日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
民主党→民進党よ共産党を切れ!と簡単に言うな

民主党→民進党よ共産党を切れ!と簡単に言うな

共産党を切れ、ということについても、労組の場合とほぼ同じである。政権交代を実現した2009年の総選挙では、確かに共産党が候補者を減らしていなくても、民主党は過半数を取れていただろう。しかしこれは、すでに述べたように奇跡的な勝利、矛盾を抱えた勝利であり、自民党が公明党と手を切るのでない限り、基本的には民主党→民進党系は、共産党との協力なしに政権を取ることはできない。奇跡的な状況にならなくても、また大きな矛盾を抱えなくても、必要に応じて政権交代が実現するようにしなければならない。ただし民主党系のうち、共産党との選挙協力に反対の議員は、協力の必要性が増した原因に、自らの政権の失態もあることを、忘れないで欲しい。また頑張れば良いのだという、前向きなやる気が大事なのはもちろんだが、それだけでは取り戻せないものもあるということを、冷静に受け止めることも大事である(2009年の民主党への政権交代は、奇跡的に条件が整ったのだと言える―その重要な一つが、リーマンショックの影響などにより、麻生内閣が成立後早期に衆議院を解散しなかったことである。リーマンショックへの自民党政権の対応が功を奏さなかったことも政権交代の要因である-)。

本当は大きく異なる、今の自民党と公明党が組んでいて、野党だけは組むな、分裂しろと言うのはフェアではない。民主党→民進党は内部対立を克服する気すらなかったから、そう言われるのも自業自得だ。しかし、これからはそうではないかも知れないから、公平な目で見守らなければならないのは当然のことだ。

確かに、15年以上の与党経験がある公明党は、政権の中心を担う役目は経験していなくても、共産党よりも政権担当能力が高いはずだし、建前上は創価学会の政党ではなくなった。それに対して共産党は、社会主義、共産主義を捨てておらず、与党にするのは、問題がある(共産党は反対政党の活動の自由を保障するとしているが、資本主義政党への政権交代を、認めているとは言い難い。選挙の結果でいつでも資本主義に戻り得る国を、社会主義国家と呼べるだろうか、それを認めながら平等、あるいは産業の国有化を目指すのは社会主義政党、共産主義政党ではなく、社会民主主義政党ではないのだろうか)。しかし、かつての創価学会・公明党のひどい選挙違反(盗んだ投票所入場券による替え玉投票など)、出版妨害事件、公明党の宗教色のある綱領を思い出して欲しい。公明党は、これらに対する反省を党改革という形にして示すことと共に、都議会の与党になったり、自民党に接近したりすることで、日本の議会政治に相当程度適応した政党になったと言える。だから共産党というだけで、同党と部分的に協力することも含めて、完全に否定することはない。

重要なのは、共産党に変化を求めることである。もちろん、それによって共産党が得ていた票が流出するリスクも、共産党が変化を拒むという可能性もある。何より、「間違っている共産党を正す」というのは、一定の票を得ている政党に対して失礼である。謙虚さを持って、あくまでも、選挙協力をする前提として、どうしても認め難い部分について、共産党の支持者も納得できるよう、根強く、時にはオープンな場で、説得することである。説得は議論になるから、両党の支持者にも、それ以外の国民にも、考える機会を与える。

共産党が資本主義、選挙による政権交代を否定し、自由のない共産党独裁政権を目指すのであれば、民主党系は共産党よりも、自民党に近いということになる。しかし共産党は変化し得るし、民主党系が共産党の言いなりになって、そのような国家をつくるところまで、付き合うことはないのである(それに近い状態にすらならないよう、気を付ける必要はあるが、(それに近い状態にすらならないよう、気を付ける必要はあるが、次のような事も起こり得る。共産党が、気に入る民主党候補のところだけ自党の候補を降ろし、影響力を見せつける)。大事なのは方向である。真ん中よりも右に自民党が、左に民主党系があると言える。仮に民主党系が自民党よりもずっと左に位置していたとしても、その位置で民主党系が右を向いてしまうと、有権者が事実上、選択肢を得られないということになる(この視点で、公明党の新生党との合流―1994年―、自民党との一体化の是非についても、考えるべきではないだろうか)。

筆者は共産党内の民主性について疑問を持っているが(それは公明党についても同じだ)、それでも共産党が弱者の味方になっていることは認める(それを感じる経験もいくつかしている)。この点は、民進党系が左派政党として(社会-民主-主義政党にルーツを持つ政党として)、見習うべきであり、それができないなら、共産党と組むことで補うべき点である。民進党系と共産党は連携することで、お互いを補完することができる要素を持っている(特に、民進党系が政権を握って現状に妥協する時、つまり左から中央へ動く時、左からの一定の、敵対的ではない声は必要である)。それをしないのはもったいない。

もう1つ、民進党も共産党も、自民党よりも左なのは間違いない。自民党が新自由主義的な保守政党の性格を強めている、つまり民進党系との距離を広げている以上、民進党系とその左の共産党が、たとえその距離が遠くても、多少の協力をすることは、危険性がない限り、合理的なことだといえる。仮に民進党と共産党の連立政権が誕生するところまでいっても(その可能性は低いし、筆者も現状では認め難い)、日本が中国のような社会主義国になるという危険はないだろう。あったとしても、それこそ他の政党や、国民が黙っていないであろう。

政権構想としては、とりあえず閣外協力としておけば良い。もちろんそれでも、共産党が反対する法案を可決させられないという状況を、想定しておかなければならない。対策としては、共産党が反対することで、自民党政権に戻ることも含めて、より共産党から遠い法案が成立してしまうから、賛成すべきだと説得するしかない。もちろん、「そういうふうに脅しておけば大丈夫だ」という横柄な姿勢、理解してもらう努力を怠ることは許されない。譲歩することも必要だ。野合だと言われないためには、そのような話し合いを国民の前でして、ごまかすことなく、理解を求めることが大事である。独りよがりになることは許されない。

最後に、共産党と組むと無党派層の票が逃げるという見方があるが、両方とも手に入れようとするくらいでなければ、何でも飲み込む自民党(時には共産党とも協力する自民党)には、対抗できない。共闘に参加しない(できない)比較的大きな政党(日本維新の会)があり、その状況を変える努力も不要だとは言えない(筆者は必要だと思う)中、現状では共闘の枠組みの中の、民主党系に次ぐ勢力である(組織力では上回っているとも言える)共産党の特殊性から、堂々と協力することが難しく、その対策も必要な中、しかもそれらができたとしても、組織票で自公両党には及ばない中、もがき続けている民主党系に、国民は真剣に向き合うべきだと思う。

 

民共共闘の意外なメリット→

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