1-10自民党の強さの秘密~あまりにでき過ぎた構造1.政権交代論

参議院がある

日本は二院制である。総理大臣の指名、予算の採決、条約の承認については、参議院でも、投票、採決は行われるものの、衆議院における決定の通りとなる。一般の法案も、衆議院で可決されたものが参議院で否決された場合、衆議院で3分の2が賛成すれば、成立する。2005年以降、衆議院の総選挙の結果は極端であり、与党は3分の2を上回るのが常である(民主党政権は、社民党の連立離脱によって3分の2を下回った)。

しかし本来、与党が3分の2を獲得するのは容易ではない。2005年以降も、自民党、あるいは民主党単独では、それなりに下回っている。このこと、そして衆議院の3分の2で成立に持っていくことにも、時間がかかる、二院制の軽視などの批判が伴うという欠点があることから、参議院には拒否権があるという面もある。予算案についても、赤字国債の発行が事実上不可欠であり、その発行には法案の提出が必要であることから、参議院が拒否権を握っているという面がある。

そのような参議院を、内閣が、衆議院のように好きに解散させることができないということは、政権交代の力になるものであるかのようにも見える。しかし必ずしもそうではない。参議院の存在が政権交代を阻むこともあり得る。なぜかといえば、参議院でも自民党が強いことは強いからだ。確かに参議院は、自民党内閣が好きに解散できないこと、有権者が、より気軽に非自民の政党に票を投じることから、自民党が過半数割れに苦しむ結果になることが多かった。しかしそれは1989年以降のことだ。すでに述べたように、もともと自民党の規模は圧倒的であった。

参議院は当初は一応、衆議院における政党政治と一線を画すものと位置付けられ、無所属の候補が多く当選していた。自民党は結成当時過半数に到達していなかったのだが、無所属議員の多くは保守系、つまり自民党寄りであった。そして結成後あまり時間を経ずに、自民党は過半数に到達した。これは参議院の政党化が進んだためで、参議院議員達も、選挙区が比較的小さい衆議院議員ほどではなくても、自らの選挙区に根を張った。それが難しい全国区では、利益団体の票を多く得ることのできる候補が当選しやすく、その利益団体の多くは自民党支持であった。

要するに、参議院では自民党は衆院選よりは負けやすいものの、優位にあったことに変わりはなかった。それでも負けやすいのだから、チャンスはあるように見えるのだが、問題は、野党が3年越しに2回目の勝利を果たさなければならないことである。参議院は3年ごとに半分が改選されるため、1回によほど圧勝しない限り、2回続けて勝たないと、過半数に到達しないのだ。

自民党が初めて大敗したといえる参院選は冷戦末期の1989年であり、社会党より少ない議席しか得られず、非改選を合わせても過半数を下回る結果となった。しかしまだ第2党(社会党)を大きく上回っていた。その後、1995年(比例に限り新進党より少ない議席)、1998年(野党陣営が多党化していたため票も議席数も第1党であったが、比例区で民主党にかなり迫られ、与野党別で見れば大敗)、2004年(民主党より少ない獲得議席)、2007年(民主党より少ない議席で非改選を合わせても自公両与党合計で過半数割れ)と、民主党政権が迷走を始めるまでの期間では、負けが多い(勝ちは1992年と2001年)。

しかし自民党2連敗を探すと、1995年・1998年と、2004年・2007年と2回だけである。民主党は、この参議院誕生以来1回(1995年・1998年)しかなかった奇跡を再度起こし(2004年自民党に辛勝、2007年大勝)、過半数に迫る第1党となったのである。そして、それが政権交代への足掛かりになった(このことにはねじれ状態の悪用という問題もあるが、改めて述べる)。小選挙区(1人区)が存在しても、大選挙区も比例代表もある選挙制度の特質上、もともと足腰が弱い野党第1党が、あるいは野党連合ですら、過半数を上回ることは決して容易ではない。それを、2回連続勝たなければならないのである。

今、仮に衆議院の総選挙で政権交代が実現しても、参議院では旧与党(自民党と公明党)が過半数を上回っている(しかも自民党単独で過半数に迫っているか、上回っている)という状況になる。ねじれ国会になるのだ。そして、その解消は保証されているわけではなく、成功するとしても時間もかかる。いくら国民の応援が見込める場合であっても、予算、法案の成立に苦労することになる。第1次安倍内閣、福田康夫内閣、麻生内閣、菅内閣、野田内閣は皆、ねじれ国会のために総辞職を余儀なくされたという面を、多かれ少なかれ持っている。

「政権交代が実現しても」としたが、このことをもって、政権交代が回避されるという危険もある。もし、自民党が衆議院の総選挙で野党に転落しそうな時、「有権者の皆さん、いま野党が政権を取っても、野党は参議院では少数派ですよ! ねじれ国会になって、決められない政治に戻ってしまいますよ!」と脅すことが出来る。「自民党は総選挙で負けるんだから、民意を代表する新与党に協力しろ」と言ったところで、有権者がみな「そうだ、そうだ!」と言うわけではない。「なら政権交代はやめておこうか」という人々も少なからず現れるだろう。ただでさえ政権交代が難しい日本において、野党にはまた1つ、障壁が現れるのだ。

もう1つ問題がある。新党が不利なのだ。筆者は上位2党の地位が安定し、その2党の間を政権が、一定の間隔を空けて行ったり来たりすることが望ましいと考えている。しかし、自民党と、社会党~民進党系以外の政党との間の政権交代が良いという人もいる。これが輪をかけて難しいのだ。細川内閣~新進党の例を挙げるべきだが、その前に、1954年結成の日本民主党について述べておきたい。

自由党の離党者(日本自由党を含む)と改進党によって結成され、左右両派社会党の消極的支持によって、結成後間もなく単独政権を成立させたのが日本民主党である。その結成時の議席数は、衆議院467中120、参議院248中20と、参議院では定数の12分の1にも届いていなかった。一方の自由党は、衆議院に比べればずっと小さな分裂ですみ、91議席を誇っていた。しかも参院選は結成前年にあったばかりであった。政局と一線を画すことが期待され、まだまだ政党に属さない議員が少なくなかったとはいえ、党外に、自らの5倍以上である105名もの協力者を得なければ、内閣(第1次鳩山一郎内閣)は、予算案や法案を成立させることが出来ない状況であったのだ。政党化していく過程であったから政党、会派の不議席数は比較的少なく、いくつもの政党、会派、あるいは多くの無所属議員の協力が必要な状況であった。大規模な再編ではなく、選挙でコツコツ議席を増やせというのが参議院であったとも言えるが、自民党結成以降について言えば、それは自民党の優位性を保証する。

1993年、自民党は総選挙によって衆議院の過半数を回復することができず、下野した。政権交代を果たした新与党は、両院で過半数を上回ることが出来た。というと、何も問題がないようだが、参議院では、新与党の第1党、社会党の1989年の参院選における、奇跡的な大勝利に依存した過半数であった。第2党がたまたま奇跡的に、しかも1992年には敗北していたにもかかわらず、けっこうな議席を持っていたのである。73議席(第127特別国会の召集日の会派の議席。以下同)の社会党に依存しなければ、新与党は参議院では超少数派であった。

当時の参議院の定数は252、つまり過半数は127議席であった。社会党以外の新与党を見ると、公明党24、民社党(2議席のスポーツ平和党との統一会派として)11、民主改革連合11、新生党8、日本新党4、新党さきがけ0、計56議席に過ぎなかった。過半数どころか、4分の1にすら全く手が届いていなかったのである。その原因は、新党の議席が少なかったことにあるといえよう。

衆議院の総選挙では大勝した新党であったが、日本新党を除く2党は、一度も参院選を経験していなかった。議席が少なくて当たり前である。そのかわりこの2党、つまり新生党と新党さきがけは、自民党の離党者が直ちに結成した政党であったから、自民党の離党者が多ければ、大きな勢力になり得た。しかしそうもいかないのである。参議院はすっかり政党化されたわけだが、それでも衆議院と一線を画すという伝統は残っており、衆議院側の政局と距離を置く議員達が多く、離党者が集まらないことが多いのだ。事実、この時だけではなく、社さ両党の離党者が結成した民主党も、参議院議員が異常に少なかった(後述するが、衆議院の総選挙に向けて結成される場合が多いことも要因にある。それでも、衆議院の政局に連動して動く議員が少ないということは変わらない)。

話を戻すと、社会党を失って下野した細川内閣~羽田内閣の与党が結成した新進党も、自民党に取って代わり得る2大政党の1つを目指し、衆議院では社会党を大差で引き離す第2党でありながら、参議院では当初、社会党よりずっと少なく、合流が先送りとなった公明党の一部の議員達(公明を結成)を合わせても、50議席、つまり定数の5分の1にも届かなかった。結成から約1年半後の、1995年の参院選で自民党を上回る票を得て(それでも獲得議席では下回った)躍進したものの、1998年の参院選を待たなければ、自民党と渡り合う規模にはなり得なかった。

日本維新の会も、結成から約3ヶ月後の2012年の衆議院総選挙では、もう一歩で民主党を上回って第2党になるところまで伸びたが、参議院ではそうはいかなかった。2010年の参院選を、敗れたとはいえ与党として戦った民主党に迫るには、2013年ではなく、2016年の参院選まで待たなければならなかった。

新党の人気は最初のうちだけだというのが常だ。これは何より、今までの新党(と有権者)に責任がある訳だが、不利な条件でスタートする上、参議院では最低でも3年あまり、参院選が終わったばかりの時に結成されていれば6年近く多数派となる機会を得られないに等しいのだから、参入障壁が高すぎるということは、否定できないだろう。これだけ「政党の離合集散はたくさんだ」と言いながら、新党は離合集散なしに台頭することが困難なのである。民主党離党者、太陽の党、結いの党と合流し、また別れた日本維新の会(大阪派)、民進党の多数派(衆議院)と合流することでしか参院議員を得られなかった希望の党が良い例である(民進党参議院議員の希望の党への合流は立ち消えとなり、同党の参議院議員はわずか3名にとどまったわけだが)。

なお、新生党も新党さきがけも、民主党も、国民新党も新党日本も、みんなの党も日本維新の会も、日本未来の党も、希望の党も、衆院の総選挙に向けて、あるいは総選挙を機に結成された(参院選に向けて結成されたのは日本新党やたちあがれ日本、新党改革)。このこともあって参議院議員の参加者は少なく(日本維新の会は当初、衆院議員と比べれば参院議員が多かったが、その多くは議員を辞職して衆議院の総選挙に臨んだ)、選挙で増やすことについても、待たなければならないのである。これは、日本の政治が衆議院中心であるのだから、無理もないことだ。

筆者は二院制を支持するが、以上のことを見ても、参議院の在り方は大きく変えなければならないと考えている。