日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
2大政党が裏で手をつないでいた五十五年体制と、地方の腐敗

2大政党が裏で手をつないでいた五十五年体制と、地方の腐敗

第2党以下の政党が、万年与党自民党を中心とした政官財の癒着構造のおこぼれをもらう政党になると、地方の政治も当然影響を受けることになる。

戦前、地方の議会は自由党の系譜と立憲改進党の系譜に二分されていた。戦後も、その2勢力(戦後は前者が日本自由党、後者が日本進歩党として出発)、あるいはそれに近い議員の数が圧倒的に多かった。それらは自民党になった。それだけでなく、戦後、民選となった知事は、戦前の官選知事、官僚経験者が多く、従って左派政党よりも保守政党、つまり戦前の2大政党の系譜と近い者が多かった。つまり地方でも自民党は、圧倒的に優位にあり、その地位を失う可能性は、労働者層が厚みを増していく都市型の地域を除けば、低かったといえる。

それでも地方では当初、国政と同様に与野党の対決が見られた。そして大統領と似た地方の知事、市長には、社会党系や時に共産党系、それらと近い候補者も、やはり都市部を中心にだが、当選した。このことは、日本が大統領制であったなら、野党の推す候補者が大統領に当選し、政権交代が起こっていた可能性が、少なくとも実際の制度下よりは高かったことを示しているといえる。

野党系の知事は福祉を充実させるなど、左派らしい政策を実現させ、人気を博した。しかし社共両党の共闘が崩れていったこと、自民党が類似の政策を取り入れるようになったこと、財政難に陥ったことから、共産党以外の主要政党が支持する、いわゆる相乗りの候補に取って代わられた。

これは、本当は国政でこそ経験すべき事例であった。先進国の社会民主主義政党は、国政において財政難をもたらしたと批判されるようになって下野、社会民主主義的な政策と新自由主義を融合した新しい路線(例えば結果の平等よりも機会の平等を重視た上での競争重視)、それを担う新たなリーダーを戴いて、与党に復帰した。そしてその過程において、自らと、その支持層の左翼的な部分を適度に抑えた党改革を行った。これはこれで、取り残される有権者があらわれるなど、問題がなかったわけではないが、時代の変化に応じて、再び政権を担い得る政党に変化したことは間違いない。

それが日本では、地方の失敗が左派の経験値を高めることにうまくつながらなかった。地方政治でも完全にわき役となった左派政党は、中央において、このような経験がなかったかのように、従来通りの姿勢を採り続けた。このような左派政党も悪いのだが、特に社会党については、他の先進国の社会民主主義政党のような国政における経験を、有権者にさせてもらえなかったことに、同情の余地もある(社会党の唯一の与党経験は、短期間かつ終戦直後の例外的な状況下に限られたものであった)。

相乗り型の首長選が定着することは、やはり良くない。外国に目を向ければ、保守政党との連立を通じて政権運営の経験を積んだ左派政党があることは確かだが、少なくとも日本の地方政治は、国政よりも保守的で風通しが悪い場合が多いから、談合的な政治、自民党以外の政党が、同党の政治のおこぼれに預かることで満足してしまうというリスクが高いように思われる。

2016年、富山県で県議会議員、市議会議員の政務活動費の不正請求が問題となった。自民党だけでなく民進党からも議員辞職者が出た。皆で同じことをしていたという点で、野党第1党が第2自民党となっていることを示す、1つの事件であったといえる。このようなことがあっても、富山県における自民党の優位、勢力分野が大きくは変わらなかったことが重要である。仮に民主党→民進党系において政務活動費の不正が全くなく、自民党を追及していたとしても、自民党の優位は変わらなかっただろう。そうであれば、不正に手を染めずに自民党を追及するのは損にしかならない(それでもそうする気概を持つべきだといっても、それだけを有権者が求めるのは筋違いだ)。

このような状況を変えなければ、第2党の足腰が第1党に対抗し得るほどに強くなることも、第2党が第1党にない魅力を持つはこともなく、政権交代が実現したとしても、それは国民の一時期の気晴らしになるだけで、安定して存続する対等な大政党間の政権交代は、定着することがないだろう。

 

 

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