日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
1党優位の傾向(⑫)~現在においても重要な指摘~

1党優位の傾向(⑫)~現在においても重要な指摘~

原敬は1910年12月14日付の日記に下のように記している(『原敬日記』第4巻153頁)。この日の日記には、桂が条約改正後に辞職し、再び総理には就かない事、後継は立憲政友会に譲るという内容の話をしながら、後継を西園寺(立憲政友会総裁)とする事を明言するのは避けている事も記されている。原はそれを、政権の授受が私談で決められてはいけないからだと捉えている(同153~154頁)。不安が全くないわけではなくても、政見譲渡に自信を深めていた事が伝わって来る。

政友会の沿革より考ふれば、政党は逆境にのみ在るときは党の為め財産を失ひたりとか負傷したりとか言うが如き者が勢力を有する訳なるも、順境に時々立ちたるが為めに政友会内に在りては知恵ある者が頭角を顕はす事となれるは事実なり、憲政上政党は必至のものにて而して如何なる手段に因るも之を撲滅すること能はざるものなる已上は、之を善良なるものに導くの外に方法なかるべし。是れ余が政党をして順境に立たしむる事の必要を認め居る所以にて、決して政権に渇して妄動するものに非らず

桂はこれを認めたものの、政党内閣と言う事は目下不可能だとした。これに対して原は同意しつつ、政党だけで内閣を組織するのになんら妨げはないものの、立憲政友会が人材不足であるとして、桂らのような人材が党内にあれば政党内閣は容易だとした。桂は失笑し、中央倶楽部をあまり阻害しないようにして欲しいと言った。桂は、自分自身は実際どうか知らないが、中央倶楽部は原らにずいぶん忠勤をなしたつもりであり、立憲政友会の予備として見ても良いのではないかという事を、原に述べた。

選挙や派閥維持のために私財の多くを投じたという話を、戦後の政治家についても聞く事がある(戦前については、選挙権が拡大されるたびに、特に男子普通選挙となった事で費用がかかるようになった)。しかしここで言いたいのは、政党が順境にあれば、有能な者が出世し、逆境にあればそれ以外の面が重視されるという事だ。現在では自民党の総裁にも、例えば見た目の良さが事実上求められることがあるし、同党の有力者が有能かと言われれば首をかしげたくなる、しかし一方で、順境になければ、有能な人材が集まり、それが出世する事は難しいとは、確かに思う(今の自民党は、世襲であるがゆえに試されずに政治家になった「大物」を、そうでない能力の高い者が支えたり、経歴や見た目の良さで選ばれた者が足を引っ張っている。そんな状況だと言えるだろう)。ある程度順境になければ、あるいは時々順境になるという事もなければ、政党はなかなか安定しない。原は政党のない立憲政治はあり得ず、であればそれを良いものにするしかないと考えていた。ここでは「政党」という言葉を「野党」という言葉に置き換えたい。現下の野党を否定してみても、優れていて、かつ優位政党と渡り合う規模の野党は得られない。野党という存在を不要のものとする事も出来ない(独裁制にするか、優位政党内の、選挙によらない主流派の交代を、まともな政権交代だと妄信するのでない限り―実際にはそれも、本当の意味ではほとんど起こらない―)。野党をある程度、定期的に順境に置かない限り、民主政の発展は見られないと考えられる。立場が政党をつくるという面もある。万年与党になればそれらしく、万年野党になればそれらしくなってしまい、変化が難しくなる(どちらとも当然ながら、良い政党の姿とは言えない)。もちろん政党には権力欲等もある。筆者も、原の「決して政権に渇して妄動するものに非らず」という言葉をそのまま信じるつもりはない。しかし物事には両面あり、これが仮に本当でないとしても、前段が否定されるわけではない。

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