日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
維新に候補を下ろしてもらって全9のうち6議席獲得している公明党・・・

維新に候補を下ろしてもらって全9のうち6議席獲得している公明党・・・

今回(2021年)の総選挙、公明党は9つの小選挙区で全て、候補者を当選させた(つまり9人全員が当選した)。もちろんどの選挙区でも、優位政党である自民党の候補は立っていない。そしてそのうちの4は大阪府、2は兵庫県にあり、維新の会が強いわけだが(特に大阪府)、その維新も候補者を立てていない。また、公明党の候補が立った東京12区では、維新の会も善戦した。維新がさらに支持を維持、拡大すれば、今回の公明党の当選者も、次は落ちるかも知れない。

公明党はつまり、少なくとも4、おそらくは6つの選挙区を、近畿地方で強い維新が、候補者を擁立しなかったことで獲得したのだ。次回の総選挙でこれを落とせば、小選挙区の当選は多くて3議席と、3分の1にまで減る。

公明党は、創価学会の信者のほぼ確実な投票と、非学会委員への働きかけのおかげで、他党よりも票読みを正確にできる。そしてその力を武器にして自民党と取引きをし、9つ程度の小選挙区で、ほぼ勝ち続けてきたのである(政権交代が実現した2009年の総選挙では、小選挙区で全滅したが)。

しかし、信仰に基づく活動、投票には、充足感も必要だ。公明党の候補が多く落選すれば、信仰に疑いが生じかねない。少なくとも信者の士気は下がる。

歴史上、宗教というものは弾圧を受けて来た。特に新興宗教はその対象となりやすい。それでも生き残ったものは多くある。逆境にこそ団結するということはあり得る。しかし公明党・創価学会は弾圧の対象だろうか。むしろ公然と批判する事がはばかられるような存在だ。社会にもかなり浸透しており、各界の上層部にも信者がいたり、コネがあると言われる。広告を多く出しているので、マスメディアでも批判されにくい。最近では与党議員の立場を利用した、遠山清彦らの汚職疑惑が持ち上がった(遠山以外の2人の議員―太田昌孝と吉田宣弘―の議員会館事務所も捜索を受けた)。利権と結び付きやすい国土交通大臣も、2004年以降、2008年から2012年(自公政権のうちの約1年間と民主党政権の約3年間)を除き、公明党が出している。合計すると約13年間だ。

気が付けば、公明党が連立入りしてから今年(2022年)でもう23年だ。うち3年余りは自民党ともども野党であったが(民主党政権が長引いた場合、公明党が民主党に寄ると見られていた)、それを除いても約20年、公明党は優位政党にぶら下がって、権力の地位にとどまっている。地方自治においては、もっと長く与党である場合も多い。政教分離を問題にする気は筆者にはないが、それを言われるのも分かる。

そんな公明党が、小選挙区での当選者を減らせば、たとえそれが野党転落に直結はしなくても、関係者、支持者(信者)は失望するだろう。

もともと、信者が世代交代により減少し、得票数も長期的には減少傾向がはっきりしている。だから比例で議席を伸ばすのも容易ではない。公明党は自民党から、比例票をある程度回してもらっているが、自民党の組織票も、以前ほどには強くない。

確かに今回、公明党の比例獲得議席は伸びたが、それは前回(2017年)、自民党と公明・創価学会との間の、溝が広がっていたためだ。原因は、公明党が都議会において、自民党を捨て、勢いのある小池百合子知事の、都民ファーストに付いたためだ。自民党についておけば良いものを(もちろん皮肉だ)、都議会で野党になる事、都議選で議席を減らすことを恐れて、都民ファーストと組んだのである(もっともらしい理由は挙げられているが、そうだとしか考えられない)。本当に節操がない(なお、公明党が都議会を大事にしている事については『政権交代論』「「いつでも強い政党の味方」の是非」で少しだけ触れた)。

公明党・創価学会は、政治活動を続ける限り、小選挙区では何とか踏ん張りたいはずである。そうでないと、信者の士気が下がるのはもちろん、比例票がじりじりと減っていくのばかりが目立つことになる(もし選挙全体の投票率が下がり、獲得議席がすぐには減らないとしても)。比例だけで戦う案も、彼らは用意しているのだろうが、そうすれば安心というわけでもないのだ。だが公明党は多くの人から拒否感を持たれているがゆえに、小選挙区での票も、比例票と同様に、増やすことは当然難しい。

小選挙区での勢力維持の成否は、勢いがあり、少なくとも大阪、兵庫では、それを維持する可能性が高い、維新の会が握っているという事になる。

すると次のような構図が浮かび上がる。

① (野党がある程度強い時には)自民党の少なくない小選挙区での当落を、公明党が握る。

②  公明党の、3分の2程度の小選挙区での当落を、維新が握る。

③ 維新の力の源泉である、大阪での政策実現の小さくない部分を、(中央集権の傾向がなお強い日本では)自民党が握る。

④  ①に戻る

これが民主主義の政治だろうか、ましてやもし、維新が第2党(野党第1党)になれば、与野党を超えた、完全なる談合政治の完成である。もちろんこれでは、政権交代は起こり難い(民主党系は手も足も出ないだろう。仮に維新への政権交代が起こるとしても、かなりいびつなものとならざるを得ない。かつての細川非自民連立にも、社会党が総理を出す自社さ連立にも、自民党竹下派系の要人の、強い影響力が働いていた。維新への政権交代が実現しても、その過程で、そして新政権に、自民党の安倍や菅の力が、何らかの形で働く事は十分考えられる。公明党との妥協もあり得る。自民党が本当に、一方が優勢とならないような、そしてすぐに元に戻らないような大分裂を起こさない限り、それは他の先進国のような、明確な政権交代にはなり難い)。自民党中心の体制であり、大事なところでは、どの党も自民党に逆らえない。維新が野党的に振る舞っているのは、彼らが岸田総理ではなく、菅前総理、安倍元総理と近いからである。この両者の勢力はもちろん、自民党の中で弱いわけではない。「野党としての維新」など、仮の姿に過ぎないのだ。

よく、自民と立憲が裏で組んでいるという、国対政治陰謀論のような話も耳にするが、自民党が野党第1党を尊重する場面は見られても、基本的には両党は対峙している。むしろそれについて、立憲が批判されているのではないか(「表で対決して裏では協力している」という単純化は、五十五年体制のイメージに、あまりに流され過ぎていると思う)。

自民党議員の当落を公明党が握るのに、どうして自民党中心なのか。それはもちろん、自民党中心の癒着構造・利益誘導政治がまだまだ強固だからだ。公明党が民主党系に付けば、確かに政権交代の可能性は高まる。しかし今はその民主党系が、支持基盤の連合ごと、2つに割れているような状態だ(2020年の再編である程度改善したが、そもそも弱い民主党系には、小さな分裂も許されない。また民主党系は、希望の党、立憲民主党のブームが起こった2017年を除けば、選挙でも不振が目立つ。その2017年だって、民主党系の当選者の合計は、2005年に郵政選挙で大敗した時の民主党と、同水準だ)。

この状況で、公明党が立憲民主党についても、維新、国民民主党、そして連合の一部が、自民党に自分達を高く売れると考え、殺到する。それら(の一部)が、公明党と立場を入れ替えるという事だ。1党優位とはそういうものだ。日本が変わるには政権交代を定着させ、1党優位制を終わらせるしかないのだ。

ここで述べておきたい事がある。今後、公明党の選挙区が維新に脅かされるようになると、重要な選挙区だからこそ、戦って負ける事を避けたい公明党が、それらの選挙区からの自主的撤退を決断する可能性があると思う。それだけなら良いのだが、自民党に頼んで、代わりにいくつかの選挙区(できれば撤退するのと同数の選挙区)を譲ってもらうということが考えられるのだ。自民党も嫌だろうが、全国的に得られる票の数を考えると、むげには出来ない。事実今回の総選挙でも、自民党議員の汚職事件が起こった広島3区に候補者を擁立する動きを見せ、最終的に自民党に譲ってもらっている(結局公明党は、遠山議員の汚職問題が起こった事で、神奈川6区を自民党に譲り、プラスマイナスゼロに)。自民党は、自らにすり寄って、野党をさらに弱めてくれた国民民主党にも、もともと負ける可能性があったとは言え、参議院山形県選挙区を譲ろうとしている。これが変化を拒む談合政治だ。自民党がもう少し何でも屋ではなくて、つまりその分弱ければ、談合政治は国民に否定されるだろうが、現実は見ての通りである。談合だから強い。強いから談合で勝てる。談合だから強い・・・。悪循環だ。

選挙について補足すると、参議院では大都市を抱えていない県の定数が減り、また2つの県の合区となるところもあり、その分、大都市を抱える選挙区が3~6人区へと、定員を増やしている。公明党は自力でも(場合によっては2人目を立てない自民党に少し協力してもらって)、この定数が増えた複数区で3位、少なくとも4位にはなることができるため、衰えているはずが獲得議席を増やし、その水準をしばらくは維持するものと考えられる。これも少しおかしな話ではある。

もう一つ補足すると、今はあきらめたが、昔は筆者も、公明党には志向が近い民主党と組んで欲しいと思っていた。そうすれば政権交代が起こりやすくなると。しかしそれにはそれで、第1、2党のうち、公明党が組んだ相手が政権を取るという状況を生みかねないという問題がある。票を融通するのとは違うが、比例代表でほぼ全議席が決まり、【2大政党+自由民主党】という政党制であった西ドイツでは、自由民主党が付いた方が過半数になるという状況が長く続き、自由民主党もそれを利用して政権交代を起こしたため、「少数決」だと批判された。これもこれで問題である。日本の00年代のパワーバランスなら、公明党は同じ事ができていたと思う。今でも、民主党系全体と公明党がしっかりと選挙協力をするなら、可能かもしれない。公明党・創価学会は本当に厄介な存在だ。

少数民族等を代表する政党というわけではない公明党は、成熟した民主主義国には存在しない政党だと思う。成熟した民主主義国なら、創価学会は、投票先を変更する可能性を内包しつつ、あるいは信者がそこまで一体的に投票することはない、政党の一つの(しかし大きな)支持団体であったと想像する。

改めて確認しておくが、筆者は政教分離を直接的に問題にしているのではない。【信仰を利用して票を集める政党が、常に強い政党と組もうとする。しかも1党優位の日本で】という事を問題視しているのだ。

さて、敵基地攻撃能力について、公明党の主張の変化を指摘する記者の質問に、山口代表は珍しく怒りを隠さず、しかし明確な返答を避けた(ロシアがウクライナを侵略するよりも前の事である)。

もともとは、日本型の、国防に消極的な左派政党(中道左派)でありながら、安定を大義に強い政党にすり寄る公明党にとって、この種の質問は最もきついものなのだろう。国防という非常に重要な分野での差異よりも、党利党略を優先し、国民の投票行動の影響力を小さくしてきた公明党にこそ、筆者は怒りを覚える(正しい国防政策とは何かという事とは、別の話だ)。上で述べた事と少し重なるが、00年代、創価学会の宗教票が自民党に乗っていなければ、有意義な変化が起こり、国民が選挙で自ら進路を決められたはずだ。混乱もあったろうが、国家国民の成長のために必要なものだ。

しかし公明党は、小選挙区中心の選挙制度が導入されるその中心に、たとえ従属的ではあっても位置していたにもかかわらず(非自民連立の細川政権は、新生党の小沢代表幹事が中心であったが、小沢一郎は公明党、特に市川雄一書記長と非常に近く、「一・一ライン」と呼ばれた)、与党として野党自民党と戦うはずが、自民党が与党に戻り、自分達が野党になると、とっとと自民党にすり寄って、自民党の優位性を強化した。軽蔑せざるを得ない動きだ(2つの強い勢力が対峙しないと、小選挙区制は機能しない。1党優位の日本では政権交代が起こらない)。

公明党は一度、国政でも地方自治でも、権力から離れてみれば良いのではないだろうか。それで日本の政治も、公明党という存在も、かなり改善されるのではないだろうか。選挙で第1党に選ばれているわけでもないのだから、民意に反する事にもならないだろう。

公明党の動きには、もう少し政策的な背景があるべきだ。個々の政策を自民党にお願いするという小さな動きのことを言っているのではない。もちろん、自民党のブレーキ役とか監視役とか、そういった野党的なものばかりでもなく、理念に基づいたストレートな動きだ。自民党と違いがあれば潔く野党になり、もっと考えが近い政党と組む。そんなせいとうなどない、そんなことはできないというのなら、少なくとも中立の政党として、他党を利する事が無いよう、比例代表と参議院の複数区のみで戦うべきだ。

自公連立(自公連携)が続く限り、他の、政策を大事にする政党は、その時点で負けが確定する。自民党にすり寄るしか、政策を実現させられない状態を脱せない。理念や政策で政党を選ぼうとしても、この現実に阻まれる。この壁を超えるには、各党が違いを超えて、自尊心を捨てて、一度何らかの協力をするしかないが、たいていは抜駆けをする政党があらわれる。これでは野党が育たない。成長しない。

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