1-20期待の星、第3極の新党の問題点1.政権交代論

小池新党の失敗

さて、記憶に新しい、小池新党についても考えてみたい。これには筆者は最も否定的にならざるを得ない。小池個人の野望のための新党であったことを、疑うことが難しいからだ。政治家は野望を持って当たり前だが、あまりに露骨で、かつ説得力が無さすぎる新党騒動であった。

小池は2008年の自民党総裁選に出馬して敗れ、2012年の総裁選で、本命の石破茂の支持に回り、2012年以降、冷遇されていた。さらに、都知事選の有力候補であったにもかかわらず、自民党の候補にしてもらえなかった。このこと自体には、日本新党、新進党、自由党、保守党と歩んできた、いわば外様であったこと、兵庫6区から東京10区に、郵政解散の刺客候補として移った経緯から、自民党の東京都連でも外様であったこと、世襲議員でなかったことが災いしたのだと、同情する余地も、なくはない。

しかし、自民党内で勝負に負けたことは事実である。そして逆転勝利が難しい状況にある中で、2016年、たまたま空いた都知事の椅子に就こうとして、それに成功すると、2017年に地域政党、都民ファーストを結成した。これは自民党の協力を得られない以上、当然のことであった。しかしそれも成功すると、今度は希望の党という、国政政党まで結成した。橋下をまねたように見えるが、大阪都構想を実現させるという悲願、地方分権の推進のために国政の力を必要とした橋下のようには、明確な意図が見えなかった。

議員達の質も違う。大阪維新の会は、国政で野党であったとはいえ、少なくとも前年までは優位政党であった自民党を離党した地方議員達が、橋下大阪府知事と結成した地域政党であった。日本維新の会の国会議員には、より人気がある政党に移って来たという面もあるが、双方とも、優位政党の自民党に民主党が挑戦するという構図が、崩れていく中での移動であった。しかし都民ファースト、希望の党に参加した民進党出身者は、維新の党の分裂によって、自民党に、民主党と維新の党が合流した民進党が挑戦するという、構図が出来た後の離党であった。しかも、民進党の結成は、都民ファースト結成の約10ヶ月前、希望の党結成の約1年半前である。民進党が挑戦者としてふさわしくないのなら、なぜ一度参加したのだろうか。結局、民進党よりも人気のある政党が出来ると、怖くなってそっちに移ったというだけである。

確かに、民進党の右派には左傾化路線に不満があった。しかしそれなら、いきなり小池新党に参加したりせず、せめてまずは、自分たちが新党を結成するべきであった。人のふんどしで相撲をとろうという精神は、第2党の出身者にはふさわしくない。