日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
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スウェーデン

スウェーデンは18世紀前半、身分制の議会が強く、ハット党(対ロシア強硬派、自由派)とキャップ党(対ロシア融和派、保守派。メッサ党とも)が形成され、交互に政権も担当した。しかし激しい対立と腐敗が反発を招いたこともあり、一度 …

デンマーク

デンマークでは、自由派(左翼党を結成、現在の正式名称は左翼・デンマーク自由党である。)、新たに下院に進出した社会民主党(1871年結成)が、下院を基盤とする内閣の成立を主張した。1859年から1865年は基本的に、民族主 …

オーストラリア

オーストラリアは当初、保守的な自由貿易派、自由主義的な保護貿易派という、やや特殊な2つの勢力と労働党の、鼎立状態であった。しかし当初やや劣位にあった労働党の伸張に対抗して、自由貿易派と保護貿易派が合流して自由党を結成した …

イギリス

※19世紀については、特に君塚直隆『イギリス二大政党制への道』を参照した。 イギリス国教会でない、カトリックの国王を認めるかという問題について、貴族院と庶民院に、容認派のトーリと反対派のホイッグが形成され、それが政党へと …

第5章 ~1898年3月、第5回総選挙~

① 選挙結果 自由党98、進歩党94、国民協会22、鹿児島政友会7、 公同会6、新自由党2、東北同盟会2、無所属69、計300 自由、進歩両党が伸びた。分裂によって議席数が減っていた自由党は、進歩党を抜いて第1党に返り咲 …

第3章 ~1894年3月、第3回総選挙~

① 選挙結果 自由党119、立憲改進党51、国民協会32、同志政社24、同盟政社19、 政務調査所5、無所属50、計300 第2次伊藤内閣は選挙干渉を基本的には行わなかった。結果は自由党が伸びて、第2回総選挙、及びその後 …

第2章 ~1892年2月、第2回総選挙~

① 選挙干渉の結果、中央交渉部の結成 自由党96、立憲改進党38、他166(→独立倶楽部21、中央交渉部84)、計300 品川弥二郎内務大臣の激しい選挙干渉により、2大民党の合計議席は過半数を割り込んだ。そして大成会系、 …

第1章 ~1890年7月、第1回総選挙~

① 選挙制度 選挙権は直接国税を年15円以上納めた25歳以上の男子、被選挙権は同様の30歳以上の男子にあり、小選挙区制であった(214の1人区の他に43の完全連記制―定数と同じ数の後者に投じる―の2人区の計300議席)。 …

序章 ~第1回総選挙まで~

① 明治六年の政変 明治新政府を実際に動かしていたのは、明治維新の原動力となった、薩摩、長州、土佐、肥前4藩の藩士達であった。彼らは参議という地位に就いていた。その一部であり、欧米を周る岩倉使節団の留守を預かっていた者達 …

社民党の変遷

今、自由党は参議院で、社民党と希望の会という統一会派を組んでいる。希望の党結成より前からのことであり、「希望」という言葉にこんなケチがつくとは、思いもしなかったことだろう。しかしここで言いたいのは当然、そんなことではない …

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