日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
投稿者: <span>伊吹健</span>

第3極(⑤⑥⑧⑨⑩)~野党化した中立派の役割~

独立倶楽部の分裂は上奏案によるものであったといわれているが、溜池倶楽部の結成はそれより少し前であり、溜池倶楽部の参加者は事実上独立倶楽部と分立したことから、独立倶楽部の分裂は、地価修正を巡るものであったと捉えることができ …

実業派の動き(④)~実業家中心の会派の誕生~

国民協会に参加しなかった実業派の議員によって初めて、「実業」の名を冠する会派が誕生した。実業といっても大小様々であり、実業家の議員は各党派に存在した。ただし大規模な商工業者は、その多くが政商といえるものであり、政府の富国 …

(準)与党の不振(④⑥⑨⑩)~難しい立場に揺れる国民協会~

第1次松方内閣が、大津事件や選挙干渉問題による閣僚交代等によって、長州閥の色を薄めると、長州閥と薩摩閥の議員が参加し、その融和を唱えていた国民協会は、難しい立場に立たされた。このことや、閣僚交代の際、自らに近い者として期 …

(準)与党の不振(④)~国民協会の結成~

西郷と品川は、薩長閥政府に吏党の組織化を一任されたわけではなく、むしろ独自に動いたのであった。中央交渉部内の議員は、国民協会への参加者と不参加者に分かれた。国民協会は、衆議院では中央交渉部90名のうち59名を集め、『議会 …

(準)与党の不振(④)~中央交渉部の分裂~

国民協会は、薩長閥政府支持派の色を、中央交渉部よりもさらに明確にしたものだといえる。その点で同派の結成は、政府支持会派の政党化への、大きな一歩であった。そうであればもちろん、国民協会の総選挙における獲得議席は、薩長閥政府 …

1列の関係(③⑥⑨⑩)~自由党の変化と立憲改進党~

自由党の実力者の一部は、野党共闘よりも薩長閥政府への接近を志向した。彼らには後藤、陸奥を通じる、長州閥とパイプがあった(改進党系にも、大隈と薩摩閥とのつながりがあったが、黒田内閣期の大隈外務大臣の不平等条約改正の挫折によ …

キャスティングボート・政界縦断(①②)~薩長閥側の政界縦断の土台~

薩長閥、自由党に変化の兆しが見られた後、政界縦断の土台を完成させたのは、第2回総選挙の結果であった。政界縦断とは反対に動いた第2次松方内閣の選挙干渉による、民党の過半数割れ、吏党の過半数不到達という結果が、皮肉にも政界縦 …

(準)与党の不振・政界縦断(①)~薩長閥内の民党対策の差異~

選挙干渉は、吏党系と違って一部の利益のため、党利党略で動く民党を抑えるという見方からすれば超然主義と矛盾しないが、一部の党派(吏党系)を有利に、他の党派(民党、新民党)を不利にするという見方をすれば、超然主義に反するもの …

補足 ~巴倶楽部再結成の挫折と独立倶楽部の再結成~

民党の自由、立憲改進両党、多くが両党に与していたといえる旧巴倶楽部系を合わせた民党側の当選者は、定数300のうち141名であった(自由党96、立憲改進党38、旧巴倶楽部系7)。これ以外にも、後に民党側の会派に参加する議員 …

政界縦断・キャスティングボート・1党優位の傾向(⑥⑨)~縦断の停滞と土台形成~

第1回総選挙後の政界縦断の動きは、1991年度予算案が成立した後は停滞した。立憲自由党の離党者の多くが結成した自由倶楽部は、薩長閥政府支持派とはならず、自由党に改称した同党と接近し、そして合流した。民党は再び衆議院の過半 …

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