日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
野党を経験不足にせず、「自民党と変わらない」と言わない

野党を経験不足にせず、「自民党と変わらない」と言わない

日本の消費税は、その導入後に2回上がっている。それを決めたのは二度とも、社会党の系譜を中心とする政権であった。5%を決めたのは日本社会党が総理大臣を出していた、村山自社さ連立内閣、8%(+次に10%に上げること)を決めたのは民主党が総理大臣を出していた、野田民国連立内閣である。野党にならないことが最大の目標である自民党には難しいことを、野党時代には反対する左派政党が実現したのである。

村山が総理大臣に就いたことで、日本社会党は自衛隊を合憲とし、日米安保体制を「堅持」するという転換を見せた(当時総理大臣・社会党委員長であった村山富市は、所信表明演説において「維持」とする予定であったところ、力み過ぎて「堅持」と言ってしまったとしている(村山富市『そうじゃのう・・・』112頁)が、訂正されず、党も認めることとなった)。総選挙から1年もたたない間に、従来の主張を180度転換したのであった。その後、存在自体に反対していた消費税を引き上げたことも、やはり180度の転換であった。社会党は、票を投じてくれていた人々をだました、あるいはだましてきたということになる。

しかし、消費税の増税を不要だとする日本人は少ない(その時期については様々な意見があるが)。自衛隊、日米安保を不要だとする日本人は、もっと少ない(中国とより良い関係を築くとして)。だからこの転換自体は、そのなされ方は別として、評価しなければならない。国の役割は国民の人権を守ることである(命を守る国防と治安維持、人間らしい生活を守る社会保障)。第2党が現実的になれば、国民の選択肢は実は増える(現実的な選択肢をあまり提供しない政党を、第2党にしていたことがおかしいともいえる)。第1、2党の差異がよく分からなくなるという批判もあるが、国民の人権を極力侵害しないこと、楽観的過ぎない治安維持と国防について、2大政党が大まかに、しかし本当に一致をするのであれば、対外的にも良いことである。この一致を前提にしたとしても、争点はいくらでもある。

イギリスではかつて福祉重視、その後競争重視を前提に、個々の政策の差異を、保守党と労働党が争い、政権交代を実現してきた。しかし2大政党が、双方に離脱論があったにもかかわらず、全体としては共にEU離脱に否定的であったことから、離脱を求める有権者の受け皿として、離脱を主張する独立党が勢いをつけた。参考になるだろう。イギリスでは19世紀から20世紀の初めにかけて、新たに浮上した重要な争点をめぐって、2大政党制を壊さないような政界再編が何度か行われた(『補論』⑥参照)。

第1、2党の差異に関して述べているわけだが、実際の問題はむしろ、自民党を下して政権交代を果たした政党が、現実の壁に直面し、自らの政策を上手く実行に移せず、結局細かいことまで、自民党と変わらない状態、むしろ経験の浅さがマイナスにばかり働く、劣化版になるということだろう。社会党政権にも、その流れを汲む民主党の政権にも、そのような面があった。

これに対し言えるのは、やはり、非優位政党が政権運営の経験を積むことが、解決策になるということである。民主制の経験が欧米よりも浅い国の国民として、民主主義を棄てないのであれば、損害を被っても、ある程度長い時間耐えるということをしなければならない。どの先進国も民主制の生みの苦しみに続く、「定着の苦しみ」を多少なりとも経験して、今、「変化の苦しみ」が始まっているのに対し、日本はまだ「定着の苦しみ」から逃げ回っているところなのである。

もう1つ言いたいことがある。全く同じ政策を採る政党が2つあったとする。片方は、本来もっと右の政策を実行したいものの譲歩してその政策を、もう片方は、もっと左の政策を採りたかったが、できずにその政策を、掲げるか進めるとする。筆者はこれを無意味だとは思わない。例えば社会民主主義政党が、理想を実現することが出来ず、保守政党とあまり変わらない政策しか実現させることが出来なくても、あるいは日本の場合で言えば、嫌々自衛隊の強化、集団的安全保障の容認を決断したとしても(違憲かどうかはあえて置いておく)、党本来の考えを棄てずに、「断腸の思い」でそれをしたのなら、それは保守政党が張り切って同じことをしたのとは、違う意味も持ち得るのではないだろうか。

短期的には現実的な政策を採って経験を積み、個性を発揮するための環境づくりに取り組み、徐々に、あるいは環境がある程度整い次第、本来の政策を実現させていく(他国との約束事は別だが、それでも身動きが全く取れなくなるということはないはずだ)。それは平気で現実と妥協するということではなく、妥協してもなお、有権者の信頼を得続けられるよう、そして現実も変えていけるよう、努力を続けるということである。価値があることだと思う。そのために寛容さを求められる有権者にとっても、それに甘えるという逃げ道を自らふさぐことが求められる政治家にとっても、これは実は厳しい道である。

そう考える時、自衛隊、日米安保を正式に認めた1994年の社会党には、それで直ちに税負担が増えるとか、社会保障の予算が削られるというわけではないのだから、支持者を裏切ったことによる党存亡の試練ではなく、与党として、支持者の理想を現実に採り得る方法で実現させるという、試練を与えるべきではなかったのかと、惜しまれる。それをしたならば、野党は経験値を大きく伸ばすことが出来ていたと考えられる。左派政党の支持者が志向していたであろう、格差拡大の阻止、平等化にも、より良かったのではないだろうか。もちろん消費税増税なしに、社会保障制度を充実させることが難しいことにかわりはない。

そのような政権下においては、なし崩し的にグローバル化に順応する場合よりも、国の形をどのようなものにするか、議論が求められるはずだ。だから様々な制約の中で、国の形をどのようなものにするか、議論は深まったはずだ。この点に限って言えば、自社さ連立は、自民党に比べれば力不足で、経験も乏しい民主党単独に近い内閣よりも(国民新党の亀井静香の存在感は大きかったが)、適していたように思われる。

 

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