日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
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民進党分裂から新たな立憲民主党結成までの民主党系議員の動き

2017         例:④・・・4月、 1・2・・・衆議院1、参議院2 ④ 民進党離党1・0 長島 ⑧ 民進党離党3・1 藤巻(10月に国民の声を結成)、細野、横山、木内 ⑨ 民進党離党5・0 山尾(後に立憲へ)、 …

ニュージーランド

当初は自由党と保守派が対峙していた。過半数を上回る議席を得ていた自由党政権が約21年続き、その末期、保守派は改革党という政党を結成した。そして1912年、改革党への政権交代が実現した。その間、自由党から進歩派が離党し、新 …

オーストラリア

オーストラリアは当初、保守的な自由貿易派、自由主義的な保護貿易派という、やや特殊な2つの勢力と労働党の、鼎立状態であった。しかし当初やや劣位にあった労働党の伸張に対抗して、自由貿易派と保護貿易派が合流して自由党を結成した …

スペイン

※特に、立石博高・若松隆『概説スペイン史』(有斐閣、1987年)を参照した。 1812年に立憲君主制となり、政権を得た自由主義者が漸進的に自由化を進めたが、これに飽き足らない、より進歩的な勢力が分離し、政権を得た。一方で …

社会党の不運と中道の限界

いよいよ日本社会党である。社会主義、非武装中立という非現実的な志向を持つものの、党内では優位にあった左派と、党を西欧の社会民主主義政党のようなものにしようとする右派との対立、左派の優位によって、ついに自力での政権交代を果 …

進歩党の敗北

立憲改進党は、指導者であった大隈重信が薩長閥政府の外務大臣となり、外国人が被告となる裁判への外国人判事の任用を認めることで、不平等条約の改正を実現させようとした。このことから、立憲改進党は第1回総選挙の当時、人気を落とし …

帝国議会開設当初の第3極

詳しくは、『キーワードで考える日本政党史』、『補論』で見るとして、戦前の「第3極」がどのようなものであったか、おおざっぱに整理する。 戦前の日本の2大政党は、板垣退助の自由党の系譜と、大隈重信の立憲改進党の系譜である。そ …

戦前の非優位政党再編の総括

※『政党、会派の系譜』の「主要政党・派閥簡略系譜」のような、簡易的な政党の変遷を参照しながら読んで頂けると分かりやすくなると思う。   戦前の第2党を中心とした再編のポイントは、本来立憲改進党と同様に薩長閥と対 …

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