかし合成の誤謬というものもある。

民間企業の労組は、確かに現実的なのだろう。しかしそれは、既存の体制に安易に妥協して、とにかく正社員という立場、待遇が維持、改善されるようにする、そして勤め先が生き残るようにするというように、公務員の労組とは別の形で、保守的、閉鎖的になり得る。さらには、個々の労組、企業、業界には有利な事を積み上げていっても、全体としては問題が生じる、という事もある。現実問題として日本では賃金が他国のように伸びず、従って相対的に低くなっている。

 

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