日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
敵が増えれば自分に有利

敵が増えれば自分に有利

野党が一つにまとまらないことも、自民党を利した。「おれはすぐに自民党と妥協する政党とは違う」、「おれは何でも反対の政党とは違う」という、不自然に単純化された構図を、野党自らがつくり、そして互いにつぶし合うのだから、自民党は笑いが止まらない。国民に「自民党か○○党か」という選択肢が示されることで、自民党が試されることもめったにない。妥協も少しですむし、その妥協の結果が良ければ、それも全て、自民党の手柄になる。自民党がどんな政策を打ち出しても、右から左までそろっている中小政党のうちの、どれかの支持は得られる(五十五年体制では、野党は程度の差はあれ、自民党よりも左の政党であり、右の新党に需要はなかった。だから他党との妥協で右に進むこと、両院の3分の2の議席を必要とする憲法改正は難しかった)。仮にどの党の支持も得られなくても、自民党はだいたい過半数を上回っているから、それでも、やりたいことはできる(2016年の参院選後まもなく、自民党は両院で単独過半数に到達している)。なにより、20年来のパートナーである公明党も、下駄の雪(何があっても連立を解消しないでついて行く)状態だから、どんな政策でもだいたい実現させられる。「どうしても実現させたかったんだ。ごめんね」で済んでしまうのだ(反対していた国民も、時間がたてば忘れてしまう)。重要問題とまでは言えないが、このご時世に参議院の定数を増やす法案が通ってしまうのも、このからくりだ。しかも、選挙制度の抜本的見直し、経費節減を謳った附帯決議だけで、公明党の賛成を得て。自民党に寄りたい日本維新の会も、さすがにこれには賛成できず、公明党のリードを許したというところだ。忙しい国民の多くは、自民党とどの政党が組んでやったのか、いちいち覚えていられない(その政党が消滅していることすらある)。

自民党は、中道から右翼的な議員までを含む、幅の広い政党であった。経済を最重要視する勢力が中心となる中、例えば戦前への回帰を志向する人々から、再軍備、憲法改正に否定的な人々まで、広く支持を得ることができた。さらに、いくら社会保障の充実を唱えても、それを自らの手柄として実現させることが出来ない左派政党の地盤のうち、中道左派の部分にまで、政策実現を通して支持を広げることができた。その矛盾については、すでにのべたように、ごまかすことができた。右派(保守)~中道左派の自民党対、左派の社会党という構図になり、自民党に有利な状況となったわけである。

自民党が1党でここまで支持基盤を広げる中で、野党はなぜ、多党化したのだろうか

まず、「野党の多党化」という言い方だが、そもそも自民党は単独過半数を握っており、基本的には連立相手を必要としていなかった。その状態が維持される中で政党が増えれば、新たに誕生した政党も、そもそも野党になるしかなかった。

右派(保守)~中道左派の自民党対、左派の社会党という構図となったとしたが、保守政党の自民党が、社会民主主義志向の有権者層からの強い支持を恒常的に獲得することは、さすがに難しかった。左派優勢の社会党を離党した議員達が、この中道左派の部分を担ったのである。だから多党化の要因は、社会党の系譜の分裂にあるといえる。自民党と社会党しかほとんど存在しなかった当時、社会党の離党者達が民社党を結成したことが、多党化の始まりであった。そして、共産党の躍進と公明党の結成があった。これはすでに述べた通り、労働組合の党という性格が強かった社会党が取りこぼした、比較的貧しい層に支持を広げた。社会党の分裂だけではなく、同党の幅の狭さ(左派と右派の対立があっても、決定は左に寄っていた)が、多党化をもたらしたのだといえる。他国では、民社党、社会党、公明党の支持の多くを、1つの社会民主主義政党が得ているといえる。そう考えると多党化は、やはり「野党」の多党化なのである。

この社会主義~社会民主主義陣営の多党化はその後も続いている。社会党の離党者が社会市民連合→社会民主連合、護憲リベラル→平和・市民、新社会党を結成、日本社会党が社会民主党となった後には、離党者が民主党を結成、民主党の離党者が保守新党、改革クラブという保守政党を結成、さらに国民の生活が第一~自由党など、そして民進党となってからは希望の党と立憲民主党と、後を絶たない・・・。自民党の離党者による新党も度々出現はするのだが、母体が大きい割に、その規模は小さい。今残っているのも日本のこころくらいで(地域政党、地方議会の会派派は除く)、それも自民党と統一会派を組んでいる。

それに対して社会党~民進党の離党者による政党は、ごく小さな規模で長く存続する場合が多く(国会の議席を失った新社会党も残っている)、確かに母体と選挙協力が行われる場合もあったが、それでもなお、「死票」を生み続けている。

再選至上主義、出世至上主義だといえる現実的な自民党系に対して、政権獲得の可能性がどのみち低く、理想主義的な左派系が、分立状態を脱せなかったのだといえる。

また、1党優位制の維持を助けているのが、自民党の離党者による新党が、自民党以上に、既存の野党の支持者を切り崩す点である。これも社会党~民進党の(一時期を例外とする)幅の狭さによる現象である。自民党に批判的であるがために、自分よりも左だという不満を持ちつつも、社会党~民進党に投票していた有権者が、保守~中道新党に飛びつくのである。その保守~中道の新党は自民党と渡り合うことがとても難しいような規模であるのだが、新党と自民党の残留派との離党前後の対立がインパクトを持ち、自民党に対する大きな挑戦者であるように見えやすいのだ。

社会党~民進党と、保守系の新党との協力は難しく、また協力することが出来ても、野合という面を強く持ってしまうため、自民党に有利である。しかし、それだけにとどまらず、それらが早期の政権交代をあきらめ、自民党ではなく、お互いを倒そうとすることすらあるのだから、自民党の高笑いが止まらないわけである(しかし今はもう、この野党同士の争いは避けるべきでないものとなっている。このことについては改めて述べる)。

日本維新の会の民主党→民進党攻撃は、理解できる面もあるが、共倒れを招いたことは確かだ。立憲民主党と日本維新の会も、他の政党を巻き込みつつ、共倒れするのだろうか。あるいは支持率の高い立憲民主党が倒れずに、自民党の挑戦者となるのだろうか。

 

低所得者のネトウヨ、かつて低所得者が多かった創価学会を味方にしている→

Translate »