日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
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小選挙区中心である以上「自民vs立憲」になる

立憲民主党と国民民主党が合流した。「せっかく分かれてすっきりしたのに、合流して欲しくなかった」という声、「新たな立憲民主党と新たな国民民主党には、選挙協力をして欲しくない」という声を耳にする。民進党系の再統一が立憲優位の …

再編はこれで最後に

新たな国民民主党にも参加した前原元民主党代表らが、維新の会に接近している。具体的には、維新の会の議員達と地方分権の勉強会を開いている。これは超党派の勉強会ということになっており、立憲民主党の議員も参加しているが、大阪都構 …

アメリカ

アメリカはイギリスに対する独立戦争で勝利し、王党派は国外に逃れた。国王などの権威による支配だけでなく、民衆の多数派による支配をも避けるため、大統領と議会がそれぞれ選挙で選ばれる、分権的な政治制度を採った。大統領も上院議員 …

ニュージーランド

当初は自由党と保守派が対峙していた。過半数を上回る議席を得ていた自由党政権が約21年続き、その末期、保守派は改革党という政党を結成した。そして1912年、改革党への政権交代が実現した。その間、自由党から進歩派が離党し、新 …

ポルトガル

※特に、立石博高編『スペイン・ポルトガル史』を参照した。 1820年の自由主義革命の後、自由主義者と、それに反発する保守派が対立した。対立は内戦を経て自由主義者の勝利に終わったが、自由主義者達は穏健派と急進派に分裂した。 …

イギリス

※19世紀については、特に君塚直隆『イギリス二大政党制への道』を参照した。 イギリス国教会でない、カトリックの国王を認めるかという問題について、貴族院と庶民院に、容認派のトーリと反対派のホイッグが形成され、それが政党へと …

4. 第3極に関する傾向

日本では戦前にも、戦後にも、2大政党制に近付いていこうとする傾向が見られる。しかし1党優位の傾向、多党化の傾向が加わり、2大政党が議席数で他の政党、会派を引き離すことは多くあっても、2大政党制がしっかりと定着するには至っ …

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