日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
変わらない、自民党でいいやという心

変わらない、自民党でいいやという心

まず、以下は2022年の参院選の結果を受けて書いたものだが、自民党が大きく議席を減らした2024年総選挙の後も、自民党が他党を引き離す第1党である事、それが当然のように受け取られている状況はあまり変わらない。その上で各党の議席の増減、特定の地域の選挙の結果で盛り上がっているに過ぎないのだ。

自民党の参院選の勝因には、他よりマシに見えるという事(実際どうであるかは別として、経験だけは良くも悪くも蓄積されている)、そして国民が非常に低水準の生活でも満足、というか、「それをなんとか守れれば」という、守りの姿勢に入っている事があると考えられる。

フジテレビの選挙特番では、スマホを持てる、あるいはスマホとノートパソコンを持てる状況を維持できれば、リスクをとって変化を起こすよりも良いというような、考えを持つ若者が紹介されていた。数例に過ぎないものの、日本人の性質を考えると、また実際の感覚からも、納得できる面が大きい。(しかし2024年には変化の兆しも見えた。総選挙で自民が議席を大きく減らし立憲が大きく増やす一方、消費税廃止などを唱えるれいわの議席は堅調に増え、「手取りを増やす」を掲げ、消費税の時限的な5%への引き下げも唱え続ける国民民主党が議席を大きく伸ばし、税負担の軽減を強硬に求める人々を引き付けているようだ。ただし国民民主党については反左派の支持者との重なりも大きいと見られ、文責が待たれる―2024年12月現在―)

「自民がマシ」というのも、本当にマシだと確信しているわけではなく、変わるリスクよりも変わらないリスクのほうが、それ自体小さく見えるという事だろう。他国であれば普通、「こんな生活させやがって」と怒る有権者が、「これが普通だし・・・」と思っているか、あきらめている(景気が良かった時代にも、非常に長い労働時間に疑問を持つ声は、自主的にはあまり広がらなかったように感じる。筆者はバブル期はまだ子供だったが、住居の高騰への不満は報道を含め耳にしたが、その影響を受けた非常に長い通勤時間については、あきらめて受け入れている人が多かったように感じる)。もちろん、何でも政治のせいにするのは良くないが、政府の政策が短期にも長期にも、国民の生活を大きく左右するのは間違いない。

同時に日本国民は、政権が交代したら、この「こんな生活」すら守れなくなるという不安を持っているわけだ。これはもちろん民主党政権にも責任があるし、維新も全く、国民を安心させる政党になっていない(そのために国民民主党に支持が移っているように見える)。大阪の状況を深刻な状態からマシには出来ても、それにも課題がある事が、コロナ禍などで思い知らされた。万博、IRに、自民党政治と同じような臭いもする(大阪で優位政党になれば、そして国政で自民党寄りの政党であれば、まるで新しい自民党大阪支部として、癒着構造の中心へと引かれていくリスクがある。自分達はより合理的だしセンスもあるという自負が、維新にはあるだろう。しかしそのくらいの違いでは、日本国民がわざわざ政権を代える気にはならないだろう。小泉自民だって郵政民営化などを実行した。自民党がいつまた大改革を掲げ、国民がそれに魅了されてしまうか分からない。そうなれば維新は、小泉内閣初期の民主党のように埋没する)。それに新勢力ゆえの質の問題も抱える維新が国政を担えるのか。担えたとして自民党と違う事を本当にできるのか。できたとして、新自由主義的な政党が、勝者とは言えない自分達の生活をより悪くするのではないかという不安も国民は抱き得る(子育て世帯を重視しているのは分かるが、やり方が乱暴で、大阪について、実現していない事を実現したかのように主張していた事などによる、信頼の問題も深刻化し得る。選挙で掲げたベーシックインカムを、引っ込めた事も、政権を採る前の正直な調整とはし得るものの、軽率な政党だという印象も与える)。

ただしそれでも、「野党がダメだから」というのを自民党の勝因に挙げるべきではないと思う。どの政党にも良いところ、良くないところはあり、さらに1党優位の日本の場合、与党のダメさはずっと権力にある事、野党のダメさはずっと反対派である事(それでも反対、追及は野党の重要な仕事)、そして与党経験が乏しい事による面が大きい。そのような状況をつくり出しているという点で、主権者の国民にも問題があり、あえて言うなら、「国民も野党もダメだから」とすべきである(社会党が野党第1党であり、さらに変化を拒む最左派の社会主義協会が強かった時代なら、中選挙区制でもあったし、国民にも言い訳ができたが)。

民主主義を守るためにも、政党の能力を高めるためにも、一つの政党を極端に大きくするのではなく、第1、2党の陣営が対等に競争できるようにしなければならない(1党優位だと優秀な人材等は優位政党に集まりやすいものの、それ以外の負の面が大きく、優位政党の質も下がる)。

とは言っても、そんな国民が現実に多数派であると思われるから、野党は大変ではあるが工夫をしなければならない。特に民主党政権の負のイメージ(自民党によって膨らまされてもいるが、問題があったのも確か)を背負う民主党系は、比較的容易に実現できる政策があり、それによって一定の生活の改善は可能で、それに期待してもいいんだという事を、国民に感じさせないといけない(財源の裏付けが不十分だった政権獲得当時の民主党や、2024年の国民民主党ではいけない)。

立憲には色々問題もあるが、それは他の党も同じかそれ以上だ。筆者が感じるのは、維新、国民民主、れいわの不誠実かつ一貫性のない態度だ。それは確かに政権担当能力や政策の評価とは別であり、深刻な欠点でないと考える人もいるだろう。しかし信頼できない人間に、能力が仮にあったところで意味がない。自分が間違っていると思う事に「能力」を発揮されても評価はできない)。なんとか立憲を育てなければと思う。

なお、保守政党が第1、2党であった時の日本は、戦前も終戦後も冷戦終結後も、保守陣営での政党間、派閥間の激しい抗争、足の引っ張りあい、切り崩し工作など、理念や政策よりも感情に基づく対立による、政局ばかりであった。これも再現させたくない。

他国の歴史、現状を見ても分かるように、左派政党は非常に重要な存在である。だから立憲には堂々と社民系を自認して欲しい。ただ日本では、理由もあって左派が懐疑的な見られ方をするのも確かだ。そこに課題があるのだが、それは社会党時代とは違い、左派政党よりもむしろ、(と言うか主権者なら当然そうなのだが)国民の問題である。国民の意識が変わらなければ、いつまで経っても同じ事が繰り返される。勝手に良い政治になどならない。

自民党が政党の域を超えていると言っても良いほどに国民に浸透し、政党制が前近代的なものに留まっていると言わざるを得ない状況を、変えなければ何も始まらない。優位政党に「変わりなさい」と言ったところで、今優位になるものが「変わらないといけないな」とはならない(少なくとも政党全体では)。であれば優位政党の自民党を弱らせる。それが招き得る混乱に打ち勝てるように、第2党を(どこにするか定め、)強くしなければならない。

昔だったら与党好調、野党伸び悩みの報道で、野党支持者だけでなくバランス感覚のある有権者が、「自民党を調子に乗らせてはいけない」と野党第一党に投じた。しかし今は勝ち馬に乗って勝った気分になりたいという人も多いようだし(無意識にも)、そうでなくても、それなりに強い第3極も存在する。自民党は国民に「なら第3極の政党に投票しとくか」と思ってもらって、その上でその第3極の政党を、自分達に従わせようとする。それはある程度成功していると言える。維新の候補に敗れる自民党の候補も多少はいるが、自民党全体にとっては、むしろ楽な時代になった。左も右も考えがある者は倒れ、自民党側の癒着政治だけがカネも人を集めて、残る。

比例代表や定数の多い選挙区がある参院選で自民60、立憲、公明、維新各10議席台、共産やれいわは一桁。2022年の参院選はこの筆者の予想の通りとなった。もちろん当たった事を自慢したいのではない。こんな選挙が続いているのだから大まかな予想は容易だ(2024年には変化が見えたが、まだ予断を許さない)。目に見える弾圧はないのに、ロシアのようだ(世論調査の政党支持率も、政権がメディアをコントロールしているロシアと同じような結果が定着している)。見えにくいところで国民がコントロールされているのだとしても、全くコントロールされていないのに自ら同じ結果を生んでいるのだとしても、深刻だ。大統領制とは言え、韓国の背中も見えなくなりつつある。それで国がうまくいっているのならまだ分かるが(筆者は嫌だが)、日本がそうだとはとても思えない。

独裁にして、怖くない優れた「指導者」の政治が続く事に賭けるのでなければ、政党と国民を成長させる政権選択の定着は不可避だ。中道右派~右派、中道左派~左派の2つの陣営の間を、政権が移動する。そんな世界標準。限界もあるが一度は踏まえるべき基本を、日本もマスターしないといけない、マスターできないはずがないと思うのだ。

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