日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
人気者に頼るという第2党交代の問題点と、中途半端な再編の繰り返し

人気者に頼るという第2党交代の問題点と、中途半端な再編の繰り返し

社会党から新進党への、そして民進党から希望の党への第2極の交代は、共に短いものであった。特に後者(希望の党が第2極であった状況)は、一瞬で終わった。新進党崩壊後の動きと希望の党の動きには、共通の問題がある。

新進党の解散後、小沢系と公明党系以外の、多くの議員達が民主党に合流したわけだが(後に小沢系も)、その際、理念や政策の違いに目がつぶられたことである。もちろん自民党に対抗するには仕方がないことであった(公明党系だって、大きく異なる自民党にすり寄った)。それならそれで、党内で建設的な議論を重ねて、完全な一致には至らなくても、歩み寄ることが目指されるべきであった。それと、党の決定事項になったことについては、従うことであった。

ただし、すでに述べたように、また改めて述べるが、様々な勢力が合流したことが、民主党内の政策の開きの最大の要因ではない。この当時の問題点は、民主党の人気政治家、菅直人にすがったことである、拡大前後とも民主党の党首であった菅直人は、拡大後の民主党について、センターレフト(中道左派)だとした。これには異論があったが、当時野党陣営で最も人気のある菅と大っぴらに対立すること、菅に反発して合流を取りやめたり、合流後に離党したりすることを、ほとんどの議員が避けた。

筆者はそのような議員達を、優位政党の地位を回復しつつあった自民党に移る議員達よりも評価していた。しかし2017年、小池百合子の希望の党に、民進党の議員達が政策を度外視して参加した様子を見て(本党は個人的には一致していたという議員も一定数いたであろうが、それはそれで問題だ)、別の問題を見落としていたことを思い知らされた。それは、第2党が刷新される際に、それがただ1人の人気政治家のカラーに準ずるものとなることの、危うさである。日本の非優位政党の悲哀であるが、特定の人気政治家を利用しながらも、それに頼り過ぎず、党としての主張を形成していく努力、国民がそれに注目し、評価する環境が必要だと、今さらながらに思う。

そもそも、自民党に対抗しきれず、党内に不満が高まり、振り向けば自分より小さな野党に人気政治家が現れ、これに抱きつく、という軽さが問題であるとも言える。難しいことだが、軽くない議員達による第2党が必要だ。

他にも一つ、残念なことがある。自民党が左派の自社さ派と右派の保保派に分裂し、衆議院全体が、他の先進国の多くのように、新自由主義的な保守政党(自民党保保派・新進党―の一部―)と、社会民主主義的だが現実的な中道左派政党(自民党自社さ派・民主党・社民党)に再編される機会が失われたことである。このような、自民党をも含めた大再編が起こる可能性は低かったのだが、自民党を巻き込まずに、理念・政策を軸にした、決定的な政界再編が行われることこそ、不可能に近いのである。そのかわり、自民党の少数派であった(となった)離党者を巻き込んだ中途半端な再編だけは起こるのだ。

幅の広い自民党がそのまま残り、野党が理念、政策によって分かれていては、1党優位制は変わらず、政策重視の政党間競争も行われ難い。自民党を弱体化させて、非自民勢力が第1、第2極となるような変化、自民党を巻き込んだ政界再編、自民党が自らのカラーをより明確にし(総裁の交代によって一定の変化はあったとしても)、それに対抗する一大野党が、野党が弱くバラバラである状況を克服して形成されるという変化、そのいずれかが起こらなければ、国民が政権を真の意味で選択することはできない。中途半端な再編ばかり繰り返してしまっているという点では、もはや最後のものが最善なのだが、野党内の、淘汰によるまとまりの強化、勢力拡大が必要な、つまり険しい道である。

 

第3極の2極化→

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