日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
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生まれるべくして生まれたはずの、立憲民主党の苦労

立憲民主党は結成当初、やたらと持ち上げられた。それには以下の通り、いくつか理由がある。   ・左派(リベラルとも呼ばれる―「なぜ、第2党コンクールを開催してでも、第2党を決めなければいけないのか」参照―)が弱り …

第6章 ~1898年8月、第6回総選挙~

①選挙結果 憲政党263(→自由党系の憲政党112、改進党系の憲政本党138)、 国民協会20、無所属17(→同志倶楽部10)、計300 初めての政党内閣、それも圧倒的な1党優位の状況下での総選挙であった。優位政党である …

第5章 ~1898年3月、第5回総選挙~

① 選挙結果 自由党98、進歩党94、国民協会22、鹿児島政友会7、 公同会6、新自由党2、東北同盟会2、無所属69、計300 自由、進歩両党が伸びた。分裂によって議席数が減っていた自由党は、進歩党を抜いて第1党に返り咲 …

自民党の先祖もダメな野党第1党

繰り返しとなる部分もあるが、忘れてはならないと思うのは、自民党の先祖もまた、初めて政権を得た時(自由党と進歩党が合流した憲政党の第1次大隈内閣)には、民主党のようにみっともない党内抗争に明け暮れ、たったの4ヶ月で倒れこと …

改進党系の苦悩

※『政党、会派の系譜』の「主要政党・派閥簡略系譜」のような、簡易的な政党の変遷を参照しながら読んで頂けると分かりやすくなると思う。   帝国議会開設当時の衆議院における第1、2党は、立憲自由党と立憲改進党であっ …

「政権交代」後の失敗をなぜ、何度も何度も繰り返したのか

日本が経験した16回の政権交代を挙げた。そのうちの①(第3次伊藤内閣→第1次大隈内閣)、②(第2次山県内閣→第4次伊藤内閣)、⑧(清浦内閣→第1次加藤高明内閣)⑬(第1次吉田内閣→片山内閣)、⑮(宮沢内閣→細川内閣・次の …

民主制が成功しているように見える、まやかしの政権交代の数々

約130年前に帝国議会が開設されてからの政権交代(筆者が「まとも」だと定義しているものに限らない)の一覧をここに掲載する。しかし読み飛ばして頂いて構わない。有権者が選択したものではない例がほとんどだということ、重要な政権 …

3-24. 2つの政界再編構想による中立壊滅、第3極縮小

実業家層には本来、その全てにとは言わないまでも、自らの利害を代表する政党が必要であった。当時議会制を採っていた他の国々を見れば、商工業を主な支持基盤とする政党と、農業を主な支持基盤とする政党が分立していた。ドイツ帝国のよ …

5. 非政党地帯

まず表補-Cを見てほしい。 表補-C:第7回総選挙前までの選挙区ごとの当選者の所属   ・市部の選挙区にはアンダーラインを付したが、郡部を含む場合は選挙区の番号のみにを付した。 ・神奈川県は「神奈」、和歌山県は …

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