日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
野党第1党の分裂・新与党の分裂(⑫)~同志俱楽部の結成~

野党第1党の分裂・新与党の分裂(⑫)~同志俱楽部の結成~

自由党からの、同志倶楽部を結成する議員達の離党は、星の主導に対する反発、星の薩長閥政府への接近に対する反発、収賄の疑惑があった星を、自由党の執行部がかばったことへの反発が結びついて起こったのだといえる。中でも野党が与党化していき、それに反発する勢力が離党したという点は重要である。このような分裂の場合、離党者が野党的な面を強く持つのは当然であり、「野党自由党」のものであったといえる、対外強硬派(薩長閥に比して)の立場を採ることも当然であった。同志倶楽部の特徴は、有力者が独断で党を動かすことに対する反発によって生まれたことから、そのような党運営を回避しようとする志向を持っていた点である(後継の立憲革新党のこのような性質について、小宮一夫「党首なき政党の模索」-『日本立憲政治の形成と変質』第七章-が詳しい)。一方で同志倶楽部には、後に憲政本党を脱して三四倶楽部(第6章⑯参照)を結成する議員が含まれている。離党者が再編後に再び大きな党内対立、分裂を起こすという、日本において度々見られる傾向(自由党土佐派、立憲政友会対露強硬派、床次竹次郎系、自由党の芦田均、自由民主党の小沢一郎など)の、1つの例であるといえる。また同志倶楽部は、大政党離党者による党派としては珍しく、母体に接近する傾向、議員の動きが少ない。当初こそ母体の変化を期待していた様子も見られるが、野党再編に突き進んでいくのである。

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