日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
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(準)与党の不振・第3極(⑩⑫⑭⑮)~公同会の性質~

衆議院議長選挙では、国民協会を除く第3極の多くが鳩山に投じたと考えられる。それは彼らが進歩党と近かったというよりも、進歩党が与党第1党であったからであろう。公同会の結成は、政策による再編とはいえない。薩長閥への接近の限界 …

(準)与党の不振・野党に対する懐柔、切崩し(⑤⑪⑫⑭)~薩摩閥の失敗と公同会の不振~

衆議院に独自の支持基盤をほとんど持たなかった薩摩閥は、内閣の中心となったことで、自由党、国民協会から自らの支持派を引き抜き、それらを議員倶楽部(自由党を離党した親薩摩派を含む)と、まとめることに成功した。この間(1896 …

(準)与党の不振(⑮他)~分裂後の国民協会の立場~

国民協会は山口県に続いて、鹿児島県、福岡県の地盤を失い、熊本国権党主導の色を強めた。さらに同党が加わり得ない、2大民党の連携が実現したことで、第2次松方内閣末期には、時の内閣とのつながりも強められないまま、衆議院における …

1列の関係・群雄割拠(⑥⑦)~自由党の派閥の姿勢~

自由党には星亨(関東派)、林有造(土佐派)、河野広中(東北派)と、長州閥伊藤系に対する3つの窓口があった(九州派の松田正久は薩摩閥と近かったが、陸奥を党首に迎えようとするなど、伊藤自身は陸奥の自由党総理就任などには否定的 …

(準)与党の不振(④⑥⑦⑨⑩)~国民協会の難しい課題~

国民協会には、2つの課題があった。1つは野党的な立場を採るのか、伊藤系以外の薩長閥を支持するという点で準与党、少なくとも準野党(中立)的な立場を採るのかということであった。もう1つは、衆議院において少数派の地位に甘んじる …

2大民党制・実業派の動き(②他)~帝国財政革新会と民党~

進歩党内の対立の原因には当然、旧党派間の政策の差異もある。以前の立憲改進党の党報において、新潟県の室孝次郎が、帝国財政革新会を批判している(第二八号4~11、二九号21頁)。実際双方は合流後に第5回選挙を待たず決裂してい …

実業派の動き(④⑯)~営業税の国税化と実業家~

第9回帝国議会において、自由党と国民協会等の協力の下、登録税法案、酒造税法案、自家用酒税法案、営業税法案(国税への移行)、煙草税則中改正法律案、醤油税則中改正法律案、葉煙草専売法案が両院で可決され、成立した。大阪商業会議 …

第3極・実業派の動き(①②⑯)~実業派の拡大~

大手倶楽部は25名で結成された。実業団体は17名で結成された後、28名にまで増えた(29議席の時があった可能性もある)。立憲改進党、立憲革新党、国民協会、大手倶楽部、帝国財政革新会、中国進歩党の対外硬派は衆議院の過半数を …

実業派の動き・第3極(①②)~帝国財政革新会と中立実業派の性格~

第4回総選挙では、帝国財政革新会が東京府内の13の選挙区のうち5つの選挙区を制して5議席を得て、衆議院に進出した。府内の12の選挙区のうち、5つを制することは、議席ゼロの野党としては快挙だといえる。帝国財政革新会とは、大 …

第3極・実業派の動き(①②)~2つの実業派会派の誕生~

第4回総選挙の約3ヶ月前、1894年6月5日付の伊藤宛の書簡において伊東巳代治は、第3回総選挙における活動の不十分さを認め、第2次伊藤内閣寄りの中立議員を増やすことに意欲を見せている(『伊藤博文関係文書』二288頁)。そ …

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