さらに国民民主党は、左派野党の枠組みを離れると同時に、つまり間も置かず、維新と接近した(互いに接近した)。これだけでも節操がない、寝返りだと言う事はできる。もちろん、選挙結果を尊重し、維新と一致点を探る、一致点について協力するというのは、必ずしも否定されるべき事ではない。それを予想して、期待して、票を投じた有権者もいるかも知れない。しかし問題はその次だ。
玉木は都民ファーストの会(国政ではファーストの会)と合流しようとした。同党は総選挙を戦ってすらいない。見込みがあったなら、あるいは見込みがなくても本気でさえあれば、候補者を立てられていたはずである。確かに都議選では踏ん張った。しかし元が多すぎるとは言え、議席を大きく減らしている。国民民主党と小池系の接近は、民意を受けたものとは言い難いのだ。
驚くべき事に、国民民主党と小池系の接近は、維新との共同作戦でないのはもちろん、了解すら取り付けていなかったようだ。維新からは批判の声ばかりが聞こえる。大阪維新のような改革を進めたわけでもない小池側(※)に、しかも今度は大阪で維新の票を削るような勢いもない小池側に、東京で候補者を立てないような譲歩を、維新ができるはずがない。
※ 前進している課題もあるが、ゼロを掲げたりしており、アピールが安易であったとも言える。また維新のように、抵抗があるために難しい課題を設定し、それを達成したという面は小さい。抵抗があるものこそ良い課題だと思うのも、安易で危険だとは思うが、少なくとも維新と小池系の性格が異なるのは、確かだろう。
維新の、小池系との連携に否定的な姿勢は、2017年の希望の党騒動に起因する。それまでは、小池系と維新の会、河村名古屋市長の減税日本(場合によっては大村愛知県知事も。小池の姿勢は、日本新党で一緒であった河村よりも、大村に近いと思われる)が組むのが既定路線となっていた(維新と河村、大村の関係については『続・政権交代論』「2012年に実現しなかった地方分権連合の、チャンス再来?」参照。その段階で維新側にはすでに、小池系が単なる人気取りの存在であるという疑念は持っていたように見える。民主党系(民進党)との合流についても、維新の会(大阪派)は、小池よりも慎重であった(※)。
※ 右派(国防についての右派、新自由主義的な面も含む改革派)が民主党の主導権を握る事も、民主党を離党して来る事もなかったため、維新(大阪派)は、大規模な再編に進めず、結局は維新の党を離れ、維新の党は民主党に合流し、民進党になっていた。
小池百合子は、左派、そして総理等の経験者を排除する方針を採ったとはいえ、民進党を吸収すること自体をためらわず、連合を支持基盤とする事もためらっていなかった。だから小池はどちらかと言えば、河村よりも大村に近い姿勢だと考えられるのだ。一方で維新(大阪派)は、利益団体と組む事に否定的だ。だから連合と、公然と組むのは難しいだろう。「自分で導入した選挙制度の長所を殺し、短所を助長する連合」等で述べた雇用の流動化などを巡る、衝突もあり得る(ただし、とにかく勝つために、連合の左派―旧総評系―のみを悪役にして、右派―旧同盟系―主導の連合と組むという事も、考えられなくはない)。
維新が菅義偉・安倍晋三に近い一方、小池は二階俊博に近いという差異もある。自民党の最右派と言える安倍、その安倍に近く、新自由主義的であるようにも見える菅と、親中派として知られ、(1993年には、改革派として自民党を離党したとは言っても)守旧派のイメージも強い二階とでは、あまりに違う。
小池は希望の党が失敗すると、あっさり代表の座を捨てて、事実上離党した。都議会では自公両党の協力も必要な事から(※)、小池は都民ファーストとも、ある程度は距離を取っているように見える。こんな中途半端さでは、必死で大阪府議会議員や市議会議員を増やし、少しずつ前進してきた維新にとって、認められるような政治家、政治勢力とは言えないだろう。
※ 都民ファーストは、過半数には届かないものの、都議会の第1党であったが、その後離党者が続出し、都議選でも議席を減らした。惨敗した状態からあまり増えなかった自民をわずかに下回る、第2党になった。前述した通り、都ファと自民で過半数ギリギリ。自民抜きだと、都ファ以外に、公明党、共産党、立憲民主党の3党のうち、少なくとも2党を味方に付けなければならない
加えて言えば、維新の会の政調会長に就いた音喜多駿は、その独裁的な性格を批判して、都民ファーストの会を離党している(音喜多は元々はみんなの党の都議であった。小池が自民党東京都連を批判する際に用いていたブラックボックスという言葉を使い、都ファをブラックボックスそのものだとした)。
維新と小池系が(再)接近する前に、国民民主党が独自に小池系に接近するとなると、仮に国民民主党に双方をつなぐ意図があったとしても、ボタンの掛け違いが起こる。
玉木の熱心で真面目な姿勢には、筆者も好感を持っていた。様々な考えに耳を傾けるという姿勢は、(日本の)左派政党に足りないものだ(れいわ新選組はまた少し別だが)。しかし玉木国民民主党が左派政党でなくなったり、左派陣営を外れたりすれば、(右翼的な勢力だって、異なる意見に耳を傾けるのは苦手だとしても)玉木の長所は意味を持ちにくくなる。