日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
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社会党~民進党を変えられなかった新党

戦後の日本の政党政治に影を落としたのは、社会党(左派)の、あまりに非現実的な性格であった。新党ブームが何度も起こった背景には、別の、あるいは変身した野党第1党が欲しいという、日本人の願いがあったと言えるだろう。 しかし、 …

「保守」対社民が基本パターン

1955年、保守勢力の結集が自民党結成によって完結した後、野党第1党は、新進党を除けば、社会民主主義的な性格を持つ政党であった。勢いを見せていた社会党に政権を取らせないために、保守勢力が結集したという面が大きかったから、 …

日本維新の会の失敗、維新の党大阪派の失敗

日本維新の会が結成された2012年9月、与党民主党が次の総選挙で過半数を大きく下回る大敗をすることは、もはや確定的であった。自民党が過半数を獲得すれば、翌年の参院選で自民党が負けない限り、日本維新の会はキャスティングボー …

第3極右派もまとまらず・・・

何度も気を取り直して票を投じてきた自民党に対する失望、それは、代わりの選択肢であった民主党に対する失望で容易に変わるものではなかった。民主党(政権)に対する失望は、選挙に行かなくなった有権者と共に、民主党から自民党に投票 …

社会党に取って代わるスター政党はなかった

社会党が駄目だというなら、方法は2つしかなかった(政権交代など永遠になくても良いというのなら別だが)。1つは、それでも社会党を第2党にとどめ、変化させる。もう1つは、第2党を社会党から、もっと期待できる政党に取り替えてし …

民進党にできたこと、できること

民進党が駄目だと言われた要因に、まとまりの悪さがあった。右派と左派に分かれるべきだという意見もあった。実際にそれに近い形となったわけだが、戦前の立憲国民党や戦後の日本社会党など、日本の非優位政党のそのような分裂は、すでに …

第3極の2極化

2大政党(自民党と民主党)が共に新自由主義的だとは言えない状況下、日本の政界に、新自由主義派として、第3極が復活した。みんなの党の誕生である。 小泉政権によって自らの支持基盤を削った自民党が、安倍内閣以降、新自由主義から …

民主党は、かつて第3極だった

新進党の結成によって、社会党はついに第3党に転落した。しかしそれは有権者が直接そうしたのではなかった。1993年の総選挙では社会党は半減してもなお、第2党であった。その議席数は511のうちの70議席であった(追加公認を含 …

日本社会党系の苦悩

※『政党、会派の系譜』の「主要政党・派閥簡略系譜」のような、簡易的な政党の変遷を参照しながら読んで頂けると分かりやすくなると思う。   次に、自民党誕生後、つまり五十五年体制下の万年第2党、日本社会党の系譜を見 …

6. 他国との比較

※執筆が遅れた関係上、⑦以降を先取りする内容が含まれています。初めの方を読んで用語が気になる方は、先に⑦~⑨(または~⑫)をお読み下さい。 明治、大正期の日本における無所属の当選者、無所属議員の多さを見た。当時の日本の、 …

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