日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
定期的にある、政権交代

定期的にある、政権交代

日本では議会史上、真の政権交代が一度しかなかったと述べた。それでは、他国ではどうであったのか、確認しておきたい。まずは先進国等の、20世紀以降を見る。

・イギリス:1902年 保守党内閣

1905年 自由党内閣

1915年 自由党連立派、保守党、労働党ヘンダーソン派連立内閣

1918年 自由党連立派、保守党連立内閣

1922年 保守党内閣

1924年 労働党内閣

1924年 保守党内閣

1929年 労働党内閣

1931年 労働党国民政府派、保守党、自由党国民政府派連立内閣

1935年 保守党、労働党国民政府派、自由党国民政府派連立内閣

1945年 労働党内閣

1951年 保守党内閣

1964年 労働党内閣

1970年 保守党内閣

1974年 労働党内閣

1979年 保守党内閣

1997年 労働党内閣

2010年 保守党、自由民主党連立内閣

2015年 保守党内閣

 

・ドイツ:1918年までは、帝政であったために非政党内閣であったが、1917~1918年には中央党の要人が首相であった。

1918年 社会民主党、独立社会民主党連立内閣

1919年 社会民主党、中央党、民主党連立内閣

1919年 社会民主党、中央党連立内閣

1920年 社会民主党、中央党、民主党連立内閣

1920年 中央党、国民党、民主党連立内閣

1921年 中央党、社会民主党、民主党連立内閣

1922年 人民党離党者が首相、中央党、民主党、バイエルン国民党

1923年 国民党、社会民主党、中央党、民主党連立内閣

1923年 中央党、国民党、民主党、バイエルン国民党連立内閣

1924年 中央党 国民党、民主党連立内閣

1925年 首相は無所属、国家国民党、中央党、国民党、民主党、バイエルン国民党

1926年 首相は無所属、中央党、国民党、民主党、バイエルン国民党

1926年 中央党、国民党、民主党、バイエルン国民党

1927年 中央党、国家国民党、国民党、バイエルン国民党

1928年 社会民主党、中央党、国民党、民主党、バイエルン国民党連立内閣

1930年 中央党、国民党、民主党、バイエルン国民党、経済党、民族的国家主義連盟連立内閣

1931年 中央党、保守国民党、国家党、バイエルン国民党連立内閣

1932年 中央党離党者が首相、国家人民党

1932年 軍人が首相、国家人民党

1933年 国家社会主義ドイツ労働者党内閣→独裁→敗戦による占領

1949年 キリスト教民主同盟/キリスト教社会同盟、自由民主党連立内閣(一時期ドイツ党などが連立に入っていたが、いずれも消滅)

1966年 キリスト教民主同盟/キリスト教社会同盟、社会民主党連立内閣

1969年 社会民主党、自由民主党連立内閣

1982年 キリスト教民主同盟/キリスト教社会同盟、自由民主党連立内閣

1998年 社会民主党、同盟90/緑の党連立内閣

2005年 キリスト教民主同盟/キリスト教社会同盟、社会民主党連立内閣

2009年 キリスト教民主同盟/キリスト教社会同盟、自由民主党連立内閣

2013年 キリスト教民主同盟/キリスト教社会同盟、社会民主党連立内閣

※比例代表制で議席が決まるため、1つの党が過半数を上回ることはほとんどない。戦前は中道の民主党(早期に党勢縮小)、後に中道右派の中央党が、左右に手を伸ばして連立を形成していたが、不安定であり、そのような内閣に不満を持つ極右、極左が台頭した。戦後は、事実上1つの政党のようなものであるキリスト教民主同盟とキリスト教社会同盟が、1972~1976年、1998~2005年を除いて第1党であったものの、第1、2党が大連立を組んだり、自由民主党がキャスティングボートを行使して社会民主党への政権交代を起こしたりした。冷戦終結後、キリスト教民主同盟/キリスト教社会同盟・自由民主党というブロックと、社会民主党・緑の党という事実上の2大ブロック制となったが(他に東ドイツの社会主義独裁政党の流れを汲む民主社会党→左翼党、1917年に極右政党が台頭)、このブロックが過半数を上回る議席を得ることすら難しくなり、2005年以降大連立が半ば常態化している。

 

・フランス:戦前の第3共和政、戦後の第4共和政下、戦前のドイツと同じく様々な組み合わせの短命な連立政権が続いた。第4共和政については、県単位とはいえ比例代表制を中心にしていたことも原因であるが、第3共和政では小選挙区2回投票制(過半数を得た候補がいない場合に2回目に進む)が中心の制度が採用されていたことが多かったにもかかわらず、安定した政権が表れなかった。それは政党の組織化が遅れていたためである。ド・ゴールが大統領の権限を強めた、半大統領制とも言われている第五共和政の大統領を見る。フランスには社会、共産両党の他、右派といえるド・ゴール派の流れ(下線を付した)と中道右派の流れがある。これらは国民運動連合に結集し、共和党に改称した。よって下記のうち、社会党、社会党出身のマクロンが結成した共和国前進以外の勢力は、基本的には協力関係にあり、現在共和党になっている、中道右派~右派勢力である。

1959年:新共和国連合第五共和政民主連合共和国民主連合

1974年:独立共和派→共和党→フランス民主連合

※1974~1976年は首相が共和政擁護同盟

1981年:社会党

※1986~1988年、1993年からは首相が共和国連合

1995年:共和国連合国民運動連合(共和国連合やフランス民主連合が合流)

※1997~2002年は首相が社会党

2012年:社会党

2017年:共和国前進

※首相は共和党非主流派

 

・カナダ:1896年:自由党内閣

1911年:保守党内閣

1917年:保守党、自由党連立内閣

1920年:保守党

1921年:自由党内閣

1926年:保守党内閣

1926年:自由党内閣

1930年:保守党内閣

1935年:自由党内閣

1957年:進歩保守党内閣

1963年:自由党内閣

1979年:進歩保守党内閣

1980年:自由党内閣

1984年:進歩保守党内閣

1993年:自由党内閣

2006年:保守党内閣

2015年:自由党内閣

・アメリカ:大統領制であるから、大統領を見ると、1897年共和党、1913年民主党、1921年共和党、1933年民主党、1953年共和党、1961年民主党、1969年共和党、1977年民主党、1981年共和党、1993年民主党、2001年共和党、2009年民主党、2017年共和党。

共和党と民主党の力は互角であり、議会の多数派もある程度の長短はあるが、入れ替わっている。

 

イタリアを除くG7の国々を見た。ヨーロッパの他の国々、そしてオーストラリア、ニュージーランドを見ると、連邦国家であるがゆえ、主要大政党が協力しているスイス、社会主義であった国々の、社会主義であった期間を除けば、ほとんど同様である(ただし、かつての社会主義国については、まだ確認していない)。唯一スウェーデンは、1936年から約40年間、社会民主労働党が中心の政権か同党の単独政権が続いている。この記録は自民党の約38年間を上回るが、自民党は、その前身となる政党も含めると、45年間であり、その後も1党優位の傾向が強い。スウェーデンでは現在まで社会民主労働党政権が度々出現し、長く続いているが、他の政党が中心となる政権であった期間が、1976年以降の約42年間のうち、トータル17年間もある。

イタリアを除いたのは、イタリアには日本と似ている点があり、改めて述べたいからだ。何が見ているのかと言えば、戦後、1993年まで他党を引き離す第1党が存在し、そのキリスト教民主党を中心とした連立政権が続いていたからだ。ただし単独政権ではなかった点が、日本と異なる。社会党は優位政党の陣営に入ったが、共産党がずっと野党第1党であった。というよりも、共産党という極左政党、または極右政党が与党とならないように、それ以外の多くの政党が連立を組んでいたのである。この共産党を、日本の社会党に置き換えるのなら、日本と似ていると言うことができる。

イタリアは、汚職などが問題となって(マフィアの問題も絡み、日本よりずっと深刻であった)、1993年に大きな変化を経験した点でも日本と似ている。しかし、自民党から1派閥が出たという程度であった日本と違って、優位政党が完全に解体され、一方で共産党の転換が成功し、再編を経て2大政党制に近い状態となり、定期的に政権が交代している。日本社会党の系譜は民進党、立憲民主党まで続いてはいるが、民主党になったイタリア共産党の系譜よりも不安定である。イタリアでは2018年に、五つ星運動というポピュリズム政党が第1党になるなど、ここにきて、(選挙制度の問題もあり)2大政党制が崩れているようにも見えるが、これについても改めて述べようと思う。

さて、以上の国々は、ドイツとフランスにあまりに不安定な時期があったものの、全体的に見れば、政権交代があったせいで低迷したということはないだろう。多くの国々では、伝統を重んじる保守主義政党と、自由を重んじる自由主義政党が、例えば都市型と農村型、保護貿易と自由貿易というような、政策的な差異を伴って、対峙していた。そこに産業構造の変化、選挙権の拡大により社会民主主義政党が台頭した。社会民主主義政党は保守主義政党と自由主義政党のうち、没落を免れた方、あるいは双方が合流した政党と対峙するようになった。アメリカやイギリスでは新自由主義(消極財政志向)の(中道)右派政党と、福祉重視の(中道)左派政党が競い合う姿がみられるようになった。実際にはもっとずっと複雑な話だが、ともかく、有権者は自らに近い政党を政権に就け、行き過ぎ、腐敗などの問題が生じたときには、取り替えることが出来た。日本は戦前も戦後も、そのような国々とは程遠い状況だ。日本の戦前、戦後の政党制の問題点については、改めて述べる。上で見た国々についても、いつか、より詳しく見てみたいと考えている。

欧米では確かに最近、従来の政党制などが壁にぶつかり、変化を見せている(例えば、主に極右政党の性格を持つポピュリズム政党の台頭)。これには時代に応じた改善という良い面よりも、不安定化、過激化のマイナス面の方が大きいように思う。注視していかなければならない。日本との関連で気を付けなければならないのは、欧米では政党政治の基本をしっかりと長く経験した後で、変化が起ころうとしていることである(それでも不安が大きいのだ)。この基本と、その記憶は、リスクを回避する上で重要だと、筆者は考えている。日本はその基礎が弱すぎるのだ。1党優位性に守られて選択をせずに済まそうとしているものの、その優位政党が危険なものとなった時、または危険な政党が浮上した時、欧米以上に脆いのが日本なのではないだろうかと、心配になる。

 

政権交代が起こる時→

 

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