日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
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帝政期

1871年に成立したドイツ帝国は、宰相(以下首相とする)が皇帝に任命される、議院内閣制を採らない立憲君主制であり、各領邦の代表である上院と、男子普通選挙制の下院による二院制であった。皇帝はプロイセン国王との兼任であった。 …

オーストリア

オーストリア帝国はハンガリーとの同君連合となったが、オーストリアも多民族であり、他国と同様に、保守系、自由系、社民系の勢力、政党こそ誕生したが、オーストリアやチェコに、それぞれ同様の政党が存在、誕生し、政党の数が非常に多 …

社会民主党

社民党は、まとまって立憲民主党に合流すべきである(これは2020年には実現せず、社民党は立憲民主党合流派と、残留派に分裂し、前者が立憲民主党入りした)。 確かに、立憲民主党は社民党に近いものの、社民党よりは右だと言える。 …

民進党分裂から新たな立憲民主党結成までの民主党系議員の動き

2017          例:④・・・4月、 1・2・・・衆議院1、参議院2 ④ 民進党離党1・0 長島 ⑧ 民進党離党3・1 藤巻(10月に国民の声を結成)、細野、横山、木内 ⑨ 民進党離党5・0 山尾(後に立憲へ) …

デンマーク

デンマークでは、自由派(左翼党を結成、現在の正式名称は左翼・デンマーク自由党である。)、新たに下院に進出した社会民主党(1871年結成)が、下院を基盤とする内閣の成立を主張した。1859年から1865年は基本的に、民族主 …

ポルトガル

※特に、立石博高編『スペイン・ポルトガル史』を参照した。 1820年の自由主義革命の後、自由主義者と、それに反発する保守派が対立した。対立は内戦を経て自由主義者の勝利に終わったが、自由主義者達は穏健派と急進派に分裂した。 …

社民党の変遷

今、自由党は参議院で、社民党と希望の会という統一会派を組んでいる。希望の党結成より前からのことであり、「希望」という言葉にこんなケチがつくとは、思いもしなかったことだろう。しかしここで言いたいのは当然、そんなことではない …

社会党の不運と中道の限界

いよいよ日本社会党である。社会主義、非武装中立という非現実的な志向を持つものの、党内では優位にあった左派と、党を西欧の社会民主主義政党のようなものにしようとする右派との対立、左派の優位によって、ついに自力での政権交代を果 …

自らの歴史を浅くした、民主党結成時の過ち

民主党→民進党は見ている方が恥ずかしくなるくらいゴタゴタすることが度々あった。党首となった人物は、議論もせずに新しいことを打ち出す。それに反対する議員が騒ぎ出す。それを収拾する知恵も強引さもなく混沌とする。気に入らなけれ …

日本社会党系の苦悩

※『政党、会派の系譜』の「主要政党・派閥簡略系譜」のような、簡易的な政党の変遷を参照しながら読んで頂けると分かりやすくなると思う。   次に、自民党誕生後、つまり五十五年体制下の万年第2党、日本社会党の系譜を見 …

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