日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
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第7章

①選挙制度 衆議院議員選挙法の改正(第6章⑪参照)により、府県単位の大選挙区制となった(さらなる同法改正により、新たに人口3万人以上となった市、人口要件を満たしており、新たに市制が導入された市が独立した選挙区となり、横浜 …

第6章 ~1898年8月、第6回総選挙~

①選挙結果 憲政党263(→自由党系の憲政党112、改進党系の憲政本党138)、 国民協会20、無所属17(→同志倶楽部10)、計300 初めての政党内閣、それも圧倒的な1党優位の状況下での総選挙であった。優位政党である …

第5章 ~1898年3月、第5回総選挙~

① 選挙結果 自由党98、進歩党94、国民協会22、鹿児島政友会7、 公同会6、新自由党2、東北同盟会2、無所属69、計300 自由、進歩両党が伸びた。分裂によって議席数が減っていた自由党は、進歩党を抜いて第1党に返り咲 …

第2章 ~1892年2月、第2回総選挙~

① 選挙干渉の結果、中央交渉部の結成 自由党96、立憲改進党38、他166(→独立倶楽部21、中央交渉部84)、計300 品川弥二郎内務大臣の激しい選挙干渉により、2大民党の合計議席は過半数を割り込んだ。そして大成会系、 …

3-23. 第3極に働いた遠心力と求心力

第3極が上下左右に引き裂かれる状況(図補-I参照)は、一度薩長閥と民党の対立が復活しただけで、すぐに変わるものではなかった。第3極は、右から国民協会、山下倶楽部、同志倶楽部と、3つに整理されたものの、薩長閥側、中立、民党 …

3-16. 民党間の「連結器」が果たした役割

薩長閥政府への接近に反発して自由党の系譜を脱した議員達が果たした、民党間の「連結器」としての役割について考えてみたい。 まずは、彼らが連携相手と合流して結成した党派について確認する。①の同志倶楽部は同盟倶楽部と合流、立憲 …

14. 自由党系の分裂

自由党系の分裂は、大正期(≒桂園時代の終焉)までは、3つの時期に集中しているといえる。なお、自由党系は3つの時期における分裂による議席の減少を、分裂が終わってから2回目の総選挙を待たずに、約半数から大部分、回復している( …

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