1-10自民党の強さの秘密~あまりにでき過ぎた構造1.政権交代論

イギリスでも廃止! 総理大臣が勝てそうな時に衆議院を解散する権限

自民党にはまだ、しかも強力の武器がある。総理大臣の、自由に衆議院を解散する権限だ。これについては、持っていないとする見方もあるが、いつの間にか定着し、今さら違憲だと騒いでも、状況は変わらない。

(憲法第7条には天皇の国事行為として衆議院の解散がある。もちろん解散の有無自体を天皇が決めるわけではなく、形式的なものであるはずだが、天皇の国事行為が内閣の助言と承認に基づくことから、内閣が衆議院を解散することができるという解釈が、現状追認という面でも定着している-これは7条解散と呼ばれる-。対して、衆議院において内閣不信任決議案が可決された時しか、内閣は衆議院を解散することが出来ないという説もある-こちらの解散は69条解散と呼ばれる-。)

総理大臣を選び、その命運を直接握っているのは衆議院である(参議院には内閣不信任決議案がないし、衆議院と違う人物を総理大臣に指名しても、制度上衆議院が決めた通りになる)。その衆議院の総選挙を、自らの支持率が比較的高い時に行うことができるのだから、政権交代が起こりにくくなって当然である。

どんな政権でも支持率の浮き沈みはある。長年与党第1党であることからも選挙に強い自民党が、自らが勝てそうな時に総選挙を行うのだから、解散をためらって、よほど追い込まれない限り(三木内閣、麻生内閣がそうであり、過半数割れを起こした。ただし前者は、総選挙後に無所属議員を追加公認して過半数を回復)、とても有利なのである。

なお、民主党内閣期にも、菅直人が総理大臣に就いて、民主党政権の人気が回復した際、衆議院の解散が考えられたようだ。しかし、自民党の1党優位制の下、様々な事が重なって奇跡的に勝てた民主党では、政権を失うリスクが高すぎたといえる(民主党の勝利の要因に、投票率の上昇があった。投票率が上がったのは、民主党、または政権交代による変化に期待をして、投票に行っていなかった人々が民主党に票を投じたからである。そのような人々はすぐに失望し、投票に行かないか、民主党と対立する政党に票を投じる可能性が高かった。実際には主に前者であったと考えられる)。

首相の解散権は、ドイツでは制限がある。内閣信任案が否決されなければならない。与党が、総選挙をしたいがために自らが戴く首相を信任しないことは(欠席しただけでも親任しなかったことになろう)、過去に何回も例はあるが、それは政権の枠組みが選挙を経ずに変わったか、議会における政権の基盤が不安定な場合に限られている。不信任案も提出可能だが、その提出には、代わりの首相候補の擁立が必要な制度となっており、可決されれば、その人物が首相になるだけである。

イギリスは日本と同様の制度であったが、2011年に総理大臣の解散権はなくなり、下院で内閣不信任決議案が可決されるか、下院が3分の2以上の賛成で自ら解散するしかなくなった。メイ内閣が野党の賛成も得て、後者での解散を実現したが(それでも議席を減らした)、この場合各党は、「総理大臣の専権事項だから」とは言えず、賛成した理由、反対した理由を説明しなければならなくなる。

大統領制のアメリカでは、大統領は上院も下院も解散することはできない。他の欧米諸国では大統領か首相が解散権を持ち、与党が有利な時に解散を行うことが可能な国があるが、日本のように、任期満了の選挙が、内閣が追い込まれた証拠となる国はないだろう。1党優位でない国で、こうなのだ。日本では任期満了による総選挙は、戦後は第34回総選挙だけ、約73年間(2018年現在)、27回のうち、わずか1回だけなのである。戦前も第7、10、11、21回の4回、約55年間、21回のうち、4回に過ぎない。

総理大臣から衆議院を解散する権限を取り上げた場合、例えば郵政解散後の第3次小泉内閣のように、民意を味方に、党内の反対も抑えて改革を断行することは難しくなる。しかしそのデメリットよりもメリットの方がはるかに大きいと思う。

もう1つ。五十五年体制が終わって自民党の足腰が弱くなってからも、自民党が解散権を利用することができた衆議院では、2009年の第45回総選挙以外は、追加公認、他党の切崩しで過半数を回復できないレベルの、敗北をしたことはなかった。しかし参議院ではそうはいかなかった。1989年の惨敗で生じた過半数割れは、2016年の参院選後の、追加公認で初めて克服されたのである。

政権選択の選挙ではない参院選(総理大臣は事実上衆議員で決まる)だから、有権者が気楽に自民党を負かせるということも確かにあるのだろう。しかし各選挙が行われた時期を見ると、やはり解散権がないために、参院選では苦戦することが多かったのだと思わざるを得ない。1989年もそうだ、総理大臣(当時は宇野内閣)の女性スキャンダルが出れば、衆院の解散は回避したであろうが、参院選だから回避できず、報道されてから約1カ月半で選挙となった。消費税法が施行されてから4ヶ月弱、リクルート事件発覚から約1年1カ月というのも、タイミングが悪かった(日本人は忘れやすいかが、さすがに早すぎる)。

五十五年体制崩壊後の参院選を見ると、1995年は、自民党が野党に転落し、社会党との連立で与党に復帰してから初めての選挙であった。野合だという批判もある中、約半年前に起こった阪神淡路大震災への対応などが批判を招いていた。獲得議席数では第1党を維持したものの、得票数では都道府県別の全選挙区の合計、比例代表の全国区とも、新進党に及ばず、河野総裁(副総理大臣)が辞任に追い込まれた。次の1998年は、新進党がバラバラに分裂したこともあって、やはり第1党は維持したものの、与野党の別で見れば惨敗と言える結果で、議席数を大きく減らし、橋本総裁(総理大臣)が辞任に追い込まれた。ただし、その理由は選挙直前の橋本総理の不明瞭な姿勢にあり、消費税が5%に上がってから初めての国政選挙であったとはいえ、約1年3ヶ月が経っており、必ずしも次期が悪かったとは言えない。次の2001年の参院選は、第1次小泉内閣が成立して間もないという絶好のタイミングであったために勝利したものの、非改選と合わせた議席で過半数を上回ることはできなかった。まだ小泉内閣期であったが、内閣の支持率が以前より低かった2004年は獲得議席が民主党に及ばないという、1989年以来の事態となった。2004年がわずかに及ばなかったのに対して、内閣支持率が大きく下がってから迎えた2007年は、大きく差をつけられる大惨敗といえる結果となり、安倍総裁の辞任につながった。2010年は、民主党政権に対する批判が強まっていたことから勝利し、以後は勝ち続けている。

以上から、民主党→民進党が不振に陥るまでは、自民党は、好きな時、つまり比較的支持率が高い時に実施できる衆議院の総選挙については、なんとか勝ち続けたものの、それができない参議院の通常選挙(半数ずつの改選であるため総選挙とは言わない)では、なかなか勝てない状況であったのだと言える。そのために公明党等との連立も必要になった。衆院選で自民党が不自然な勝利をし、参院選でそれができないと、衆参で多数派が異なる、いわゆるねじれ国会となる可能性が高くなる。この点でも解散権には問題がある。