日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
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第8章 ~1903年3月~

①選挙結果 立憲政友会181、憲政本党84、帝国党17、壬寅会15、新潟進歩党7、 無所属72(→中正倶楽部25、政友倶楽部13)、計376 立憲政友会、憲政本党の2大政党は前職優先の選挙協力をしたが、議席を少し減らした …

第3章 ~1894年3月、第3回総選挙~

① 選挙結果 自由党119、立憲改進党51、国民協会32、同志政社24、同盟政社19、 政務調査所5、無所属50、計300 第2次伊藤内閣は選挙干渉を基本的には行わなかった。結果は自由党が伸びて、第2回総選挙、及びその後 …

第2章 ~1892年2月、第2回総選挙~

① 選挙干渉の結果、中央交渉部の結成 自由党96、立憲改進党38、他166(→独立倶楽部21、中央交渉部84)、計300 品川弥二郎内務大臣の激しい選挙干渉により、2大民党の合計議席は過半数を割り込んだ。そして大成会系、 …

進歩党の敗北

立憲改進党は、指導者であった大隈重信が薩長閥政府の外務大臣となり、外国人が被告となる裁判への外国人判事の任用を認めることで、不平等条約の改正を実現させようとした。このことから、立憲改進党は第1回総選挙の当時、人気を落とし …

3-16. 民党間の「連結器」が果たした役割

薩長閥政府への接近に反発して自由党の系譜を脱した議員達が果たした、民党間の「連結器」としての役割について考えてみたい。 まずは、彼らが連携相手と合流して結成した党派について確認する。①の同志倶楽部は同盟倶楽部と合流、立憲 …

7. 第3極の分類の型と第6回総選挙前までの党派の分類

第3極を担った勢力は数が多く、複雑な再編を経ている。しかしそれらは間違いなく、いくつかの型に分類することができる。分析するためにも、分類することによって、諸勢力の性質を多少なりとも示したい。 分類の型は以下の5つとし、補 …

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