真の第3極の場合
希望の党が新自由主義政党として第3極に位置するのは、悪いことではない。と現在形で書いたのは、希望の党から国民民主党に参加しなかった議員達による、新たな希望の党(衆参計5名に過ぎないが)と、日本維新の会が合流するなどして第 …
希望の党が新自由主義政党として第3極に位置するのは、悪いことではない。と現在形で書いたのは、希望の党から国民民主党に参加しなかった議員達による、新たな希望の党(衆参計5名に過ぎないが)と、日本維新の会が合流するなどして第 …
小池新党にはそもそもどのような道がったのか、その先にはどのような光景があったのか。考えておきたい。 小池新党には2つの道があったと考えられる。1つは、現在の日本維新の会のように、自民党に接近する道である。もう1つは、非自 …
2012年は、第46回総選挙における自民党の復権、民主党の大惨敗で終わったが、実は日本政治の一大分岐点であった。その機会が生かされることなく、2大政党制を通り過ぎて、1党優位制にまで逆行してしまったのである。その機会とは …
日本維新の会を、ドイツのキリスト教社会同盟や、イギリスのスコットランド国民党に例える人がいる。キリスト教社会同盟とは、バイエルン州の地域政党である。その前身は中央党から分かれてできたバイエルン人民党であり、中央党の流れを …
ここからが本題となる。一定の人気を得ていたみんなの党だ。同党は、自民党を離党した渡辺喜美、初当選以来無所属であった江田憲司、民主党を離党した浅尾慶一郎を中心に結成されたが、主導権は、党首(代表)となった渡辺が握っていた。 …
新党はどこから現れるのか。よくあるのが、既成政党の分裂による新党の誕生である。既成政党と無関係に誕生するというパターンは、ミニ政党を除けば皆無である。 前者の場合、素晴らしい理念、政策を持っていたとしても、既成政党の党内 …
社会党に代わる第2党が無い状況を変えたのが、1993年の羽田・小沢派の自民党からの離党に端を発した、政界再編であった。第2党は1994年に遂に、衆議院では新進党に代わった。その前の1992年から、日本新党ブームが起こって …
※「民主党は完成形」という事について筆者は、これを書いた後、少し違う見方をするようになった。民主党の結成と拡大は、社会党の色を薄めるばかりで、民主党を明確な政党にしなかったということを、より強く認識するようになったのだ。 …
野党が一つにまとまらないことも、自民党を利した。「おれはすぐに自民党と妥協する政党とは違う」、「おれは何でも反対の政党とは違う」という、不自然に単純化された構図を、野党自らがつくり、そして互いにつぶし合うのだから、自民党 …
2大政党(自民党と民主党)が共に新自由主義的だとは言えない状況下、日本の政界に、新自由主義派として、第3極が復活した。みんなの党の誕生である。 小泉政権によって自らの支持基盤を削った自民党が、安倍内閣以降、新自由主義から …