1-13日本の第2党はなぜ弱いのか1.政権交代論

自民党の先祖もダメな野党第1党

繰り返しとなる部分もあるが、忘れてはならないと思うのは、自民党の先祖もまた、初めて政権を得た時(自由党と進歩党が合流した憲政党の第1次大隈内閣)には、民主党のようにみっともない党内抗争に明け暮れ、たったの4ヶ月で倒れことである。帝国議会開設当初の自民党の祖先は、大きな脅威が外にある状況下、大幅な減税など、非現実的な主張をしていた。その後、再編も含めて多くの経験をしながら、今があるとも言える。

その過程においても、党の内紛による内閣の崩壊など、大きなつまずきは何度もあった。明治、大正期の国民が、「あいつらは駄目だ、やはり薩長閥に任せよう。」と考えていたら、日本は議会制民主主義への道を歩むことができていたのだろうか。残念なことに、昭和に入ると、国民が実際に「あいつらはだめだ」と言って、軍部を支持したという面がある。それでも、アメリカの圧力で政党政治に戻ると、戦前の政党政治の記憶に助けられ、民主国家として歩むことができた。

国民に見放されたという面があったとしても、戦前の自民党の祖先は、解散していた1回の総選挙を除き、多くの票を獲得し続けた。他にも要因はあるが(『キーワードで考える日本政党史』で見ている)、有権者が薩長閥寄りの勢力、右翼的な勢力を躍進させたことはほとんどない。そして、今の自民党があるのだ。

板垣退助の自由党の系譜、それを含む自民党については、長い時間をかけて、その成長に付き合ってきた日本人だが、第2党については、例外はあるものの、基本的にはずっと冷淡であった。しかし政党を1つ育てても、真の民主主義国家とは言えない。2大政党制でも多党制でも、あえて言えば何でも良い。1党が半永久的に突出するか、そうでないかは、天と地の違いなのである。1党独裁と1党優位もまた、天と地の違いではあるのだが、それを理由に、「まあ、これでいいか」とあきらめるのは危険である。