1-15民主党政権の失敗も1党優位のせい1.政権交代論

民主党政権の失敗も1党優位のせい

民主党政権の失敗については、すでに分析が尽くされているが、ここでは1党優位との関係性について考えていきたい。

政権の失敗を具体的に思い出してみよう。

①歳出削減が不十分であったにもかかわらず、約束していなかった消費増税を決定

②突然のTPP交渉参加表明

③尖閣諸島沖中国漁船衝突事件への対応

④東日本大震災への対応

⑤相次ぐ分裂

⑥鳩山由紀夫の性格

⑦高速道路無料化等、目玉政策の挫折

⑧第3極の期待に応えなかった(みんなの党は2009年の首班指名投票で鳩山民主党代表に投票、橋下徹は民主党に改革に期待し、鳩山総理の普天間飛行場の県外移設に協力的な姿勢を示した)

①と②は公約違反だといえる。議論することまでは公約違反ではないが、明確な決定が下されている。特に消費税については、自公両党と合意をし、増税反対の有権者が第3極に投じるしかない状況をつくっている。第3極だけで過半数を上回る可能性は低く(ゼロであったわけではないが)、有権者が増税を追認することしかできないという状況を、つくっているに近いのだ。

この公約違反の背景には、民主党を現実的な対案路線に導こうとした前原誠司らと、自民党との分かりやすい差別化を優先させた小沢一郎らとの、従来からの路線の違いがある。すでに述べた、野党第1党の2つの選択肢を巡る対立、合流を繰り返して党勢を拡大したことで内報した対立が、重なって起こった現象だ。重なり方は単純ではないのだが、双方による相乗効果を逃れることは、非常に難しいことであったといえる。野党第1党があまりに不利な状況を改めなければ、同じことが繰り返される。それは、小沢派が離党した後でも、民主党→民進党が深刻な路線対立を起こしたことで証明されている。

③の尖閣沖の事件に対する対応は、事なかれ主義、そして中国との関係を重視する社会党の系譜(自民党の田中派、その流れを汲む小沢一郎の新生党~自由党の系譜-もそうである)の悪い面を、経験不足が大きくしたのだといえる。経験を積めば、改善される可能性が高いだろう。第1次小泉内閣期、不法入国をしようとして成田空港で拘束された金正男を、外交カードとして利用することもせず、本人だという確認も取らないまま強制退去とした事件があった。自民党でさえ、経験を積みながら歩んでいる(こう言うと、当時の外務大臣であった田中真紀子は民主党に移ったと返してくる人がいるが、当時の首相官邸にも、当然責任がある)。

④の震災への対応は、経験不足と、民主党内の個人主義に起因している。この個人主義とは、党の有力者が協力し合うというよりは、他者を軽視したり、他者の失敗に巻き込まれないように、距離を置いたりするというものである。要人達の心の内を読むことはできないが、事実として、他の要人の失敗をフォローする要人はほとんどいなかった。自党の総理大臣を引きずり降ろそうという動きも、しつこいくらいに見られた。

選挙区への利益誘導が難しい野党議員は、別の形で目立つ必要があるということも、背景にある。本来は与党であれ野党であれ、選挙区の有権者の支持を細やかに取り付ける努力が必要であるのだが、中央で目立つ方が時に効果的であったり、選挙区の重視が民意をすくい上げたり啓蒙したりすることではなく、冠婚葬祭に出席することになっているという問題もある。だからどぶ板と言っても、民進党系の候補者は、自民党の候補者と同じことをやらなくても良いし、同じことを同じだけやるのでは、なかなか勝てないのだが、その代案が、中央で目立つことに特化していることには、問題がある。

自民党であれば、自党(の党首)が困難な状況にある場合、冷静にするべきことをするか、「もう駄目だという時に初めて、代わりにおれがやる」という積極的な要人が現れる。例外もあるし、少し美化しすぎているかも知れないが、このような傾向が、民主党→民進党にはあまりに乏しいのだ。2017年の大分裂を招いた要因も、ここにあるといえる。

⑤の相次ぐ分裂こそ、①②の2つの選択肢の問題と合流による問題、④の個人主義の総決算である。自民党で幹事長まで経験した小沢一郎が、政党の合流と分裂を繰り返しているのは意外なことのようにも思えるが、自民党から出ていく議員、つまり簡単に離党する議員(良く言えば離党する勇気のある議員)を、政権交代のカギ、野党第1党の命運を握るカギとせざるを得ないことこそが問題なのである。

⑥の鳩山由紀夫の性格は、書いていて冗談のようにも思えてしまうが、党首選びという、特に五十五年体制崩壊後は、政党の最重要事項に関するものである。2つの道、度重なる再編、個人主義の上に、イメージが良いことを最優先にトップを選ぼうとすると、よほど順境にない限り、党内がまとまらないのは分かりきったことだ。各グループにイメージが良い有名議員は1人くらいはいるものだし、「おれがやる」と、ずっと言っている要人もいる。また党首となる人物も、(最近では自民党も変わってきているが、)自民党のように一定の段階を踏んでいることが、条件とはならない(結果として踏んでいても)。

考えてみれば民主党は、自民党でも小沢ら新進党でもない、人気政治家の菅直人、鳩山由紀夫を党首とし(結成当初は二人代表制、その後は交互に代表に選出された)、次に小泉純一郎内閣を相手とする中で、軽さが批判された小泉と対照的な、堅物の岡田克也を党首とした。そして小泉改革による格差の拡大が問題になると、格差解消を唱えるようになっていた小沢一郎を党首にした。これは正しい選択だとは思うが、人気のある議員、かつ時の自民党と好対照をなす議員を「選ばなければならない」中で、本当に大事な、党本来の路線の明確化と、その路線を代表し、政権を得た時には強力に進められる人物という評価基準は、忘れ去られた。

政権交代の頃、トロイカと呼ばれていた鳩山由紀夫、菅直人、小沢一郎のうち、一番実績に乏しかったのは、与党の党首も、閣僚も経験していなかった鳩山だ。人柄と、未知数であるが故の期待も、人気の背景には当然あった。しかし、経験は必要である(だから野党第1党が、万年野党であってはならないのだ)。

また考えてみれば、小沢一郎も自民党が生んだ政治家である。自民党時代の小沢がそうなのは当然だが、「左派政治家小沢一郎」もそうなのだと思う。小沢は自民党内で主導権を握るため、そして離党後は自身の政党のライバルであった自民党、後に連立相手となった自民党の優位に立つために、新自由主義的改革・政治の改革を掲げた。そして次に野党として、小泉総裁以降右傾化を見せた自民党に対抗するように左傾化した。自民党への反感は、野党政治家以上にあるのだと考えられる。それで自民党には出来ない、良い政治が出来れば言うことはないのだが、小沢の対米姿勢はあまりに強硬だった。現在ほど中国の脅威が明確でなかったとはいえ(しかし政治家なら予測し、警戒する必要があった)、あまりに強硬だった(インド洋における自衛隊の給油活動に反対するということの是非は別としても、アメリカを刺激する発言や態度は、日本にアメリカと渡り合うだけの力がないことを考えれば、得策ではなかった。ちなみに師の田中角栄、自身がかつて担いだ細川護熙同様に、小沢も、アメリカの言いなりにならない姿勢を見せた後、汚職の疑惑が浮上した)。

自民党時代の小沢は、自身の派閥の親中の色が濃かったとはいえ、親米であった。それが小泉以降の自民党が親米の色を強め、右寄りの姿勢から中国との関係が悪化すると、小沢はその反対を行くように親中反米の色を強めた。それだけを理由とするのは安直かも知れないが、自民党と逆を行くことに終始したのが、2000年以降の小沢一郎であることは間違いない。

なかなか自民党に対抗し得る政党になれなかった民主党は、しぶしぶ小沢一郎という、かつて対立した外様の大物政治家を代表にした。小沢代表辞任後の鳩山由紀夫も代表・総理大臣を辞任すると、民主党はいきなり消費税増税、TPP参加に舵を切った。前者は当時の日本で言えば保守政党の政策であり、後者はグローバル化を進めるという点で、新自由主義的政策であった。この転換の要因は、1党優位の弊害である民主党の与党経験の決定的な不足だと言える。小沢という優位政党出身の、与党経験の豊富な大物政治家を党に迎え、さらには指導者とせざるを得なかったことも、1党優位の弊害と言えるが(「いつも優位政党の離党者に頼らざるを得なかった野党」参照)、そうせざるを得なかったことのストレス、小沢に従わざるを得なかったことのストレスが、小沢の影響力が弱まるや否や(しかもめずらしく与党である時に)、民主党の非小沢派に、リアリストであることを誇るような、転換をさせたように、筆者には見えた(もちろん、直接的には官僚につけこまれたのだが)。そして、小沢の影響力を低下させた秘書逮捕(政治資金規正法違反)の背景に、既成の権力の、小沢内閣成立(民主党への政権交代)を妨害する意図が本当になかったのか、筆者は疑いを捨てられない。小沢に反発し、官僚に寄らざるを得なくなった民主党の非小沢派は、同党に投じた人々の、少なくない部分を敵に回した(最初は、古い政治でもある小沢の影響力低下を喜ぶ人も多かったが)。

ところで、民主党→民進党の歴代の代表を見てみると。菅・鳩山(2人代表制)→菅→鳩山→菅→岡田→前原→小沢→鳩山→菅→野田→海江田→岡田→蓮舫→前原と、以前も述べたが、ぐるぐる回っている感じが否めない。「おれがやる」と言い続ける、人気を確立したという面のある大物議員の間で、党首のポストを回している状況だ。それぞれがやり切ったと思う前に引きずり下ろしつつ、回しているのだ(総理大臣も短命であったが、総理大臣になれないまま代表を降りていれば、特に再チャレンジをしたくなるものである)。降ろされる本人にも原因はあるが、党としての合理性が無さすぎる。要人間の関係が悪くなるような交代劇、早期の、経験がうまく蓄積されないような交代を、また自分の番が回ってくることを期待しつつ、ただ繰り返しているのだ。

⑦の実現困難な公約は、経験不足と、目立とうとする精神の成せる業である。これを防ぐには、地味な対案、公約を、報道機関、有権者が好意的に評価し、現実的であり、実のある政策が票に結び付くという実感を、野党第1党に与えることが重要である。

⑧の、第3極の期待に応えられなかったことについては、単に政権を維持するための道を失ったというだけではない。自らが第3極に脅かされる事態を招いたのである。実際にはその危機を一度しのいだわけだが、第3極との小選挙区における競合に苦しんだ。自らの政策と正反対の政策を取り入れてしまえば野合だが、みんなの党や日本維新の会の政策には、民主党が目指していた歳出削減などと、親和性の高いものもあった。歳出削減を果たした後、その浮いた分の使い方に差異があったとしても、多くの国民に期待されていた政党の意見には、まずは真摯に耳を傾けるべきであった。それは自民党のように、野党を分断するために、そして他の野党の印象を悪くするために、第3極を利用するのとは違う。

次に比較のため、自民党についても考えてみたい。①については、「経験豊富な自民党が言うのなら仕方がない」という面がないわけではない。消費税の増税が不可避だと考える有権者は多く、政権が支持されていれば許されるという面もある。そもそも、消費税増税の決定はいつも、社会党→民主党出身の総理大臣が行なっている。反対していたといえる野党第1党が政権を取って消費税の引き上げを決め、それに対する反発もあって、消費税の増税を唱えていた自民党に政権が戻るという茶番が繰り返されている。偶然とばかりは言えないものの、自民党は運も良い(実際に引き上げられるのが自民党内閣の下であり、下野するなどした社会党~民進党が、理由を見つけて引き上げに消極的になる傾向があっても、日本人は忘れっぽいし、自民党は総選挙の時期を選べるから、大きなダメージにはならない)。

②は、1990年代の政治改革、行政改革で、党首に権力が集中しているため、自民党の党首である総理大臣の決定に、所属議員が(情けないが)さからいにくいという状況がある。また、自民党はずっと与党第1党であるというイメージから、不満があっても議員や支持者が離れにくいということがある。もちろん離れることもあるが、優位政党と敵対することはデメリットが大きいから、民主党ほど深刻にはならない。

③と④の尖閣の事件、震災についてはもちろん、経験に助けられ、民主党よりもうまく対応していたことは想像に難くない。「震災がせめて自民党政権下であれば」と言った人がいることも分かる。しかし、全てそうだとは言い切れない。政権とは、自らに都合の悪いことは隠蔽しようとするものである。民主党の場合、その拙さからぼろが出て、隠ぺいを防ぐことになったという面がある。これはもちろん、原発のことだ。自民党が原発の利権構造の、構成要素、保護者であることを、忘れてはいけない。

⑤の分裂については、優位政党にいれば、当選も比較的容易だし、ポストも得やすいという利点がある。落ち目だと見られた自民党を離党した議員は、実際には全然「落ちない」自民党に戻ることが多い。

⑥については、人気のある議員を党首にしようとする傾向は、2001年以降は民主党→民進党とあまり変わらない。しかし与党としての経験、バックアップ体制は、民主党→民進党よりもずっと上である。ただし、それを根拠に「より良い政治が行われる」と、安心することは危険だ。

⑦については、目立つ公約を掲げなくても政権に就ける、あるいは政権を維持できる場合が多く、そのような公約を必要としないのが、自民党だといえる。代わりに、幅広い支持団体等に色々なことを約束したり、期待させたりするのだが、それらにとっては、それが裏切られても、信じてついて行くことが、自らにとって一番有益であることが多い。もちろん、1党優位制だからそうなのである。

⑧の第3極の期待については、すでに述べてきたことだが、利用するのが実にうまい。第3極も、優位政党である自民党に頼むのが一番確実だから、不満はあっても、自民党と対立関係になることをためらう。それで第3極の政策のごく一部が実現しても、状況が大きく変わることはない。