日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
公明党のために公明党批判を

公明党のために公明党批判を

公明党は創価学会の政党であるといって良い。その創価学会は、聖教新聞、創価大学、事実上の指導者である池田大作の著書、そして創価学会、それ自体の広告を、新聞、テレビ、ラジオといったメディアに出している。これは選挙の前にだけ広告を出す政党とは、大きく異なる。当たり前だが、メディアは広告主に弱い。つまり創価学会、公明党を批判しにくい。政党も共産党など一部を除いて、公明党を批判できない。創価学会の信者の票をもらっているか、もらいたいと思うからだ。批判されない人間や勢力が、直ちにおかしくなるとまでは言わない。しかし不健全な状態であることは間違いない。

日本維新の会、小池都知事が結成した希望の党は、選挙協力をしているわけでもないのに、自らの地盤(前者は大阪府、後者は東京都)ですら、もちろん他の地域でも、公明党の候補がいる選挙区に、総選挙で候補を立てていない(唯一の例外が、2014年に維新の党、2017年に日本維新の会が候補を立てた、神奈川6区である。なお、2014年は、民進党を経て立憲民主党に移った、2014年の維新の党の候補が当選した)。なぜこうも、公明党議員の選挙区に候補を立てることを避けるのかと言えば、もちろん創価学会・公明党から何らかの協力を得るためである。しかし、第1党である自民党の候補も立たないのだから、選択肢を大幅に狭められる有権者はもちろんだが、厳しい競争にさらされない候補者は、かわいそうでもあると思う。民進党系がとにかく頑張るしかないのだが、選択肢という意味では、政治は駆け引きだとは言っても、自民党(と日本維新の会)こそ候補者を立てるべきである。もちろんこのことは、民進党系が共産党に譲歩し、あるいは候補を立てる力が無く、自民党と共産党しか候補がいない選挙区にも言えることである(なかには、-ほとんど-公明党対共産党だという選挙区もある)。どちらの陣営も共通の政策を掲げるなどしないと、自民党と民進党系のどちらか、あるいはどちらの候補もいないという選挙区は、選択肢を奪われたままだ。もちろん分裂後の民進党系も、立場をはっきりさせなければならない。

創価学会や公明党に偏見を持っている人はいても、かつてのような弾圧はない。むしろ、創価学会は信者を社会的に重要な地位に送り込み、公明党は与党であることが多い。創価学会、公明党そのものは、間違いなく強者である。マスメディアや政党が公明党批判を、もっとできるようになる日が来ることを、公明党のためにも祈っている。自民党の候補についてもいえることだが、野党の強化による、有意義な競争、切磋琢磨を期待したい。

最後に、公明党自体にとっては、長期間与党であったことは、かけがえのない経験であったと言える。それをもって自ら、賛否が分かれるような政策であっても、実現させたいことを掲げ、それを自民党との従来の取り引き、「条件闘争」ではなく、いきなり国会に提出するなど、正面突破で実現させようと動くなら、やがてはどちらかのブロックに行く(戻る)としても、公明党に対する評価、日本の政治は大きく変わるだろう。これはどの政党にでも言えることではない。公明党が挑戦すべきことだと考える。

 

与党同士の選挙協力の問題点、自民・公明連合と民主・共産連合の問題点→

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