日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
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歴史・戦前編No.14~18

歴史・戦前編No.14 戦前の補足です。政党の再編が、その性格の明確化(選挙における明確な選択肢へ)、時代の変化への適応(有効な選択肢へ)に準じたものであったかを考えたいと思います。その参考例としてイギリスについてまとめ …

歴史・戦前編No.7~13

歴史・戦前編No.7 政党が民意を見て、立ち位置、政策、理念を変化させる事はあって当然だと思います。しかし日本の場合、自由党系優位である事が多かったとはいえ、一応ライバルであった大政党が、重要問題で短期間に入れかわるよう …

歴史・戦前編No.1~6

歴史・戦前編No.1 知識不足ですが、No.2で日本の場合を見て比較するため、参考例として整理してみました。議会政治も政党も少しずつ進歩し、整備されるものですが、始まりと初期の歩みにヒントがあるという面も大きいと思ってい …

生まれるべくして生まれたはずの、立憲民主党の苦労

立憲民主党は結成当初、やたらと持ち上げられた。それには以下の通り、いくつか理由がある。   ・左派(リベラルとも呼ばれる―「なぜ、第2党コンクールを開催してでも、第2党を決めなければいけないのか」参照―)が弱り …

第3章 ~1894年3月、第3回総選挙~

① 選挙結果 自由党119、立憲改進党51、国民協会32、同志政社24、同盟政社19、 政務調査所5、無所属50、計300 第2次伊藤内閣は選挙干渉を基本的には行わなかった。結果は自由党が伸びて、第2回総選挙、及びその後 …

第2章 ~1892年2月、第2回総選挙~

① 選挙干渉の結果、中央交渉部の結成 自由党96、立憲改進党38、他166(→独立倶楽部21、中央交渉部84)、計300 品川弥二郎内務大臣の激しい選挙干渉により、2大民党の合計議席は過半数を割り込んだ。そして大成会系、 …

第1章 ~1890年7月、第1回総選挙~

① 選挙制度 選挙権は直接国税を年15円以上納めた25歳以上の男子、被選挙権は同様の30歳以上の男子にあり、小選挙区制であった(214の1人区の他に43の完全連記制―定数と同じ数の後者に投じる―の2人区の計300議席)。 …

序章 ~第1回総選挙まで~

① 明治六年の政変 明治新政府を実際に動かしていたのは、明治維新の原動力となった、薩摩、長州、土佐、肥前4藩の藩士達であった。彼らは参議という地位に就いていた。その一部であり、欧米を周る岩倉使節団の留守を預かっていた者達 …

進歩党の敗北

立憲改進党は、指導者であった大隈重信が薩長閥政府の外務大臣となり、外国人が被告となる裁判への外国人判事の任用を認めることで、不平等条約の改正を実現させようとした。このことから、立憲改進党は第1回総選挙の当時、人気を落とし …

改進党系の苦悩

※『政党、会派の系譜』の「主要政党・派閥簡略系譜」のような、簡易的な政党の変遷を参照しながら読んで頂けると分かりやすくなると思う。   帝国議会開設当時の衆議院における第1、2党は、立憲自由党と立憲改進党であっ …

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